渡辺あやさん

カーネーションを書いた脚本家の渡辺あやさんに会えた。-----新聞で。

インタビュー 物語がもたらす力 「殻に覆われた感情温めて溶かし解放してあげたい」

−−−カーネーションの脚本を書くとき、東日本大震災のことは意識されたのでしょうか。

 3週目を書いているときに震災が起こる。自分自身の足場がものすごく揺れた気がした。自分が世の中に向けて発信するものがこれでいいのか、一度見直さなくてはいけなくなった。でも突き詰めた結果、これでいいと思えた。

−−−「やろうとしたこと」とは?

 溶かすということ。
 娘が赤ちゃんだった時、わんわん泣くのにそのまま寝てくれないかと15分ぐらいほったらかしにしたことがある。大人がそんなに待たされたら怒るはず。でも赤ちゃんはやっと私が来ると笑った。その笑顔で気付かされたのだが、大人だって怒る前はやっときてくれたといううれしい感情がある。
 大人になるにつれて心の中に何重にも薄い殻が重なって本当の自分の心が分らなくなる。物語ならば、普段だったら手が届かない殻の奥にある、柔らかいところを温めて溶かしてあげられる。それがじゅわっと殻の外に出てくると、心が震えて解放されたり、涙が出たり、ということが起こる。それは人にとってすごくいいことじゃないか。感覚的にそう思っている。

−−−どうすればそんなことができるのでしょうか。

 書くことがただ大好きなのだが、主人公の糸子と真剣に向き合っていると、彼女の心の中におこるであろう反応が、自分の中にも自然に起こる。その響き合いが台本を通じて糸子を演じる尾野真千子の中でも起こる。その演技が映像にうつると、人に伝える力は相当なものになるのだ。自分と登場人物の間で起きた純度の高い振動が役者の肉体を通じて他の人々にも広がっていく。私自身、それですごく解放されるし、見る人も自意識に閉じ込めていた感情を一緒に解放できればいい。そう願っている。

−−−ドラマでは登場人物たちが戦争で心を病んだり、次々と戦死したり、残された人々が抜け殻のようになってしまったりしました。被災地の人々と重ね合わせてみた人も多かったのではないでしょうか。

 戦争中を書くときは、死にそうなぐらいしんどかった。震災を自分の中にとりこんで物語をつくることも考えたが、あえてまったく関係ない所でやる方がいいと決めた。まじめにやっていれば自然に重なると思ったのだ。

−−−親も財産も失い娼婦に身を落とした糸子の幼馴染を立ち直らせたのは息子二人を戦争で亡くし生きる気力を失っていた玉枝さんでした。玉枝さん自身もその過程で再び前向きになっていきますね。

 あれは楽観的な描写だったと思う。絶望という心の溝にはまった人がそこから抜け出るのはそう簡単ではないから。それでもうまくいった場面を描く方が見る人の力になるのではないか。いつもそう考えている。
 人の中にはどんどん暗く落ち込んでいく流れもあれば、そこから立ち上がりたいという流れも絶対ある。流れを変えるのは何か小さな衝撃なんだと思う。玉枝さんが自分自身の心の溝にはまって同じ軌道を回り続けていたのだが、糸子というすごく強い存在が突然やってきて幼馴染を助けてと頭を下げる。そのことで溝からちょっとずれた。すると後はその人自身の力で上向きになっていく。生きる力はもともとその人の中にあるのだ。

−−−ドラマの舞台である岸和田市だんじり祭りが生きる力の象徴のように描かれました。

 だんじりをはじめて見た時、涙が出た。祭りの花形、大工方は街中の人々が見守る中、走るだんじりの上で命がけで跳ぶ。「表現の原点」を見たように感じた。自分の命を他者に届かせたい、命を燃やしたいという気迫。見ている方も「届いた!」と感じて、生命力があがっていく。それはとても純粋で有難いことだと思う。

