「The Greatest Show on Earth」

The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution

The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution


本書はダーウィン生誕200周年,「種の起源」出版150周年に合わせて出版された本の一冊.ドーキンスによる進化の証拠についての本である.
ドーキンスはこれまで進化についての一般向けの本を6冊書いているが,いずれも遺伝子視点からの進化適応の理解についての解説書,自然淘汰の理解についてのバリアを払う本,そして生命の歴史を逆回しにたどった本というものであり,進化自体が事実であることは前提になっていた.本書の執筆については,今日アメリカだけでなくヨーロッパにおいても宗教的原理主義に基づく進化教育への反対が勢いを増しており,進化が事実だということについてもきちんと書いておきたいという趣旨だと説明されている.


ドーキンスはまず,「進化が事実である」ということはどういうことであるかを説明する.それは数学的な証明ではなく,自明であったりトートロジーとして正しいのではなく,そうでないということも原理的にはあり得るのだが,豊富な証拠からの推論によりそれが事実であると認められていることだとしている.そしてそれは古代ローマ帝国が実在したり,ホロコーストが事実であったり,パリが北半球にあるという意味と同じように事実であるのだとはっきりさせている.


そこからドーキンスが挙げる証拠は,(1)家畜や栽培植物における育種事例,(人為淘汰,そして何らかの生物による選別による淘汰,自然淘汰が連続していること)(2)実際に進化が観測されている事例,(狩猟による淘汰,実験室でのバクテリアの進化,グッピーのフィールド実験における進化)(3)化石,(脊椎動物の陸上進出,クジラの祖先などの中間形態の化石,ヒトの祖先化石)(4)発生が自律的に進むことを説明できること,(5)生物の地理的な分布(島への移入,大陸移動など)(6)生物の様々な特徴が系統樹という観点からしか説明できないこと(相同,分子的な証拠,特に様々な遺伝子が同じ系統樹を描くこと)(7)生物のデザインが合理的ではないこと(痕跡器官,偽遺伝子の存在,進化経路の制約による馬鹿げたデザイン)(8)生態系などの性質(全体の効率性やデザイナーの慈悲深さから想定されるデザイン特性を持っていないこと)など多岐にわたる.
ちょっと面白いのは,ドーキンスが証拠の有力さに与えているランクだ.証拠として非常に強力なのは,生物の地理的な分布と分子的な証拠であり,「化石」はそれがなくてもまったく問題ないし,見つかること自体幸運なボーナスのようなものだとコメントしている.これはおそらく創造論者がそこだけに絞って延々と攻撃してくるのに対する戦略ということなのだろう.*1


また証拠の提示のあいだには,進化の理解にとってバリアとなっている様々なトピックにも触れている.ヒトの心にある本質主義が,生物がどこまでも変わっていけることの理解を困難にしていること,ヒトの心が何十億年という時間を把握できないことなどについて,共通祖先までさかのぼって帰ってくるような空想を促したり,地球の年齢についての豊富な証拠を提示したりしている.*2 陥りやすい「存在の偉大な連鎖」という考えについても,それがいかに間違っているかを丁寧に説明している.またお馬鹿な科学者のくだらない論争が創造論者に利用されることに関しては相変わらず厳しい.(今回は古人類学者の学名論争が強烈に揶揄されている)
もちろん創造論者の主張に対して直接反論している部分もある.「中間形の化石を見せろ」という言い分がいかに馬鹿げたものか,ノアの方舟という説明がいかに現生生物の地理的分布と矛盾するかなどを論じ,お馬鹿なデザインの実例も数多く挙げ,さらにあっけにとられるほど脳天気な自然の冷酷さに対する神学サイドの説明(神義論)を紹介したりしている.(私のお気に入りは,扁形動物の化石がでていないということは,創造論者の理屈からいうと「扁形動物は昨日創造された」ことになるのではないかという反論だ)


ドーキンスはこれで創造論者を言い負かせると思って書いているわけではないだろう.本書の直接のターゲットは,「素直に進化は事実だろうと思っているが,訓練された創造論者の議論にどう対応していいかわからない人々」ということになるだろう.そういう人々にとっては非常にうまく整理された知的な武器ということになると思われる.(進化を否定する論者を,古代ローマ帝国否定論者やホロコースト否定派と同じだと切ってみせるあたりは切れ味十分だ.)

