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嬬恋村の自然と風土みてある記

2017-01-18

閲覧について


お知らせ

前回の記事以降、Windows10による閲覧に障害が発生していることが判明し、掲載を中断していました。しかしWindows7やスマホからの閲覧は支障が無いことから徐々にアップしてみようと思います。(不慣れなので私の方から十分な対策が講じられずご迷惑をおかけしています)

2016-11-16

三文の徳?早朝散歩してみました

早起きして高原を歩く

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さすがに立冬も過ぎると気候も安定し空気も澄み出したが、今年は紅葉が遅れぎみなので早朝の散歩もいつもと違った趣があります。この一週間早起きして色々な所を歩いてみました。
写真,六々行く浅間牧場です。このシーズンは日本鹿によく出会いました。また牧草もまだ青々しているので牛さんたちが牧草を食べる姿に出会ったりして早朝は動物にたくさん出会います。写真下はバラギ湖と四阿山ですが、風のないバラギ湖は本当に穏やかで紅葉した四阿山と相性がいい感じです。写真△六笋住む集落でスーパームーンから2日後です。払暁という言葉を実感するのもこのシーズンでしょうか。

「早起きは三文の徳(得)」・・・三文ってどの位のもの?

ごく僅かな徳があるという早起きですが、三文ってどれほどの額なのか気になって調べてみると、江戸時代の安定した1800年代前期あたりで1文が40円前後のようですから早起きは120円ばかりの価値ということに。なので、積み上げないと徳も備わらないってことなんですよね。
ところで、この時代に栄えていた嬬恋宿場「大笹宿」から今の軽井沢沓掛まで5里半を馬に乗ってタクシーのように利用すると204文が料金として決められていたようです(上田までも同じ料金でした)。今なら8160円。な〜るほど、今のタクシー代に近いですね。また宿場では旅人用に草鞋(わらじ)がたくさん用意されていたでしょうから草鞋をみると2足で80円。安い例えで言われる『二足三文』がわかりました。そういえば三文役者とか三文小説とかいうのもありましたが。

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2016-11-11

チョウセンゴミシの生命力と効能に驚く!?

不思議な蔓木 チョウセンゴミシ

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f:id:t-shimoya:20161111115717j:image:w360:left毎年、山野で見かけるチョウセンゴミシ朝鮮五味子)を時々収穫して楽しんでいるけれど、同じ蔓木なのに毎年、収量が違う。それだけではなくまったく果実が付かないこともあるし、付いても成熟しない房もあって、結果的に私は毎年違う場所で採取することが多い。高冷地に自生する木なのでそういうものと思っていたが。

侮れないゴミシの実

山野の果実には薬果実として効用が云われる物も少なくないけれど、即効を期待する現代人?には、ついつい半信半疑になってしまうものばかりで私も人に勧めることをはばかるのが殆ど、というか実感したこともなかったのですから。ところが手元のゴミシの実が乾燥してしまったから、ついでに煎じて飲用していて気付いたのは夜良く眠れること、そのせいか疲れがいつもより残らないというちょっと不思議な感じがあったのでさらに興味を引いたのでした。

ゴミシの効能?

ゴミシの効能はネット上でもたくさん書かれていますから見ていただくとして、一応、歴史的には中国王朝などで広く愛用されたのは美肌効果や記憶力の向上とか催淫作用があったからと言われます。日本ではアイヌの人は風邪薬として利用したとか。現在言われる主な効用として、抗酸化作用、肺など呼吸器系の改善作用、血行促進などの心血管機能改善作用それに強壮作用などです、参考までに。

えっッ!自分で性転換する蔓??

ところで、ゴミシは中部以北から北海道に分布する蔓性の木ですが、これまで雌雄異株と言われていたので疑いませんでしたが、年によって実が成らなくなる株があり、気候の理由だけではなく勝手に実が付かないことに違和感がありました。ところが驚くことに最近ゴミシは「雌雄同株」だと言われているのです。
北海道立総合研究機構の山口陽子氏の研究文によると、自然界には雄花だけの株、雌花だけ、花をつけない無性のもの、それに雌雄両方を付けた両性の株があって、研究対象地の株はなんと3年間に47%が性が変わったことを突き止めた、つまりゴミシは年によって性を変える、自分で性転換する植物だと結んでいました。
驚くべき植物の生命力を見たきがしましたが、私が見た同じ株が年によって全く実を付けなくなったことにガッテンでした。また雌雄同株の蔓が自家受粉すると収量が少ない房になったり、成熟しないままの実となることも考察してあって、すっかりゴミシを見る見方が変わりました。

