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tana record diary

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2900-01-01 ライブのお知らせ

2018-01-06

2018年もよろしくお願いします

かしもっちゃぁん!

(Twitter見れないとのことなのでblogを更新します)

ブラジルのライブをとても久しぶり(白い汽笛レコ発以来)にグッゲンでさせていただくことなりました!

2018年3月4日(日)

神戸塩屋 旧グッゲンハイム邸

<出演>

ジャンプス(郡山)

黒田二郎(京都)

Supersize me(京都)

BRAZIL(明石,大阪,横浜)

です。

詳細が決まりましたら、またお知らせします!イラストは絵が好きな子どもたちに頼んでいるのですが。

ブラジルでライブしたら、毎回おもしろい方と対ばん組んでもらえて、私は全く探さなくてもおもしろいバンドを見れてとても楽させてもらっているなぁと思います。

楽は良くないのですが、その分他のことで苦労すればいいか、ありがたいことと割りきって…、楽しみます

ぜひよろしくお願いします!

2015-12-04

ぷらっとこだま東京へ。

こだま、快適だー。寝れるー。

今日はせいちゃんの歌いれで、明後日がセプチマにてネス湖。

2015-10-21

「どちらの立場もわかる」的ポストモダンなもの謂いに、何の意味もなくなってしまった。

ポスト・ポストモダンはどうなるんだろうと思ってたら、まさか野蛮な時代に帰るとは!

揺り戻しであり退化だが、退化も進化の一形態か。


熱狂する群衆思考をしないし倫理観も無くなる」という研究があるんだけど、それはこの現在の日本においては、まず政府与党(およびそれを信じている側)の人間に当てはまる。

国民の意見をハナから聴く気がなく、「国体だ」「信念だ」とかなんだか、全くなにかにとりつかれているとしか思えない。

南京大虐殺はありませんでした、などと、カルト宗教にハマっていないと、言えないだろう。。


デモファッショは「大衆が個を越えて団結する」という面では同じ原理かもしれない。

ところが行ってみれば分かるけど、いま行われているデモは"熱狂"とは違う。もう、やむにやまれず、ということだ。

だって、あんな面倒くさいことしたくない。

しかもデモ終わったら、ゴミ拾いするんだよ。

熱狂してる人間は、ゴミ拾いなんて、しない。


いまだに「体制側とデモの強制的な感じは同じように思える」という意見を見るんだけど、今、現に権力を持っているのはどちらか?

そしてその権力を使って、じわじわと国民の首を絞めているのは誰か?

あまりにゆっくりと絞められているから、鈍い人間はまだ気がついていない。

絞まりきってからでは遅い。

輪がギリギリ首が抜ける大きさのうちに、戦略的に、確実に有効手段で、その輪を取り除かないと。

音楽で何とかしたいとか、もはやそういう段階ではない(もちろん音楽、するけどね!)。

向こうはかなり手駒をすすめている。

実はもうなにもかも遅いかもしれないけど、それでもやんなきゃ。

2015-10-11

自民党が好きっていうのは、つまり「権力側でいたい」ということなんだろうなあ。入口は単なる判官贔屓だが。。

こんなに嘘つかれて搾取されてもまだファンでおれるって、相当に屈折した病理だ。


ユネスコの件は、恥ずかしすぎる。

もう色んな意味で、恥ずかしい。

日本政府はこれ以上世界に恥を晒すのやめて欲しい。

2015-10-10

「今回の※戦争法案の意味(ありがたみ)は、何十年か経たないと理解できない」

という意見をみた。

まるで売れないミュージシャン言い訳だが、これを言うなら憲法が70年後に起こりうることを完全に予測しきっていることは、どう評価するのか。

安保法案のことは海外メディアにはキッチリ「law of war」と報じていられている。「戦後はじめて日本は海外での軍事行動が可能となった」と全世界認識されたのだ。これでも戦争が起きたりテロに攻撃されることは全くないなどと思っているのは、完全に平和ボケだろう。

よく「平和のための抑止力」などと言われるけど、その"効果"の正当性うんぬんよりは、これはお互いにエスカレートするための口実。

2015-09-26

現在国会はついに「議会制独裁」となった。

第二次世界大戦時の日本の議会や、現在の北朝鮮や中国の共産党議会、または南米の軍事政権議会等と同じ。

勘弁してくれ。

民主主義は、最初から"自らが数による独裁を生み出すことがある"という問題をもっていて、だからこそそれを禁じる為に、数による決定より優先されるものとして、わざわざ「憲法」というものが設定されている。

憲法とは「数による独裁決定がやってはいけないこと」を定めた、あらゆる国法に勝る最上位のルール

人権とか、どんな大多数の意見よりも守らなきゃいけないことがある。

ところが、やっぱりそれを数の力で踏みにじったりする場合がある。

そうなる危険を最初から見越して、歴史に学んだ人類の知恵により設定されているのが、憲法。

それを一内閣が勝手に「解釈変更」して、違憲な法案を違憲なやり方で通した。

これまでの歴史を否定したってこと。

全く反省していなかったんやね。

ここが、民主主義が自らが自らを捨てたって意味です。

いや、捨てたのは自由民主と公明。

はっきりと、権力による犯罪。当然、計画的確信犯

うちら、とことん馬鹿にされてんな。

多数決ってこういうもんやから仕方がない」とか、その"諦めたマインド"。

それこそが、思う壺。

あかんもんは、あかんねんで。