上野泰也:「本物のインフレ」は起きない

 献本いただいた『Voice』9月号掲載の上野さんの論文。冒頭に各国・各経済圏での「インフレ」に関する指標一覧が書かれていて、基本的にエネルギー・食品関連を含めた総合的な物価指数ではほとんどの国で高めの「インフレ」、そして金融政策的にはより重視すべきエネルギー・食料品を除く物価指数では安定的な水準にあったり、日本のようにデフレが継続している。

「米国でもユーロ圏でも、消費者マインドの指数が大幅に悪化し、実際に個人消費が冷え込んで、景気を悪化させている。因果関係としてはむしろ、「悪い物価上昇」が日米欧いずれにおいても個人消費を冷やしており、これが景気面からデフレ圧力になっているというのが、現実に起こっていることであろう」(83-4頁)。

 では、原油高・食品高が「本物のインフレ」になるのはどんな場合か、と上野さんは三つの経路を考えている。

1 期待インフレ率の上昇

日銀の「生活意識に関するアンケート調査」でみると高い水準だが、上ぶれしている可能性がある。
物価連動債をみるとhttp://www.mof.go.jp/jouhou/kokusai/bukkarendou/bei.pdf低い水準である。

 「物価連動債の取引では海外ファンド勢の影響力が現在大きいのだが、日本のインフレ加速・利上げ方向の思惑で債券売りを仕掛けることの多い彼らでさえも、欧米型コアの弱さに見られるような日本のベースライン部分のインフレ圧力の弱さを無視できず、この程度のインフレ率の織り込みにとどめていると考えることができる」

2 賃金・所得環境の改善

 上野さんは春闘の賃上げが、過去の第一次石油ショックのときに高物価をもたらす原因のひとつ(より根本は景気過熱後の原油高ショック)。しかしいまの日本では好況期でも賃下げ傾向強く、いまはまた企業業績も悪化の方向へ。賃金の伸び悩みへ。上野さんの解釈ではこれは構造的な要因(企業が株主価値重視、労働組合の弱体化など)による賃金デフレ説(日本銀行の幹部の意見とも調和的)を採用している形になっているところが、僕的には注意しているところ。

3 企業の価格支配力の大きいこと

 企業の価格支配力はデータからみると弱い。原材料コストの価格転嫁が容易ではなということ。

さらに現在、日本経済が閉塞感を強めているのは、原材料高による年率で25兆円を超える資源輸出国への所得移転。これは日本全体が損をしているので短期的な解はない。

 この上野論説を読んで、2004年に書いた『経済論戦の読み方』(講談社現代新書、最近品切れになったみたい。実は手元に一冊もなくなってて僕も慌てて何冊か確保しておいた。目についたらお早めにお買い求め下さい。かしこ)でも書いた文章を次に一部修正して引用しておく。

原油価格の高騰は、日本経済にどれだけ悪影響を及ぼすことになるのか。原油価格の上昇が経済に影響を及ぼすのは次の三つの経路を経てである。
第一は、産油国に対する所得移転である。原油は経済活動の基幹となるエネルギーであり、価格が上がったからといって消費量を減らせるわけではない。したがって、原油価格上昇時には、原油輸入量に価格上昇分を乗じた金額が原油消費国から産油国へと移転することになる。日本経済の成長率は、まずこの所得移転分だけ押し下げられることになる。

第二は、こうした所得減少が設備投資や個人消費の減少という形でさらなる景気減速をもたらすことだ。原油価格の高騰を製品価格に転嫁できない場合、所得減少は企業の収益減少という形で現れることになる。収益減少は設備投資の減少につながることになる。逆に原油価格の高騰を製品価格に完全に転嫁された場合、消費者物価の上昇が家計の購買力(実質所得)を奪うことになる。実質所得の減少は個人消費の減少をもたらすことになる。

第三は、海外経済の減速が輸出減少をもたらすことだ。以上のような原油価格上昇によるマクロ経済の悪影響は、ネットの原油輸入国である米国・EU・アジア諸国でも生じることになる。これら海外諸国の景気減速は輸出減少という形で日本経済に悪影響を及ぼすことになる。もちろん、所得移転によって潤う産油国は日本からの輸入を増やすかもしれない。しかし、経験的にはこうした産油国に対する輸出増加は全体の輸出減少を補うほど大きくはない。
   
 略

クルーグマンのモデルを用いて、「流動性の罠」の状況に陥っている日本に与える効果をみてみよう。原油価格の高騰はわずかに物価水準に影響を与えるものの、実際には設備投資の低下や輸出減速などを生じさせ、IS曲線の左下方シフトをもたらす。これは、産出量水準がさらに低下し、デフレ不況がより一層深化ることを意味する:

 このクルーグマン的な枠組みでいえば、依然としてリフレ政策(マクロ的金融政策を中心とした総需要喚起政策)は有効であろう。

 

日本銀行発、“タンス預金”への注視という利上げへの地均し?

 現総裁が日本銀行職員時代にここ十数年の低金利時代における金利損失を国会で説明し、いわゆる利上げへの「地均し」のお先棒を担いだことは周知のことだろう。

 そのような行動を規範とする人物が総裁であれば、同じような手法が繰返されることはある意味予知できるのではないか。

http://mainichi.jp/select/biz/news/20080823ddm001020011000c.html

 今回も綺麗に?マスコミとの連携によって、日本銀行発のタンス預金への注目が行われた。僕はこのようなタンス預金(現金選好保有の高まり)は、安達さんとの共著『平成大停滞と昭和恐慌』にも書いているようにデフレの深化(=日本銀行の政策ミス)によるものであるという認識である。

 今回のタンス預金論文は以下だろうが、それの理論的な中味の検討は、いまの僕にはどうでもいい。

http://www.boj.or.jp/type/ronbun/rev/rev08j09.htm

 問題はこの論文をどう日本銀行が今後の政策の選択肢の中で「政治的」に利用するかである。このような地味な論文にしては、あまりにマスコミがとりあげている(=日本銀行のご説明隊の活躍が目覚しいという推測の成立)のほうが、僕個人には重要である。

 この論文のように高齢層が金利感応度を変化させるには、いまの日本銀行の政策態度の枠組みでは、(デフレであろうがなんだろうが)金利をかなりのピッチで上げていくことであろう。その見分けとなる基準は、日本銀行幹部たちの、おそらくベタともいっていい、株価(日経平均とかTOPIXとかあるいは日本銀行の内部での何かの株価指数か?)がある水準に来たとき、為替レートの円安水準があるベタなところにきたとき、あるいは景気がなんとなくいいですねえ、と日銀の人たちが噂話を始めたときがその条件を満たすときなのだろう。

 そんなものに経済学もくそも必要ないのはいうまでもない。

移民問題入門書

 ダスグプタの本と一緒に購入したもの。同じシリーズの1冊だけれどもこれも非常によくまとまっている印象。

International Migration: A Very Short Introduction (Very Short Introductions)

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