一方,私も含む普通の日本人読者は,進化が事実であることを当然に受け入れているし,普段創造論者と議論する機会があるわけでもないから,逆に証拠についてあらためて深く考えたりはしないだろう.そういう意味では,この本書のメインプロット自身なかなか面白い読み物になっている.
また所々に見えているドーキンスの脱線振りも非常に愉快だ.肩の力が抜けた本音(あるいは愚痴)がいろいろなところに顔を出しているし,興味深い話題や最近の知見を楽しそうに語っている.イヌやヒマワリの起源,ヘイケガニを巡る議論,トリノの聖骸布の年代測定,レンスキによるバクテリア進化実験のエレガンス,水陸を往復するカメの進化史,オスターの胚発生モデルの簡潔さ,C. elegansの細胞分化にかかる知見の詳細さ,ヒルガタワムシの遺伝子交流,好蟻性昆虫の擬態,キリンの反回神経,コアラの育児嚢の向きなどなど,読んでいて大変楽しい.


しかし私にとって本書の魅力はすこし別のところにある.それは本書のダーウィンへのオマージュとしての性格だ.ドーキンスは本書を「種の起源」と同じように家畜と栽培植物から始め,最終章は「種の起源」の最終パラグラフの現代的注釈という形で終えている.ダーウィンは「種の起源」において,自然淘汰というメカニズムの提唱だけでなく,進化が事実であることも丁寧に議論している.その議論の骨格は現在においても圧倒的に力強いものだ.本書中いたるところにダーウィンへの言及があり,あるいはその文脈の後ろにダーウィンを感じることができる.本書はドーキンスダーウィンに対する深いリスペクトを感じさせるものであるとともに,非常に上品なダーウィンへの頌歌に仕上がっているように感じられる.まさにダーウィン生誕200周年の出版に相応しい書物だろう.

*1:また発生過程が系統的な制約を強く受けていることについてはあまり触れていないのも興味深い.ヘッケルの反復説を巡るややこしい議論に深入りして創造論者につけいる隙を与えるのを避けたのかもしれない.

*2:もちろん地球の年齢が6000年程度だと主張する一部の創造論者ヤングアースセオリストの議論に対するものでもある

訳書情報「進化の存在証明」

進化の存在証明

進化の存在証明


原書を読んでいる途中に訳本が出版され,こちらも参照しながら読み進め,その後通して一度読んでみたものだ.
まずは原書出版から2ヶ月で訳書出版に漕ぎつけたというそのスピードはただ事ではない.おそらくダーウィン生誕200周年に間に合わせたかったということだろうと思われる.
このようなタイトなスケジュールの中,全体に大きな破綻なく翻訳がなされており,進化生物学に造詣が深くドーキンスについて何冊も訳している垂水雄二ならではの仕事だと評価できるだろう.しかしあえていうなら,「ほとんど仮訳のまま推敲できなかった部分も残っているのだが,諸般の事情により出稿を余儀なくされてしまった」感じは否めない.おそらく訳者にとっても内心忸怩たるところもあるのではないかと推察する.
これほどまでに急がせて11月に出版する必要があったのだろうか.この本をダーウィン年だから購入するが,2010年なら購入しないという読者がどれだけいるのかは疑問だ.12月としても,もう1ヶ月時間がとれたはずだ.原書の味わいより固い表現になっている個所を読むたびに「訳者にあと1ヶ月時間を与えることができたなら」と思わずにはいられなかったというのが正直な感想だ.


なお前にも述べたが,邦題「進化の存在証明」のつけ方には疑問がある.「The Greatest Show on Earth」の趣が日本人読者にわかりにくいからと副題「The Evidence of Evolution」の方をつけるのだとしても何故「進化の証拠」としなかったのだろうか.ドーキンスは,冒頭で「進化があったことは,狭い意味では「証明」できるものではなく,歴史的事実の存在と同じように豊富な証拠から得られる推論により事実だと受け入れられているものだ」と説明しているのだから.