書物蔵

古本オモシロガリズム

政治ネタなんでつまりません,ちゅーか剣呑だす〜(^-^;)

アヲハタならぬ

アカハタね。赤い旗。でもアカハタとアヲハタって字面が似てる…
図書館ネタの記事がありました。ある人に教えてもらったのだ。このネタ,公明新聞や社会新報にはなにか載ったのかなぁ。それ系の人におしえてもらお。正確には署名入りの投稿。
国立国会図書館法の改悪/「真理はわれらを自由にする」『しんぶん赤旗』2005.5.29 p.8
えーっと,著者は山崎元(やまざき・げん)氏ね。たしか1冊もってたよ(いまどっかいっちゃってみつかんないけど)。発掘・昭和史のはざまで / 山崎元. -- 新日本出版社, 1991.7 これもいちおー仮性図書館本。
で,投稿にもどると,いろいろ書いてある。

今年四月,自民,民主,公明三党によって,国会図書館法が改悪され,図書館長の社会的地位が国務大臣待遇から内閣官房副長官並に格下げされました。

へー,2階級格下げってのは聞いたけど,具体的には副長官クラスなんだねー,知らんかったよ。
ゲン氏は戦前の「検閲」のための納本制度について話*1をふったうえで,納本はいま国会図書館にしなければならないが,それは「文化的利用」のためのものだと説く。
だがゲン氏に言わせると,そのように目的が変わったとはいえ(だからこそか?)納本機関には「行政府の抑圧や干渉を排除するためにも(文科大臣にはりあえるような)大臣待遇の格付けが必要だと思います。」
都立日比谷図書館では土岐善麿歌人),杉捷夫(仏文学者),都立中央では加藤周一(社会評論家)らが館長になったが,それが「図書館文化高揚の本来の姿でした。」

しかし,国立国会図書館では,一九六〇年安保闘争以来,館長人事が衆参両院事務総長の猟官天下りポストとなり,本来の法の精神にもとづく資質・資格が大きく損なわれてきた(後略)

ははぁ。そうですか…
でもって,投稿の最後に「(元国立国会図書館司書*2)」とありまする。そうか,だから納本制度の歴史とか,格付けとかに妙にくわしいんだねぇ。
あと,ちょっと不思議なのは,金森徳次郎が館長を辞めた時の大事件について一言も触れていない点。安保で総長が天下るようになったってのは,このまえ,ネットサーフィン(死語?)してたら知ったよ。これは大澤正雄って人が書いたもの。この人も図書館本だしてる。ほかにも「「国会図書館長」のGW「ファーストクラス」訪米」『週刊新潮』05.5.26 p.38なんてのもあるけど。
まー,わたしとしては安保にむすびつけるより春秋会にむすびつけるほうが妥当だと思うよ。

初代は文化人館長 → 春秋会事件 → 館長空席 → 事務総長天下り(安保がらみ?)

という流れなのだから,むしろこの事件に触れないほうがおかしい(2005-01-26 間宮不二雄の予言,参照)。
大澤氏は春秋会事件を知らないかもしれないが(そーとも思えんが),ゲン氏は知らないはずがない。そーゆー意味で,徳次郎をビミョーに弁護してるように見える点,党派的,って党の機関紙だからいいのか(^-^;)

出納(すいとう)のはなし

でも,ゲン氏は嫌いじゃないんだ。なぜって,いちど講話を聞いたことがあるから。かなり前だけど…。その時の話でおぼえてるのが,出納の話。出納ってゆーと,世間的にはカネの出し入れでお偉いさんかなんかに聞こえるけど,ここでは本の出納のこと。
この人,戦前に帝国図書館出納手だったらしく,先輩にいじめられながら出納した苦労を話してくれた。特に巨大な製本済み新聞を運びあげるのがタイヘンだったんだって。

出納手
閉架の図書館で)利用者の請求に基づき,書庫の資料の出し入れをもっぱら行う図書館の職員をいい,(中略)一般職員と別職種で,身分,給与上は一段低く位置づけられていた。(略)現在はなく,ほとんど死語(『最新図書館用語大辞典』2004

ま,そゆことですね。苦労したんですねぇ。ちなみにこの辞典の元版(1982)には,「身分,給与上は一段低く位置づけられていた」という記述はないですねぇ。なんか,もってまわった書き方だけど,要するに館内で差別されていた,ってことなのかなぁ。歴史となったからこそ書けるってことなんですねー。でも,戦前の官制のもとでは,奏任官やら判任官やらでトイレから違ってたらしいから。
きっと1980年代にもまだ,ゲン氏のような出納手あがりの人が結構いたんでしょーね。だから書けないし,書かない。自分から「苦労した」っていうのはいいけど,他人から「あなた苦労したんでしょ」って言われるのはいやだろうし,なんとなく礼儀に反するような気もするよ。やっぱ歴史って書ける(書かれる)ようになる時期ってある気がする。数十年スパンで。

図書館員出世双六

でも救いなのは,

出納手には敏活を必要とするので年少者をこれに充て十五,六歳より二十歳前後の者を事務見習いとして採用している。然しアメリカでは,出納事務にも大人がこれに当たっているのがふつうであるといわれる。出納事務の多忙な大図書館では四,五十人もいる(植村長三郎『図書・図書館事典』文徳社 1951 出納の項)

とあるように,日本の場合,一応,そのまま上へあがる道が開かれていたこと。そこがアメリカ的雇用とはちがうとこですね。
その四,五十人のなかに,ゲン氏もいたのですねー 出納手からはじまって立派な司書になった*3。「図書館員出世双六」ですー
でも,ほかの39人ないし49人の出納手たちはどうなったのかな〜。論理的には1)司書にならなかった,2)立派じゃない司書になった,ってところだろーけど(^-^) 答えは…,一部知ってるけどまたね。

*1:内務省警保局図書課は単行本だけで,新聞雑誌は警視庁検閲係が担当だったとの指摘は芸が細かい。

*2:しかし,なぜ元・図書館員でなく,元・司書なのか? 国家資格たる司書はたしか終身だったのでは。あ,そか,わかった。こりゃー新ネタになるね。

*3:日本都市戦災地図 / 第一復員省資料課. -- 原書房, 1983.7 の解説p.320-323なんかも書いてますね。