イギリスはヨーロッパではない


今年の夏、ヨーロッパを燎原の火のように広がった「ユーロ危機」対岸の火事の如くの涼しい顔で、オリンピックに続いてパラリンピックに湧いたロンドンですが(オリンピック期間中は、涼しさを通り越して夏とは思えない低温だったらしいですが)、そのロンドンを首都として戴くイギリスという国について、私の個人的考えを書いてみたいと思います。
常日頃、一般的世論とはちょっと違う意見を書いている私ですから(自覚あり)、非常識と眉をひそめる向きもあろうかと思われますが、


イギリスはヨーロッパではない


と言ってみたいのです。「何を訳のわからないこと言っているんだ!イギリスはEUの一員であり、『ヨーロッパではない 』どころか『ヨーロッパの中のヨーロッパ』ではないか?」とおっしゃる常識ある皆様に、ではその根拠を問うてみたいのです、「何故、イギリスはヨーロッパだと思うのでしょうか?」と。イギリスがヨーロッパと共有しているものは何なのか?

私とて、「クマのプーさん」「メアリー・ポピンズ」「秘密の花園」「ガラスの城」を読んでいた幼き日よりずっと漠然と、「イギリス、フランス、ドイツ、イタリアっていうのがヨーロッパの本流なんだろう」と思っていました。中でもイギリスは、王様たちが最早いなくなってしまった他の国と違って今でも女王さまが宮殿で暮らしていて、公爵とか伯爵とかのタイトルを持った貴族がいてお城があって、イギリスこそが「ヨーロッパ」らしいのだ、と思っていたのです、長じてのち夫の駐在でドイツという「大陸側」に住むことになるまでは。しかし、「大陸側」に住んでわかったことは、

イギリスはヨーロッパではない

ということです、ドイツ人もフランス人も真顔でこう言いますからね。
確かにイギリスはEUには加盟していますが、世界史に強い方なら覚えていると思いますが(私は現代史はすっかり忘れてしまっていましたw)、イギリスは実は1958年EUの前身である欧州経済共同体創立時のオリジナルメンバー(フランス、イタリア、ドイツ、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)ではないのです。この六カ国に遅れること18年後やっと1973年になって加盟したのがイギリスです。そのイギリスは、「ヨーロッパの常識」から考えると色々とガラパコスなのです。以下、イギリスが大陸(ヨーロッパ)とは違うことを挙げてみます。



・度量衡がメートル法を採用している大陸とは違い、イギリスでは生活上は未だにヤード・ポンド法である*1
 重さ:ポンド、オンス、
 長さ:インチ、ヤード、フィート、マイル、
 かさ:パイント、ガロン
昔、イギリスやアメリカの小説を読んでも今ひとつしっくりこなかったのは、この度量衡のせいだと思います。「シャーロック・ホームズの身長は『6フィート1インチ』」と言われてもピンときませんし。またお菓子作りをする方ならわかると思いますが、イギリス発祥のレシピや料理本だったりすると、「バター 225g」とか、「バター 226g」とか書かれていて、「何なの、この切りの悪い数字は?」と思われたことがあると思いますが、これは「1/2 £ (発音はパウンド)」なのですね、翻訳する時に、1£=0.453 592 37キログラムを機械的に二分の一にしたからなのです。大陸では私たち現代の日本人にも馴染み深いメートル法なのですけどね。ドイツでもフランスでも、ガソリンはリットル、お肉はグラム(キログラム)、お料理のレシピもグラム、車のメーターはキロメートルで、如何にもユニバーサルです。しかし、イギリスは違うのです(現在進行形で移行中ですが)。



