Hatena::ブログ(Diary)

旧町名をさがす会 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2020-01-01 はじめに このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

かつては東京都内に存在し、そして消えてしまった旧町名。

このページは、行政上は消滅したものの、街角で未だに存在を確認することができた旧町名を紹介するものです。

☆★☆★☆★過去の活動内容☆★☆★☆★

【2006年】引越し先の向かい側で膨大な旧町名の現存を目の当たりに。都内の旧町名探索開始。

【2010年】ブログ『旧町名をさがす会』開始。みちくさ学会に参画・寄稿開始。

2011年東京お台場東京カルチャーカルチャーで開催の、みちくさ学会発表会で旧町名さがしの魅力についてプレゼン《第1回のもよう》《第2回のもよう》

【2012年】デイリーポータルZ『旧町名を探す旅、についていく』で活動紹介。

【2013年】NPO粋なまちづくり倶楽部主催『ブラカグラ』で旧町名さがしの魅力と神楽坂地区の旧町名について講義。

2016年ニッポン放送能町みね子のTOO MUCH LOVER』に旧町名が好きすぎる人として出演。

2017年交通新聞社散歩の達人8月号の『上野周辺 消えた町名の痕跡をたどる』で活動紹介。

Twitter102so

2018-05-22

【杉並区】和泉町

f:id:so102:20180422143806j:image

【消滅した年】1966(昭和41)年

【現在の町名】和泉

【感想・雑記】〜前回までのあらすじ〜下代田町羽根木町と、恐ろしいほど早いペースで旧町名を発見した私は、世田谷区を脱出し、杉並区へ向かったのであった。気温はやはり28度である。

羽根木町を発見したのち、甲州街道を渡ると杉並区へ入ります。甲州街道には空は無いとはよく言ったもので、日本橋をも凌ぐほどの高速道路で常に視界が覆われているような気がします。

杉並区は、中央線を挟んで北と南で旧町名ポリシーが根本的に異なっています。同じく区とは思えません。古い地図などをご覧いただくとお分かりですが、中央線北側は現行町名とは全く異なる個性的な旧町名の数々が広がっています。

一方南側というと、ほとんどが「町」が無くなっただけの状態の現行町名です。特に中央線から離れれば離れるほどその傾向が顕著であるような気がしてなりません。そんな和泉町もそのとおりで現行町名は「和泉」これは目を瞑ってても見つけられるだろう。あまり深みに嵌まらないように甲州街道から遠くならない範囲で探し始めましたが、これは10分くらい時間を費やしましたが、特に問題無く発見することができました。

wiki大先生によると、和泉の町名の由来は、日照りでも枯れることがなかった泉があったことによるものだそうです。そして今は枯れているのだとか。枯れてるんかい。和泉町の泉は枯れてしまいましたが、私の旧町名をさがしたいという欲望の泉は枯れることはありませんよ!というお話でした。その泉は貴船神社にあったそうです。

[発見日:平成30年4月22日]

2018-04-24

【世田谷区】羽根木町

f:id:so102:20180422141002j:image:left

【消滅した年】1965(昭和40)年

【現在の町名】羽根木

【感想・雑記】〜前回までのあらすじ〜開始10秒で下代田町を発見した私は、二代目桐生襲名するとともに、その足で次の旧町名をさがす旅に出かけたのであった。気温は28度である

14時10分頃に下代田町を後にしたもののどこに向かおうか正直決まっていませんでした。南に進むと太子堂、そういえば三軒茶屋町がまだ見つかっていなかった。東に行けば池尻町。これも見つかってない。西は若林町。見つけてる。じゃあ北はどうか。代沢、一部の旧町名が北沢。地味すぎるけど、エリア的に東京市世田谷區があるかも。さらに北は、羽根木羽根木?行ってない。

という葛藤を経て14時20分に羽根木方面へ歩を進めたのです。世田谷区のこの代沢エリアは本当に起伏が激しい。登り坂もすごい。ラージヒルできるわ。k点超えるわ。坂を登りきったと思ったら直ぐに下り坂が用意されていてその先に更に登り坂が。ノーマルヒルできるわ。k点超えるわ。

原田が泣く頃にようやく小田急線辺りまで来たのはいいのですが、ちょうど小田急線が工事中で限られた道からしか線路を越えられない地味なトラップが体力をみるみる奪っていきます。小田急線を越えた先にあるのが京王井の頭線ですがこちらは楽々通過。その後地味な起伏を乗り越えてついに環七までたどり着きました。信号を渡った先に待っていたのが旧羽根木町エリアこと現羽根木です。

この旧「◯◯町」で、現「◯◯」の町だけが無くなるパターン。やり甲斐を感じないからか大体直ぐにみつかるだろうどうせという真剣味に欠ける姿勢で臨んだ結果見つからず、どんどん深みに嵌るパターンが過去に何度もあります。そこで、今回の羽根木には真摯に向き合う気持ちで取り組もうと思い、その場で由来を調べるなどの万全の体制で臨みました。「なになに!生い茂る木に鳥が止まっていたから鳥の羽根と木で羽根木とな!なるほど!本当かよ!」