五味子・・・甘い、辛い、苦い、酸っぱい、しょっぱい・・・の五つの味。
普通の人は酸っぱく感じるのだそうですが、ほかの味を感じる人はそれに対応する身体機能が・・・。気になるひとはネットで探してみてください。ついでで恐縮ですが、あなたも飲用している?栄養ドリンクにもチョウセンゴミシが入っているものがたくさんあります。是非検索してみてください。「チョウセンゴミシの入ったドリンク剤」です。ゴミシの力を思うはずですが如何でしょう。

写真下:11月10日の浅間山です、もう冬に入りました。
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2016-11-05

「愛の始まる樹」の丘

ヤドリギ実って婚活?・・・『愛の始まる丘』の樹、浅間牧場です。

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f:id:t-shimoya:20161104144941j:image:w360:left澄みわたる青空だったから散歩コースを変えて浅間牧場にでかけると、高台には紅葉した浅間高原を楽しむ人が昨日はたくさんいました。丘の途中に残されているミズナラの巨木(昔、日本で最初のカラー映画に登場したスター樹です)もすっかり秋色に変わっていました。近づくと、いくつものヤドリギが着生していて黄色の実を着けていて歳月を重ねた風格と品格が宿っているような木になりました。

人々を優しく見守るような巨木にいくつも着生したヤドリギ・・・欧米ではクリスマスの日にはヤドリギを飾り、その下で出会った男女はキスしてもよい・・・という風習
残されていて、拒否は縁起が悪くて翌年は結婚できないとまでささやかれてきたと言うので婚活のない時代、それはとてもワクワクする出会いのイベントだったんでしょうね。
キャベツを食用野菜に最初に栽培したと言うケルト民族は、ヤドリギもまた一族の特別な樹とされ、幸福・安全・幸運をもたらす木でしたから、飾られたヤドリギの下で男性は女性にキスをしてもよいと言う出会いの婚活ウイークを設けて子孫の繁栄に繋げたのでしょうか。

※浅間牧場のミズナラ(写真下)は「カルメンの木」として案内されています。そしてヤドリギの実は枯葉の落ちたミズナラの樹にオレンジ色になってクリスマスを迎えます。

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2016-10-30

「こんまるはじき」と呼ばれる長寿の実!?

自然の恵みをジャムでいただく

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f:id:t-shimoya:20161014163430j:image:w360:left料理好きな友人Fにいただいたジャムは浅間高原に自生している「こんまら」の実で作ったという。そんな名前の実知らないなあ、大丈夫か?と聞けば・・・「ナツハゼ」と世間では言っている実だという。たいそうに老化防止、眼に良い!というから調べてみると、ナツハゼ(夏櫨)はブルーベリーよりポリフェノールが強くて、アントシアニンも多いと書いてあった。なあるほど。なんでも健康に結び付ける高齢者の会話には知恵がつまっている、ときもある。
※この辺りでは「こんまるはじき」は「こんまらはじき」ともよばれています。

2016-10-28

なぜ、浅間山には鬼がいるといわれたのか。

浅間山は鬼が棲んだ山?

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f:id:t-shimoya:20160215141425j:image:w360:left地元では浅間山噴火、爆発すると、鬼が怒った、鬼が暴れたと言ってきた。流れ出た熔岩さえ「鬼押し出し」熔岩と言うくらいだ。黒斑山に登れば見える牙山は鬼の歯の山と伝えられる。山頂にあるべき剣ヶ峰は牙山の横に鬼が剣を持つように並び立つ。ところで北国街道から見る浅間山鬼門の位置にあるので当然のように昔から鬼が棲む山だと誰もが思うのも不思議ではありません。でも鬼の話は日本各地にありますから、浅間山だけ強調されて残るほどでもないのですが。そこには千曲川沿いに伝わる鬼の伝説ともかかわってきたと思えるのです。

何故「紅葉狩り」と言うのでしょう
北国街道沿いの戸隠鬼無里別所温泉などには鬼の美女伝説が残り、そのモチーフが平安時代から江戸時代にかけて、能や歌舞伎などで「紅葉狩り」という舞台が演じられ流行っていました。都から信濃に移り住んだ鬼女はやがて夜な夜な悪事を成すのでついに都から平維茂(たいらのこれもち)が討伐にやってきて討ち取るという仕立てのようです。鬼女の名前は「紅葉(もみじ)」。紅葉狩りとは昔、鬼狩りのことを指していたんですね。
戸隠には鬼女と戦った場所が残され、「鬼切」という地名もあるといいます。また別所温泉には平維茂の墓まで残されているとか。 紅葉狩りに代表される鬼だけではなく、修験系の天狗の話と混ざって千曲川沿いは鬼の話が多く語られていて、浅間山にも至極当然のように鬼が信じられてきたのでした。ところで鬼無里村は10月16日、第17回鬼女・紅葉祭りが行われる、と流れていて鬼に係る文化を繋いでいます。千曲川沿いから浅間にかけて、鬼は広く信じられていた風土がありました。 
ところで浅間山の鬼もやがて虚空蔵菩薩によって善鬼となり、ふもとに鬼神堂が建てられ崇められたと伝えられていますが、度重なる噴火鬼神堂は今は見当たりません、いま菩薩は北軽井沢地内の桜岩地蔵地に残されています。