・イギリスの通貨は、ヨーロッパ共通通貨のユーロではなく、ポンドである
これはヨーロッパにいると特にそのイギリスの特異性が際立ちます。例えばEUに住むビジネスマンが域内の他国に出張する場合、別に両替する必要はありません。いつも使っている財布をそのまま持って行けばよいのです。ドイツで使っている財布からユーロ札を出して、パリでもブリュッセルでもミラノでも使えるのです。国内旅行と何ら変わるところがありません。ところが、イギリスに出張する場合は、別に「ポンド用の財布」を持っていかねばなりません。旅行者も同様です。ユーロ統合以前は行き先がイギリスに限らず、国外に出る時には両替が必要だったのでしょうが、これが共通通貨に慣れてしまった身には何とも煩わしく、「イギリスは、ユーロ圏(=ヨーロッパ)ではない」という認識に繋がります。おまけにイギリス人自身が今回のユーロ危機に際して、「ユーロに参加しなかった我がイギリスの判断は正しかった」という意識を持っているのですから、尚更です。



・イギリスはシェンゲン協定に参加していない
これも通貨同様、もしかしたら通貨以上に「イギリスはヨーロッパではない」という現実が目立つものです。シェンゲン条約とは、「協定参加国間は、国境検査なしで国を往来できる」というものなのです。これは協定参加国の国民のみならず、そこに居住する外国人に対しても適応されますし、日本からの旅行者も、日本→ドイツ→フランス→イタリア→スペイン→日本、と旅行する場合でもパスポート検査は最初にドイツに入国した時と日本に向けて出国するスペインで受けるのみ、です。つまり加盟国が大きな一つの国であるかのような扱いになっています。が、イギリスはこれに加盟していません。例えば、ドイツから出国して飛行機であれ鉄道であれフランスやイタリアやスイスに入国する場合、ヨーロッパの殆どの国が参加しているシェンゲン協定参加国域内では、パスポート無しで行き来ができるのに、大陸からイギリスに行くにはパスポートが必要です。勿論反対に、イギリス人がフランスやイタリアに商用や観光で行く時にもパスポートは必携です。これに関してもイギリス人自身が、この「ヨーロッパは一つ」という仕組みに背を向けて、不便を嬉々として受け入れて(マゾ?)いるということを見て、大陸の人々は「イギリスはヨーロッパではない」と言うのかもしれません。



・大陸では、自動車は左ハンドル、道路は右側通行であるのに、イギリスは右ハンドル、左側通行である
経済に疎い私なぞは、これがイギリスの自動車産業衰退の最大の理由ではないか、と真剣に思うくらいです。実際、大陸では「イギリス人ドライバー」は「危ない運転」の代名詞でもあるくらいです。かく言う私も、イギリス人ではありませんが、右ハンドル&左側通行の極東の島国から、はるばるヨーロッパ大陸で運転する破目になった経験がありますが、最初の頃は運転する前に、「私は右側を走る。左折した時は、左側車線ではなく右側車線に入る。」(←左折は慣れないと特に危ない!)と念仏のように唱えて自分に言い聞かせてからでないと自分でも運転が不安でしたね。この「左側通行・右側通行」については、別の視線からエントリーを書かせて頂いているので、そちらも見て頂くとして(もし私が車だったら、それもフェラーリだったら、絶対に日本で暮らしたくない、理想の国はドイツ。)、世界的にも極少数派である左側通行(はっきり言って、イギリスの旧植民地と、植民地ではなかったのに日本くらい)を、右側通行がスタンダードな大陸と狭小な海峡隔てた場所で嬉々として続けているのがイギリス人なのですね。面白いことに、イギリスの植民地であったアメリカは、度量衡は宗主国イギリスのものを受け継いでいますが、車は左ハンドル右側通行なのですが。



