挿絵:伊藤彦造、吉川英治『天兵童子』と、挿絵:山口将吉郎『ひよどり草子』が一冊の本『吉川英治全集51 天兵童子』(講談社、昭和58年)に入っているので購入した。が、ちょとケチって、挿絵は6点しか入っていなかった。


『天兵童子』は昭和12年9月〜15年4月まで「少年倶楽部」に連載された。天兵は、南木菩提次からいわれるままに愚直に大地に蒔かれた麻を毎日毎日飛びつづけ、百二十日間飛びつづけると、山でも川でも飛ぶことができた。という話を真に受けて、私も小学校の頃、麻の種を畠にまいて、成長する麻の葉に触れないように飛び続けた。40センチくらいになると天兵のようにうまくは行かなくなり、10歳にして挫折という貴重な体験をする。


天兵は「芽生えのうちからまいにち修練していたので、二メートルになっても飛べた。三メートルになっても飛ぶことができた。……麻にむかう心を持つと、空間でも、山でも川でも、屋根の上へでもとぶことができた。」



挿絵:伊藤彦造吉川英治「天兵童子」(『少年倶楽部名作選』講談社、昭和58年)
つばぜり合いは、もう少し手元の、鍔と鍔がぶつかるようなところで、押し合いをするのだと思いますが。刃と刃がぶつかるのも、刃がこぼれてしまいそうな気がします。


挿絵:伊藤彦造吉川英治「天兵童子」(『吉川英治全集51』講談社、昭和58年)

サインを変えて、再登場した伊藤彦造

伊藤彦造橋本関雪門下の日本画家で、大正十四年「大阪朝日新聞」に連載の行友季風「修羅八荒」の挿絵を描いて大阪では知られていたが、昭和二年、高垣眸「豹(ジャガー)の眼」で「少年倶楽部」にデビュー、続いて大佛次郎「角兵衛獅子」の挿絵を受け持つにおよんで、華宵を凌ぐほどの人気を勝ち取った。



挿絵:伊藤彦造高垣眸「豹(ジャガー)の眼」(「少年倶楽部昭和2年1月号)



挿絵:伊藤彦造大佛次郎「角兵衛獅子」(「少年倶楽部昭和2年3月号)


しかし、加太こうじによると挿絵のサインに「剣をもって一家をなす彦造画」などと書き入れたのをはじめ数々の奇矯な振舞いをするようになり、それがために一時ジャーナリズムから敬遠されていたが、昭和12年吉川英治「天兵童子」の挿絵に伊藤新樹の名で再び返り咲いた。




「伊藤新樹」と書かれた彦造の新落款の部分拡大。
私の名前と良く似ているので驚きました。「しんじゅ」と読むのだろうか。



伊藤彦造の落款は、それまでは、こんな落款でした。

伊藤彦造と山口将吉郎の違いをさぐる

伊藤彦造も山口将吉郎も、二人ともいい絵を描いているが、この二人の絵のタッチはよく似ていて、にわか勉強の私には即座には見分けがつきません。じっくりと観察することにしよう。



挿絵:山口将吉郎、『吉川英治全集51 ひよどり草子』(講談社、昭和58年)