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旧町名をさがす会 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2020-01-01 はじめに このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

かつては東京都内に存在し、そして消えてしまった旧町名。

このページは、行政上は消滅したものの、街角の標識などで未だに存在を確認することができた旧町名を紹介するものです。

☆★☆★☆★過去の活動内容☆★☆★☆★

【2002年】進学のため上京。バイトを通じて旧町名という概念を認識する。旧町名よりも再開発予定地の儚さに興味を持つ。

【2004年〜】表現の世界を夢見て主に地下で活動。

【2006年】ようやく地上に出るや否や夢捨てて就職・卒業・引越し。引越し先の向かい側で膨大な旧町名の現存を目の当たりに。都内の旧町名探索開始。

【2010年】ブログ『旧町名をさがす会』開始。みちくさ学会に参画・寄稿開始。

2011年東京お台場東京カルチャーカルチャーで開催の、みちくさ学会発表会で登壇・プレゼン《第1回のもよう》《第2回のもよう》

【2012年】デイリーポータルZ『旧町名を探す旅、についていく』で活動紹介。

【2013年】NPO粋なまちづくり倶楽部主催『ブラカグラ』で講師として講義。

2016年ニッポン放送能町みね子のTOO MUCH LOVER』に旧町名が好きすぎる人として出演。

Twitter102so

2016-07-22

【杉並区】方南町

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【消滅した年】1966(昭和41)年

【現在の町名】方南、和田、和泉

【感想・雑記】東京メトロの駅名として有名ですが以外と旧町名なんですね。町があるかないかだけの違いなので旧町名だとは言い難いところがあります。住居表示の犬め。

丸ノ内線がなぜ枝毛のようにわかれてしまうのか。方南町より先は何か計画があったのか。俗に言うメトロセブンとかいうやつなのか。いっそ荻窪までをつないで環状線にするのはどうだろうか。などと考えふけってしまうほどの夢のある駅、そして町。ぜひ皆様方南町へ行ってみてはいかがでしょうか。

いや、まじで環状線構想は実現すべきではないでしょうか。その場合に考えられるルートは恐らく3つ。環七から東高円寺までをつなぐ小さいものと、西永福をつないで高井戸から環八に入って荻窪までをつなぐ大きいもの。あとはいっそ善福寺川に沿って最終的に荻窪につながるもの。ここはひとつ東京メトロさんには、善福寺川ルート「東京メトロ善福寺線」にチャレンジしていただきたいと思います。この線は、交通難民救世主になるばかりか、水質の改善にもつながる効果が期待できることにしておきましょう。そして肝心の駅をどこに置くか。これはぜひ旧町名の観点から「東田駅」、「成宗駅」、「西田駅」の3駅は設置してもらいたい。これがマストであるならば途中に「成田西駅」「成田東駅」を挟むことも妥協してもいいです。

[発見日:平成22年11月3日]

2016-07-20

【足立区】小台大門町

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【消滅した年】1969(昭和44)年。(ただし、荒川河川敷部分のみ現存し続け平成元年に正式に消滅)

【現在の町名】江北宮城

【町名の由来】(小台)小さい台地。

【感想・雑記】テレビだったら放送事故レベルだと思います。大丈夫です、自覚はしています。これほど更新ボタンをクリックする指が重かった経験は初めてです。皆様の時間とパケット通信費に損害を与えている自覚はありますよ。

わたしたち人間には恐らく生まれながらにして、インターネッツで全世界に公開していいかどうかのレベルというものが感覚値として備わっているのだと思います。ついにその遺伝子レベルのセーフティネットを外してしまいました。そしたらどうでしょう、新しい世界が見えてきました。何だか晴れやかな気分です。今まで散々心で読めとか言ってきましたが、もうぶっちゃけ

読めねえよ!


(いやでも確かにぎりぎり小台大門町のエリアにあったし、番地って書いてあるしその上に町って書いてあるのも読めるんだよね。なんとなく大っていう文字に見えなくもない何かもあるし。絶対そのはずなんだけどなあ。。)

[発見日:平成28年7月2日]

2016-07-19

【文京区】原町

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【消滅した年】1967(昭和42)年

【現在の町名】白山、千石

【感想・雑記】由来はその名の通りその昔このあたりは原野だったことを表しています。お隣の旧町名である大原町に対して小原町とも言われていたとか。そういえば近くには西原町という旧町名もありましたので、どんだけ原だったんですかと。地平線ですかと。富士山は見えましたかと言いたいですよ。見えたんですかねおそらく駒込富士前町だとか、駒込上富士前町だとかが近くにあったわけですから。由来は富士神社ですけれども。

この原町の範囲は西は小石川植物園から東は東洋大学までの広範囲に及んでいます。古地図と現代の地図を主に東京時層地図で対比させると分かりますが、いつからか町内を白山通りで分断されてしまっており、とてもかつては同じ町内であったとは微塵とも感じられなくなってしまっています。白山通りの開通でどれほどの民家が消滅し、そしてどれほどの旧町名がなくなってしまったのでしょうね。

[発見日:平成21年12月26日]

2016-07-18

【四谷區】内藤町

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【消滅した年】1947(昭和22)年

【現在の町名】新宿区内藤町

【感想・雑記】あまりにも有名な旧町名なのでタイミングを逃してすっかり忘れていました。現在、新宿御苑の大変のエリアをしめる新宿区内藤町も、昔は「四谷區」でした。たしかに四谷区民ホールが目と鼻の先にありますよね。

元々は御苑等含めて内藤家の領地。その一部がいわずと知れた新宿の原点・内藤新宿江戸時代甲州街道で最初の宿場町ですね。今の新宿区1〜3丁目あたり。内藤町四谷區に編入される前は内藤新宿町1丁目1〜10番地にありました。

新宿区は、淀橋區、牛込區とこの四谷區の3区が合併して生まれた区としてあまりにも有名です。淀橋区は表札でわりとそこらへんに転がっているレベルで発見することができます。いっぽうで四谷區はこの内藤町以外では見かけたことがない気がします。内藤町もそうですが区名が変わっただけで町名としては生きていることから無意識に軽んじているのか、深く探していないだけかもしれませんが。そして牛込區。現時点では、牛込區原町牛込區袋町の2つで現存が確認できています。ところが、袋町がどうやら消滅の危機に直面しているそうです。行くなら今ですよ。そしてこれを見ている新宿区関係のみなさん。保存するなら今ですよ!まじで貴重な地域資源なんですよ。その価値が伝わらないわからないと瓦礫に飲まれて誰にも知られずに消えてしまうんですよ。どうか保存を。

[発見日:平成21年11月8日]