ヨーロッパ大陸では、母国語以外に複数の言語を喋ることができる人も珍しくないのに、イギリス人は母国語の英語以外の言語を喋る人が極めて少ない

Wikipediaの「欧州連合の言語」のページによると、「EUは域内の市民に対して複数の言語を話すことができるように努めており、とくに母語に加え2つの言語が話せるようになることに力を入れている。」そうなんですが、イギリスは、「母国語以外は喋れない」人の割合がとても高いのです。イギリス以上にヨーロッパ大陸から離れているアイルランドの66%に次いで高い割合の62%です*2。ちなみにこの「母国語以外は喋れない」国民の割合は、EU25カ国平均が44%、ルクセンブルクに至ってはたったの1%、フランス語至上主義のフランスでさえ49%です。つまり、「イギリス人はかなり語学ができない」のです。日本人としては、島国であるということに加えて、この「語学ができない」部分に親近感を持ってしまうところですが、そりゃ、母国語の英語で世界のどこにいってもごり押しできる状態では、外国語を学ぼうという気も失せようというものでしょう(←ここが日本語というマイナー言語しかできない日本人とは違うところ)。しかし、「どこでも英語が通じる」ことに甘えて外国語を学ぶモチベーションを持たないというのは、それでよいのでしょうか?母国語以外に複数の言語を操るヨーロッパ大陸の住民に比べて、思考経路や思考の幅は変わってこないのか?それがひいては国家の戦略を考える時に影響してこないのか?そして、英語ができるフランス人やドイツ人がイギリスに関することを知りたい時は、直接英語で情報を得る一方、逆にドイツ語やフランス語ができないイギリス人は、フランスやドイツに関して知りたいことがあっても、英語に翻訳されたものしか(欧米言語間の自動翻訳はかなり精度が高いそうですが)得られないということになります。イギリスがイギリス独自の道を進むのは構わないのですが、母国語以外の言語を喋る人々がますます増えているヨーロッパ大陸とは、ドーバー海峡以上の隔たりができてしまうかもしれません。



さて。


イギリスと日本が同じく島国であったり、王室や皇室が今も尚国民の精神的中心に在ることだったり、議院内閣制であったり、色々と共通点を見いだして、イギリスに対して親近感を抱く日本人も多いのですが、どうやらそれは片思いに過ぎないのではないかというのが、私の印象です。いえ、日本からの一方的片思いどころか、日本人の大きな勘違いではないかとさえ思わされます。

