金曜日の夜に

終電に乗って帰りました。色んな人が居ます。めちゃめちゃクッサイ香水を付けてるお姉さん。リュックを背負って、通路を占拠して小説を読んでいる髭+ニット帽の兄ちゃん。その兄ちゃんのリュックに引っかかって、「邪魔だよー。」と文句を言う酔っ払いのおっさん。そのおっさんに、落とした携帯の蓋を投げられるお兄さん。突然起きて、ドアに突進する女の子。色んな人がいますねぇ。束芋作品か、と思うほどの数分間でした。
束芋さんと言えば、
数年前の横浜トリエンナーレに出品してました。直近のではなくて、その前の。えーと、今調べたら、横浜トリエンナーレ2001でした。そんなに昔の話だっけ?30過ぎると時の経つのが速いと聞いていましたが、本当ですね。ついこないだのような気がしてたのですが。話しを戻すと、MMのパシフィコ横浜でやってた方の奴です。あれは楽しかった。現代アートとか、デザインとか、あまり興味がなかった私でしたが、本当に楽しいイベントでした。アニメとか、オブジェとか、映像とか、川柳とか、訳のわからん装置とか。その出来に感激して、2005にも出向きましたが、2005はつまらなかった。せっかく現代アートって面白いなぁー、と感激していたのに、正直がっかりでした。アートディレクターさんには申し訳ありませんが…。調べている最中に、2008年の開催が決定し、アートディレクター・キュレーターが決まった、なんていう記事を見つけました。今度はどうなんでしょうね。きっと行くと思います。
思い出しついでに、随分前に読んだ本の話を。ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代のことです。これからの世の中は、理屈や知識ではなくて、美とかデザインとか、そういう分野に長けた人が活躍するよ、って話しでした。機械や安い労働力で代替出来るような仕事ばかりやってると、仕事なくなるよ、って話しもしてました。身につまされます。
実際、この世界は、オフショア開発と言って、割と安い賃金でシステムを作ってくれる国、インドや中国などに、製造をアウトソースすることが多くなってきました。日本人がこの世界で生き残るには、プロマネコンサルタントITアーキテクトといった、製造の手前の工程で強みを発揮しないといけないんだろうな、とつくづく思います。会社の後輩やチームメンバーにもそのことを良く言っているのですが、あまり実感がわかないんでしょうか。のんきです。オープンソースの世界では、プログラマーこそが、優秀なら十分やっていけますが、企業向け基幹システム開発ERP導入開発では、幾ら優秀でもなかなか難しい気がします。日本人であることの利点といえば、日本語の読み書きが出来ることくらいしかなくなってきている気がします。それも最近は、日本語に堪能な外国人が沢山日本にいるので、危ういですが。後は何でしょう?設計書の行間を読む力ですかね。でも、これはあまり良いことだとは思えません。外国人と仕事をしていて思うことは、彼らは設計書を契約とみなしている、ということです。書いてあることは作ります(これは当然です)が、書いていないことは、たとえそれが一般的に考えて、おかしなことでも、絶対に作りません。システム開発でなければ、それは日本でも当たり前なのかもしれません。確かに、某大手メーカーの仕事では、信じられないほど膨大な設計書を書かされ、抜けていることなんかは滅多にありませんが、中堅以下のSierと仕事をしていれば、そんなことは当たり前です。設計書に書いていなくても、「バグだから直せ」なんて話しは日常茶飯事です。しかも、日本では、契約をして仕事をしているはずなのに、「下流工程をやる人間は下請け」と言う構図になっているので、対等に仕事が出来ず、「やります。だから、次の仕事をくださいよね。」という話になります。そのあたりは、ハッピィ・エンジニアリング 新しいシステム開発の処方箋にも書かれている通り、どうにか断ち切りたいですね。
取りとめもない話しなのに、長々と書いてしまいました。最後まで読んでくれた人がいましたら、お礼を。