−−−生命には「他者に届きたい」という性質がある、と。

 絶対にあると思う。私がパソコンに向かって地味に書いているのも、同じことをやりたくてやっているんじゃないでしょうか。

−−−阪神大震災を主題に渡辺さんが脚本を書いた映画「その街のこども」に、次の言葉があります。「不幸って法則ないやん。地震だけじゃなくてさ、事故かっていつ回ってくるかわからへんし、逃げられへんやん、誰も」「工夫するしかないんかなって。つらいことになってしもうたとき、どうやったらちょっとはつらくなくなんのか、考えて工夫する。みんなが。みんなで。」ここにこめた思いは何ですか。
 震災は大勢の人が巻き込まれるから特別のことと感じるが日常でも病気や事故で人は亡くなる。個人のレベルでは一つのことと思う。死や誰かを失う苦しみからは誰も逃れられない。みんなが当事者だからみんなで考えようと。一人では重たい石でも隣に誰かがいるだけで軽くなる。
 不幸や不条理に立ち向かうには、すごく地味なことをコツコツやっていくしかない、という感じがする。あるところに大きな救いがあってそこに自分も回収される、というのは絶対うさんくさいし、本物じゃない。小さくて地味で一見、「これかよ」みたいなこと。子どもをみているとちょっとしたお使いなど、本当に単純に人の役に立つことに、すごく喜びをみいだす。よくよく考えればそれは美しいことだと思える。
 大人だって本当は誰かの役にたちたいと強く思っているのだが、なぜか「こんなことやったらかえって迷惑かな」などと考えてしまう。大きな災害が起きると心の奥の素直な気持ちがすっと表に出てくる。映像を見て涙を流したり、寄付をしたり、人の力になりたい、という気持ちが満たされた時、人は自分の価値を見いだせると思う。

−−−専業主婦から脚本家を目指したそうですね。

 子どもが生まれて間もなく夫の実家がある島根県の町に引っ越した。一日中赤ちゃんとだけいるとあまりにも退屈で、自分の頭の中で友達をつくり自分が盛り上がれるストーリーに沿って空想の会話を楽しいでいた。それを書きとめると脚本のようになったのが始まり。
 でも最初に自分が脚本を書いた映画が出来上がったあと、すごく落ち込んだ時期があった。ゴールにたどり着いた途端、次のカーテンがぱっと開いて「死」が広がっていたという感じ。どうせ何をやっても年老いて死ぬんだという思いに取りつかれていた。「小さくて地味なこと」への感謝が足りなかった。そこからずっと死や老いという課題に取り組んでいる。

−−−カーネーションでも糸子の老いが丁寧に描かれました。

 糸子役が夏木マリさんに代わった時それまでの登場人物が故人となり舞台の町並みも変わって私自身すごく喪失感があった。でもまさに老いた糸子が抱えている感情なのだ。
 私の住む町でもお年寄りの自殺が多い。私たちの世代が想像するよりずっと老いていくのは厳しくつらいと思う。糸子のモデル、小篠綾子さんは晩年が最も輝いていたそうだ。どうすればそうなれるのか、描けるなら描いてみたいと思った。

−−−その秘密はわかりましたか。

 小篠さんの座右の銘に「与うるは受くるより幸いなり」という聖書がの言葉がある。お年寄りにしか与えられないものがいっぱいある。私たちもお年寄りに与え一緒に生きることで自分の中で育てられるものがある。糸子はしょっちゅう仏壇に手を合わせ故人に話しかける。そんな日常を送った人は自分が死んでもそうしてもらえると信じて生きていける。


取材を終えてというところに、カーネーションは震災後の日本を生きる私たちへの誰かからの贈り物だったと思う。渡辺さんは「すでにある物語が見る人に届きたくて、私やスタッフや俳優たちが呼ばれた」と話す。この世界は人に残酷な時もあるが人の負った傷を癒す力にもあふれているとある。

やはりなかなかの人であった。端折っているので文責はtakikioにあり。