「Remembrance Day 」というイギリスの記念日をご存知でしょうか?辞書をひくと、

(英国の第一次・第二次大戦の)戦没者追悼記念日 ※解説 11月11日に最も近い日曜日;傷痍軍人が作った赤い造花のケシをつけるのでPoppy Dayともいう。

とありますが、これは極めて不十分な説明です。もう何十年も前のことですが、11月にロンドンを訪れたことがあります。道行く人々の多くが、この赤い造花のポピー

を胸に付けて歩いていました。ホテルの部屋のテレビをつければBBCのアナウンサーが、日本における赤い羽根共同募金の時期のように、赤いポピーを胸につけてニュースを読んでいました。当時無知で無邪気だった私は、「あの可愛い赤い造花は何の象徴なのかしら?」と不思議に思って、滞在中に一度一緒に食事をした、ロンドン駐在の日本人の方に尋ねて初めて知りました。あれは、戦没者、特に軍人としてイギリスのために戦った人たちに感謝し彼らの功績を忘れないための象徴である、と。そしてイギリス人はあけすけに名指しをすることはしないが、ナチスドイツと、日本に対してそれは向けられている、と。私はそれを聞くまでの数日間、観光客としてロンドンのあちこちに行っていたわけですが、確かに露骨に嫌な顔をされたりしたことは一度もありませんでした、が、後知恵かもしれませんが微かに冷ややかなものを感じていたのも事実でした。そしてその後丁度第二次世界大戦終結60周年、という節目の時期にヨーロッパはドイツに駐在することになり、またしても赤いポピーとそれを胸に付けるイギリス人を目にすることになったわけです。
第二次世界大戦終結60周年は、先ず2004年の「D-Dayから60周年」の記念式典から始まりました。フランスのノルマンディーで行われたその式典には、旧連合国の元首、首脳がこぞって出席しただけではなく、ドイツのシュレーダー首相も初めて招かれて出席(但し第一部は旧連合国オンリー、その後の第二部に招かれていた記憶があります)した式典であり、また、第二次世界大戦を戦ったイギリスの退役軍人(かなり高齢の方が殆ど)も、勲章と共にあの赤いポピーを胸に付けて出席していました。
BBCやF2(フランス公営放送)は勿論、ドイツのチャンネルも生中継していました。シラク首相の感動的な和解のスピーチ*3があって(英語で読んでも感動的!)、彼がシュレーダー首相と握手のみならず抱き合うシーンも放送されていました。第二次世界大戦でお互いに戦った二つの国のトップが抱き合っている映像は、ヨーロッパにおいて戦争が完全に総括され和解が完成されたことを、何よりわかりやすい形で示すことができたといえます。
それをテレビで見る日本人の私。私は日本にいた時に、映画史上最大の作戦がテレビで放送されるとビデオに撮って、この名作と言われる映画を見たものです、何故か連合国側の視点に立って。イギリスの空挺部隊を応援し、アメリカ軍が何度も上陸にアタックするのを応援し、フランスのレジスタンスの人々を応援する一方、官僚的で無骨なドイツ軍の失敗を笑いながら見ていたのです、何と奇妙で何と滑稽なことでしょう、ノルマンディー上陸作戦とほぼ同じ時期に、日本軍とイギリス軍はインパール作戦で戦っていたというのに。私のこの脳天気さ、平均的日本人である私の「無邪気」では済まされないこの「無知」、これこそが戦後日本の問題点を象徴していると今は思わされます。第二次世界大戦が終わって50年、60年という節目にアジアの国々でも行われた記念式典に、日本の首相は招かれたでしょうか、出席したでしょうか?テレビで中継されることを存分に意識した「D-Day 60周年」の演出を見ながら、日本人としてやりきれない気持ちになりました。
2005年の5月にはロシアで「対独戦勝60周年記念」のパレードが、旧連合国に加えて、驚くべきことに勝利した相手のドイツ、そしてそれに加えてイタリアや日本の首脳も招いて催されました。
そして2005年の8月15日。日本でも「終戦記念日」ですが、イギリスでは「VJ Day」という、モロに、というか、そのものという、日本を名指しした対日戦勝記念日 Victory over Japan Day」それも60周年の記念の年でした。数十年前に赤いポピーで「Remembrance Day」のことを知った私ですが、ドイツに赴任して何と初めてその「VJ-Day」の存在を知りました、無知の上塗りです。10年前1995年の50周年の時の方が節目としては大きなものであったことは想像に難くないのですが、この時のイギリスの様子は日本に暮らす殆どの日本人(私も含めて)が知らないまま、つまり日本国内では殆ど報道されないまま終わってしまったのですが、その時期にイギリスに住んでいた日本人はそれはそれは居たたまれない思いをされたようです(マークス寿子氏の「戦勝国イギリスへ 日本の言い分」

戦勝国イギリスへ 日本の言い分 (中公文庫)

戦勝国イギリスへ 日本の言い分 (中公文庫)

にとても詳しく描かれています。)。「VJ Day」60周年は、流石にドイツ国内のテレビではニュースでちょろっと流れた程度でしたが、BBCでは第二次世界大戦中の映像が長い期間流れていました(ずっと見ていた訳ではありませんが)。その映像とは、逆に「敗戦国」の日本人は殆ど目にしないものでした。過酷な環境の中、泰緬鉄道を建設するイギリス人捕虜の痩せこけた姿とか、日本軍に拷問を受けた痕を示す元軍人の姿とか、多分日本人の多くが、第二次世界大戦で自分たちが負け、そして国土を占領されたアメリカからも示されたことがないような、日本人であることを恥じてしまうような、胸が悪くなってチャンネルを変えたくなってしまう映像ばかりでした。本当に50周年の時には、どれほどのものだったでしょう。そして何故それを日本人は知らなくて、知らされていなくて、50周年を迎えた1990年代と言えば、「イングリッシュ・ガーデン」や「ピーター・ラビット」や林望氏の「イギリスはおいしい」シリーズがブームになった頃だったのです。イギリスには「VJ-Day」、そして「Remembrance Day」というものがあるということを、どれだけの日本人が認識していたか?
「Remembrance Day」は、◯◯周年というものがありません、前述したように、辞書では「第一次・第二次世界大戦戦没者を追悼する」ということになっていますから。しかしだからこそ、「終わり」も「時効」もないのです。国家の政策として行われている、中国や韓国の反日教育とは全く違いますが、それでも国を挙げて、戦争中に日本からされたことを「忘れない」ことを毎年確認している国なのです、イギリスは。戦後に生まれたイギリス人も、毎年一年に2回、「VJ-Day」と「Remembrance Day」に、自分たちの父親、叔父伯父、祖父が日本軍に酷い目に遭わされたことを、記憶に上書きしているのです。
中国や韓国の人々とは違って、イギリス人が抑制的な国民で、日本製品をボイコットしたりイギリスに進出した日本企業の工場や店舗を破壊したり日本人と見れば殴り掛かったり、ということを幸いなことにしないだけであって、彼らにとってまだ第二次世界大戦での日本との交戦は、決して「時効」にはなっていないのです。イギリスに対して勝手に親近感を抱いている日本人は、自分たちが見たいものだけしか見ていないのだと思いました。
そう思って色々なことを見直すと、また別の形が現れてきます。例えばイギリス王室は、本当に日本の天皇陛下及び皇室に対して親しみを持っているのかどうか?Remembrance Day には、エリザベス女王を初め王室メンバーも赤いポピーを胸につけています。



