神国日本のナチス研究


ナチス独逸社会政策』フランツ・ゼルデ著 雪山慶正訳 実業之日本社刊 昭和17年

ナチス・ドイツの労働大臣であったフランツ・ゼルデから、直々に翻訳の承諾を得たのは、帝国大学教授・北岡壽逸(北岡伸一の大叔父)。本書の序文には

ナチス出現前、選挙有権者の四割を占めた社会民主党及び共産党ナチスに改宗せしめたのは、単なる強圧政策の能くなし得る所ではない。個人主義自由主義を矯め、全体主義に固めたものはナチスの社会政策に因る所尠しとしない。

とある。だいたいこのあたりが、当時の日本におけるナチス・ドイツ研究のプラグマチックな動機の大きな要因のひとつ。後述するが、大原社研などからナチス社会政策関連本や、ドイツ労働戦線(DAF)研究本などが多数出ている。
内容は、ナチス労働法の解説から始まって、ナチスドイツの社会保険制度、労働保護政策、政府の住宅政策および移住政策、戦傷者扶助事業、ナチス厚生事業の概観……と、ナチス労働省のアニュアル・レポートのようなもので、激しく無味乾燥だ。が、注意深く読めば、

第三章 労働配置
 第一節 独逸解放の闘争に奉仕する労働配置
  一 権力獲得後の最初の行動、労働機会の創出
  二 労働配置規則の形成
  三 最近に於ける労働配置の発展
  四 数字による論証
  五 拡張された労働配置規則
  六 後継労働者の指導
  七 オーストリア及びズデーデン独逸地方における労働配置

……などは、神国日本における総動員態勢づくりのバタバタぶりに較べると、ナチス的偏執的社会改造の狂気が浮かび上がってきて大変に興味深い。とりわけ、「七」などは、オストマルクと呼ばれた占領地域に於ける労働「資源」動員計画であって、同地域に対する「合併」直後の手厚い社会保障政策と、大公共事業計画への動員とが、常にワンセットで輸出されていることがわかる。

とにかく、ナチス社会保険制度やナチス住宅金融公庫のしくみなどがお役所文書的に書き込まれているので、本書を脳みそに叩き込めば、第三帝国社会保険庁には就職できるかも知れない。ちなみにKdF関係の記述はわずかなので、ファシズム下における労働力の再生産過程の組織化をテーマにしている人には空振りかも。

ちなみに訳者の雪山慶正は、ヒューバーマンの『アメリカ人民の歴史』の翻訳で知っていたが、戦時中にこんな仕事をこなしていたとは驚き。