夜咄の茶事の想定 懐石料理教室

こういう教室にめぐりあわなければ富田林は一生、足を踏み入れることはなかった町だ。

富田林寺内町は、戦国時代末期の永禄3年(1560年)、西本願寺派興正寺第14世・証秀が、石川西側の河岸段丘の荒芝地を百貫文で購入し、周辺4ヶ村(中野・新堂・毛人谷(えびたに)・山中田)の「八人衆」の協力で、芝地の開発、御堂(興正寺別院)の建立、畑・屋敷・町割等を行い、富田林と改めたことに始まるという(興正寺御門跡兼帯所由緒書抜)。

八人衆は、この功により年寄役となり、寺内町自治を行った。織田信長石山本願寺による石山合戦時には、本願寺・御坊側につかなかったことから、信長から「寺内之儀、不可有別条(じないのぎ、べつじょうあるべからず)」との書状を得ることにより、平穏を保った。

江戸時代は公儀御料となり、酒造業で栄えた。また、幕末期には、19名の大組衆(杉山家、仲村家、奥谷家などの有力町人衆)により自治が行われていた。

現在も多くの町屋が残り、大阪府で唯一、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。また、1986年(昭和61年)8月に、中心部を南北に縦断する城之門筋が建設省日本の道100選(道の日制定記念)に選定されている。ウィキペディアよりコピーペースト




この寺内町の一角にある峯風庵で茶懐石料理教室が開かれる。

今日の向付は 殻をむいた海老、1cmに切ったアボガド、長芋を混ぜ、サラダ油も加えた加減醤油をかけたもの。汁は白味噌で一夜氷豆腐、からし




煮物椀は蕪蒸し。鯛とユリ根に蕪をすりおろして蒸したもの。




焼き物は鰤の鍋照り焼き。
強肴は豚と大根のべっこう煮。




小吸い物はクコの実。
八寸は河豚一夜干しと銀杏の松葉刺し




香の物はたくわん、赤蕪、蕪の葉。湯斗の蓋に載せて。夜咄の茶事の想定でのレシピ。正午の茶事に比べ、少しくだけた感じになり、小人数だとこういう盛り方もできるとのこと。




湯斗を引くときはこんなふうに香の物の青竹の箸を杓子とともに注ぎ口にさすこともあるとのこと。




主菓子は冬ごもり。干し柿に柚子の甘煮、柚子の皮のみじん切りを混ぜた白餡をはさんだもの。




スムーズに進み、先生のご指導も的確で知らないこともいっぱい教えていただき、有意義な秋の一日を過ごすことができた。

いつもひと月先取りのレシピで、12月は初釜の茶事のレシピになるとのこと。