写真上:浅間山鬼押し出し熔岩流の斜面
  3番目は上田市白山神社に飾られている鬼です。 
  下は四阿山から見た浅間方面です。


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2016-10-20

ただいま、写真がアップできなくて掲載を休んでいます。

PCの不調?のためか、写真が掲載できず、記事を休んでいます。
ご覧になっている皆さんには恐縮ですがしばらくお待ちください。(下谷)

※PCを更新しました。再開したいと思います。(10/28)

2016-10-06

 浅間牧場 駆け足、加速する秋

浅間牧場 その2

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f:id:t-shimoya:20161004093321j:image:w360:leftこの季節の浅間牧場はとてもお気に入りですからよく訪れます。
最近は、昔の地名なども見て訪ねたりしますが、昭和19年ごろの地形図書物に載っていましたから見てみると「黒豆河原」とか「躑躅が原(つつじがはら)」と最近まで呼ばれていた地名が記されて楽しいですね。黒豆とはいわゆる浅間ぶどう、最近は浅間ベリーなどと言われる果実のことです。それから躑躅が原と言う地名はここが天下のツツジ景勝地だった証です。日本で最初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」はここが舞台でした。またこの高原を走っていた草軽電車もツツジの花のシーズンになると祭りのためにとても混んでいた記録が残されています。いまは考えられない高原の様子です。

そうそう、一方でS19年〜20年は浅間山も活発に活動をしていました。例えば20年の3月だけでも噴火は20回そのうち大噴火1回、中噴火6回あったと残されています。昔から「浅間が活発なときは戦争がある、不況になる」と古老が言い伝えています、納得ですね。因果はわかりませんが前年の12月17日には三河大地震もありました、戦時中でしたから騒がれなかったのでしょう。
噴火軽石層の土地に好んで自生する黒豆レンゲツツジを人々が楽しみ、噴火のたびに火山を畏れて暮らした時代が地図に残っていました。

写真:レンゲツツジの版画は伊藤深水の信州10景のひとつです。
   4枚目はウメモドキ、その下はチョウセンゴミシで次がサルナシです。いずれも浅間牧場付近です。
※地図の「岩窟ホール」とは今の「鬼押出し園」のことです。

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2016-10-02

山河星霜 10月になりました.

久しぶりに陽ざしの下を天丸山まで。

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f:id:t-shimoya:20160930142836j:image:w360:left旧暦重陽の節句が今日の2日にあたるとか。雨ばかりだったのでありがたさも半々ですね。昨日は久しぶりに浅間牧場のハイキングコースを歩いて天丸山(1,345m)まで行ってきました。ほぼフラットなのでお気に入りのコースです。
紅葉も急に季節を走り出した感じで、木々の実がとてもキレイでした。
ホウノキの花の形見は鮮やかな色をして葉のグリーンとベストマッチ。一本だけあったウメモドキは赤い実がビッシリ。植栽したと思われるヤマボウシにはたわわに実った果実がいっぱい。コナシの実も大豊作でしたし、ゴミシの実も真赤々(写真ありません)。天丸山の頂上にはナナカマドの実も鮮やかに色付いて迎えてくれました。すっかり秋、10月なんですね。
天丸山でベンチに座り正面の小浅間山を眺めながら・・・ここで70年ほど前に若い技術者たちがタイムリミットに間に合わせたい一心で不眠不休の開発をした物語を思い出しました。

日本で最初のロケット、ここに眠る。

この天丸山から見渡す浅間山麓一帯は戦後まもなく進駐軍よりアメリカ軍の演習場に指定されたことがありました。軽井沢町などでは大反対運動が起り、争議のすえに米軍から取り戻した高原でもありましたが、今は長閑な牧場の光景です。
ところがこの争議の年、いま私が座っている足元から、戦時中の弾道弾のような大きな遺物が見つかり、たちまち町関係者は危害を恐れて埋設関係者を探してみると、元海軍技術研究所が極秘で開発・発射の試験地であることが解ったのでした。
その会見記事によると・・・埋もれていたのは、世界で唯一の無線誘導ロケットだったという事でした。にわかに信じがたい話に当時のマスコミの反応も冷たかったようですが、のちにその全容も明らかになり、数々の独自技術で開発された日本で最初の誘導液体ロケットであり、この浅間高原の一角で完成していた、つまり日本のロケット発祥の地がこのまさに天丸山ということでした。