この謙虚な姿勢が羽根木に受け入れられたのでしょう。

なんと10分ほどであっさり見つかったのです。

それが今回のこれです。この管理が行き届いているかのようなクオリティ世田谷区の文字の向きが逆なのもポイント高いですね。戦前のものと推測されますが、区が「區」ではないんですね。しかしこのクオリティ。おそらくこれは、結果的に残っていたものというよりも、あえて大事に残しているのではないかと思います。たかが「町」の文字の有る無しだけなのですが、この違いを喜ぶ人間もここにいるわけで、とてもありがたいです。

羽根木で感謝の心を取り戻した私が徳をつんだまま次に向かったのは、杉並区でした。

つづく

[発見日:平成30年4月22日]

2018-04-23

【世田谷区】下代田町

f:id:so102:20180422133619j:image

【消滅した年】1971(昭和46)年

【現在の町名】代沢

【感想・雑記】4月なのに夏日でしたね。花粉とPMと2.5とで3月は体調が悪くほぼ1ヶ月間旧町名さがしの活動を休止していましたが、久しぶりのこんな日に限って夏日でした。最近ようやく肌のケアをするようになったので日焼け止めは欠かせません。何せ数をこなすために自転車は必須なのですから。日陰を探す暇があったら旧町名を探すわ。そんな日焼け止めとともに流れた汗が目に入って染みる環境下でも探してきましたよ旧町名を。

この日は13:30くらいに代々木上原駅を下車し、自転車でスタート。襲い来る勾配を乗り越えつつ小田急線の開発がどのくらい進行しているのかを確認すべく東北沢下北沢までほぼ線路と平行に移動したので、代々木上原町はオールスルー。下北沢駅の開発されっぷりもスケジュール的にスルー。新しい下北沢駅と、新しい東横線渋谷駅は死ぬまで見ないことを改めて決意する。

下北沢駅京王井の頭線のガード下をくぐってそのまま南下、代沢三差路交差点を越えて北沢川緑道まで進んで、14:00頃にようやく最初の旧町名エリア「下代田町」に到着しました。

下代田町は歪な形で東西に広がる旧町名ですが、現在の町名からもわかるとおり完全に消滅している旧町名なのです。世田谷区の旧町名は、「◯◯町」の「町」だけが消滅して現町名が「◯◯」というパターンが主流ですので、純粋な旧町名、意欲がわく旧町名というのはごく限られています。今回の下代田町迴沢町くらいではないでしょうか。


そして、1ヶ月間蓄積された旧町名欲と久しぶりの純粋な旧町名という意欲を解き放ちまくった結果、

14:01発見!

話を盛らずにガチで1分で発見することができました。盛ったとしたら10秒ですね。桐生ですよ。このスピード感は。似たような速さで記憶しているのが文京区駒込坂下町ですが、この記事でも恥ずかしげもなく10秒と盛っていました。


30分は覚悟していたので思わぬ時間を確保することができた私は、次の場所に向かったのでした。

続く


[発見日:平成30年4月22日]

2018-04-05

【板橋区】四葉町

f:id:so102:20171103160003j:image:left

【消滅した年】1972(昭和47)年

【現在の町名】四葉、赤塚、赤塚新町など

【感想・雑記】新旧町名の違いが単純に「町」の有無でしかないものと一見思いますよね。ですが、今回見つけたこれは「飛び地」の四葉町に残っていた旧町名なんです。

四葉町がまとまって形成していたエリアが本来の四葉町としましょう。これは現在の板橋区四葉のまさに本来の四葉といえますね。なので単純に新旧町名の違いが「町」の有無だけという前述のコメントが当てはまります。現に、そのような現町名は都内でも多く、その地域の方にとっても町だけの違いならば、何もわざわざ表札を作り変えるほどのことでも無いと思うのが自然でしょう。せいぜい町の文字だけを削り取るかビニールテープを貼るかぐらいなはずです。「何もわざわざ」この心理状態のおかげでそのような地域には旧町名はほぼ残っている傾向が強いわけですが、この四葉についてはその傾向にはありませんでした。本当にどこにも残っていないのです。本来の四葉エリアなのに。町だけの違いなのに。ちゃんと四葉の状態の表札に直されているんですね。

そして今回の四葉町は、本来の四葉エリアから遠く離れ、東上線沿線あたりまで南下した一区画が「飛び地」としての四葉町がひっそりと存在していました。飛び地でしかも本来の四葉エリアよりも都市化が進んでいるような場所で現町名が赤塚、赤塚新町な訳ですから残っているとは誰も思いませんよね。あったんですよ。飛び地に。明らかな空き家ではありましたがちゃんと残されていたんです。かつて四葉町の飛び地だったことを現在あの地域に暮らしている方のうち一体どれほどの方が認識して生活しているのでしょうね。「なんで住所が赤塚なのに遠くの四葉が表札に書いてあるんだろう?」通りかかる方でこのような疑問を抱いて、そこから何やかんやで旧町名に興味を持ってもらえたら良いなと願います。

しかし、この感動をこの写真では伝えるのが難しい!是非現地で確認してみてください。

[発見日:平成29年11月3日]