また定期的に喚起される捕鯨国日本バッシング」も常にイギリスが発信地です。私は、「イギリスも日本と同じく海洋国で、ヨーロッパの中では魚をよく食べる国なのにどうして日本の捕鯨を、あんなにも執拗に批判するのだろう?」と思っていましたが、その根底には「日本人は残虐な国民である」という、過去60年以上に渡って刷り込まれた先入観があるのだと思います。
一方、ヨーロッパ大陸では、やはり捕虜が日本人に虐待を受けたとされているオランダを除いては、旧連合国のフランスは日本とはほぼ交戦していませんし、ドイツやイタリアは一応枢軸国側であったので、日本と日本人に対して「憎しみ」とか「敵意」はないように思います、黄色人種に対する偏見は確かにあると思いますが。つまり、日本に対して好意的、もしくはニュートラルな大陸に比べて、イギリスは違うのです、まだ戦争は忘れられていないですし、当時の生き残りの軍人の方々がお亡くなりになっても、イギリス人はずっと「Remembrace」するのでしょう。イギリスはヨーロッパとは違うのです。


今年は昨日がその日「Remembrance Day」だったようです。相も変わらず今年も日本では報道されることなく過ぎていきましたが。BBCのスキャンダルのニュースでも、胸に付けられていましたけど、赤いポピー。



身近な度量衡や貨幣や車のハンドルのみならず、往来や言語など現代の世界での生き方までヨーロッパと意地でも同化したくないかの如く見えるイギリス。
ユーロ危機の責任を共有しないイギリス。
そして嘗ての敵国の大使館に向けてデモをしたり暴力に訴えることはしないけれども、「記憶に留める」ことを国を挙げて続けているイギリス。


日本がイギリスと似ている点があるとすれば、ただ一点。強大な大陸から微妙な距離にある島国、という、国が置かれた地理的な条件だけです。その他の上に挙げたイギリスの在り方を大いに参考にするのか、他山の石にするのか、それはこれからのことですが、その前に、そのイギリスと日本の関係について、もう一度目を開いて、知るべきことは知らなければ、いつまでたっても、本当のイギリス(私たち日本人が見たいイギリスではなく)には辿り着けないのではないか、と思った、ウェッジウッドティーカップハロッズの紅茶を飲んでバーバリーのマフラーを巻きたくなる季節の今日この頃。

*1:法律上は「メートル法」に移行しており、メートル法で表示することが義務づけられていますがが、「ヤード・ポンド法」で単位が表記されることも容認されています。

*2:http://ec.europa.eu/public_opinion/archives/ebs/ebs_243_en.pdf の中の10ページ目

*3:英語に翻訳されたもの→ http://www.daysofwonder.com/memoir44/en/content/chirac/?game=base