関係者のコメントが残っていて「あれは、今なら地対空誘導ミサイルです、B29撃墜を狙って、終戦ぎりぎりまで頑張ったんですが、間に合わず埋めたものです…」と。開発した吉田大尉は、爆発処理を命じられたが、仲間と不眠不休で開発できたと思うと、埋葬して浅間を去った、と後にコメントを残してしていますが、とても普通ではない処理の心情が偲ばれて長く私の中に残り、いつ来てもここの標柱が、若き技術者たちの「青春の墓標」の印象がある場所です。人を乗せずに敵機を撃ち落とす無線誘導ロケット開発に賭けた若き技術者たちの執念と、熱い技術者魂が今も埋まっている天丸山です。

写真下:この階段付近から正面の向こうの小浅間山に向けて発射試験が繰り広げられました。
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2016-09-20

浅間山は縄文人を潤したか。

日本最古の人骨が洞窟・岩陰から見つかった!

古代史に係わる大きな発見や新たな解釈が出るたびに、自分たちの祖先はどこから来たのかという血が騒ぎ想像力浪漫も駆り立てられる気分です。
つい最近、隣町(長野原町)の岩陰遺跡から8,300年前の縄文人の人骨が見つかった、とアナウンスされました。(初めにことわっておきますが、昔は町村境も無ければ県境も当然ありませんでしたから、このニュースはここ一帯に係わる一大関心事です)

f:id:t-shimoya:20160920113903j:image:w360:left長期に住居として利用されたからその灰が骨を保護していたという今回の遺跡は「居家以(いやい)岩陰遺跡」と呼ばれ、縄文早期中葉の人骨を中心に6体が在ったと公表されています。またこの岩陰は15,000年ほど前から住居あるいは埋葬地として使われてきたと新聞は報じているところです。DNA鑑定を含めて当時の様子などの今後の見解が待ち遠しいところですね。
ところで、縄文(含む弥生)時代の洞窟・岩陰遺跡はこの近くの万座温泉の熊四郎洞窟遺跡や旧六合村の熊倉遺跡(ここは平安時代の山岳住居跡)や岩櫃山東吾妻町)の岩陰遺跡など多数が確認されていて、吾妻郡内の洞窟・岩陰遺跡は「吾妻洞窟群」とも呼ばれ群馬県の6割以上を占めると云われるほど多いのが特徴です。
それだけでは無く、長野県側でも、有名な佐久の栃原岩陰遺跡万座温泉の西側の高地(1500m)にある湯倉洞窟遺跡(ここでは7,000年前の人骨を確認)や、菅平高原の15カ所に及ぶ洞窟・岩陰遺跡などが多く在って、やはり長野県の洞窟・岩陰遺跡の大半をこの一帯が占めているのだそうです。菅平のひとつ石小屋洞窟の土器吾妻町の岩陰遺跡にきわめて類似が指摘されるなど、広い意味で環浅間山一帯に少なくとも8,300年前から5,000年以上にわたって高地に生活圏が形成されていたのかもしれません。
この時代には温暖化が進み、7,000年前〜6,000年前が温暖化ピークを迎えたとされますから今の東京駅あたりはもちろん海の中でしたよね。高地はナラドングリ、トチの実など自然豊かでシカやイノシシ、熊などの生息もかなりに登っていたでしょうから狩猟採集する生活には好適地ではなかったかと思うのです。
でも、群馬でも長野でも山岳地帯には洞窟や岩陰はほかにも沢山あったのに古代人の利用した報告があまり見当たらないとも言われますから・・・なぜ浅間山周辺に集中したのか、不思議といえば不思議でとても不思議。
私もジオパークに係わっていますから浅間山の活動を見てみると、カルデラ火山形成に至る最後に今の前掛山の活動が始まったのがおよそ8,500年前とされ、これより1,000年間が最初の活動期(今は3期に当たります)になるので活発な活動は丁度縄文早期あたります。すでに浅間山麓は広大な地形が基本的に形成されていたはずですから活発な活動の直接の影響の及ばない範囲に縄文人は長期にわたり生活していたことになります。火山をどのように思い、信仰していたのかは不明ですが、噴火のあるたびに山麓では鳥獣類が騒ぎ逃げ出すことは知っていたでしょうから、噴火活動は狩猟の好機になっていたのでないでしょうか。火山に近すぎず離れすぎない高地の暮らしが快適で長く継続した背景を想像する環浅間縄文文化です。
 ※上の写真は長野原町長のFBよりお借りしています。

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