東京にて

東京には結局新幹線で行くことにした。まず御茶ノ水に行ってDiskunionに直行。13枚のCDを購入した。ちょっと買いすぎたか。昼食を食べた後(やっぱりラーメンなんて食べるべきじゃなかった。せっかく東京に来たのだから、東京のマクドナルドに入るべきだったのだ)、東大に行って安田講堂前で時間を潰す。
東大の建物はなにしろ古いレンガ調のものが多い。それに加えて、彼らは新しく建設する建物すらレンガ調にしているのだ、冗談抜きで。なんだかインチキくさいな、と思った。あと、キャンパスが立体的である。起伏のある地区に位置しているせいか、地下空間の使い方が非常に複雑である。東大に初めて来た人間で、一体誰が安田講堂前の広場の地下に学生食堂があるなんて思うだろうか?周りの学生は至って普通の若者である。外見だけ見るならうちの大学の学生とそんなに変わらない。唯一好印象を持ったのは、構内にいわゆるカクマルなどの立て看が見当たらないことだった(少なくとも僕が行動した範囲においてはということだが)。時間になったので会場に行く。

シンポジウム「ブンガク畑でつかまえて――外国文学の楽しみ――」

このシンポジウム、定員225名の会場は立ち見が出るくらいの大盛況であった。パネリストの面々を見れば明らかなのだが、さながら日本外国文学アカデミズムオールスターズだ。感想からいくと、やはり非常に素晴らしいシンポジウムだった。司会は柴田元幸英米文学)。まずはパネリスト1人1人が順に自らの専門分野、好きな作品の一部の朗読をしていった後に、それらについてのお互いの感想、最後に聴衆とのディスカッション、という進行。会場は学生のほか、多数の一般人(お年を召した方も多かった)で埋め尽くされていた。
今、僕の手元にシンポジウム中に取ったメモがあるのだが、失くさないうちにコピーしておこうと思う。うろ覚えなので違っているものも多いと思うが。

  • 周縁というのは、中心を飛び越えることのできる存在である(池内氏)
  • 翻訳をやっていなかったら、今のように日本語のことを真剣に考えているかどうかわからない(堀江氏)
  • 「書く」ということは前向きなことだ。その内容がどうしようもなく破壊的、破滅的、悲惨なものであったとしても、「書く」という行為は前向きなものだ(堀江氏)
  • シンプルであるということは容易なことではない(堀江氏)
  • 自分が会ってきた人間についてもっと知りたい(中村氏)
  • 物語はパフォーマンスである(中村氏)
  • 「亡命者」にはニヒルなイメージがあるが、「難民」「移民」といった言葉にはマスのイメージがある(中村氏)
  • 訳のトーンが大事なんだ(柴田氏)
  • 「文学」というのは少し気恥ずかしい(沼野氏)
  • 社会の大きな流れに対抗できるのが「文学」(沼野氏)
  • 問題は書き手の声が伝わるかどうかだ。声が伝わる翻訳がしたい(発言者不明)
  • テクストが語りだすような翻訳は、次はこうくるなと読者に思わせる(池内氏)
  • 声が聞こえてくるテクストしか自分は訳せない(柴田氏)
  • 文学はとてもとてもとてもとても大事なもの(中村氏)
  • 途上国の文学を世界に伝えたい(中村氏)
  • 微妙なことが見えてくると、逆に翻訳に悩んでしまう(沼野氏)
  • 詩の訳で注意すべきことは、韻のリズムを訳文に無理矢理写し取ることではない、なぜそのように押韻されているか、その意味を理解してそれを訳文に反映させることだ(池内氏)
  • 日本語の文章のリズムは句読点によって作られる(柴田氏)
  • 読者は句読点から次の句読点の間まで息をしないで読む。その呼吸のリズムが文章のリズムだ(堀江氏)
  • 読者に想像させる余地のある翻訳が良い(発言者不明)
  • 少し古い言葉を使うと翻訳の雰囲気が変わる(発言者不明)
  • 日本語としてところどころ違和感があるくらいがいい(柴田氏)


ex) "poor pig"をどう訳出するか
(1)「気の毒なぶた」→単純な訳し方で日本語として少し違和感があるが、このように訳したほうが良いこともある。状況次第。
(2)「ぶたも気の毒になあ」→いかにも日本語的すぎて文章の持つ微妙なニュアンス、曖昧さが失われてしまうこともある。
他にもなぜ外国文学をするのか?という質問や、文学の持つ役割とは何か?という普遍的な問題にもパネリストの方々は真剣に議論していた。すげえな、と思った。その場にいることができて本当に良かった。
予定時間時間を少し過ぎたところでシンポジウムは終了した。既に構内は暗かったが、周りのレンガ調の建物は妙に印象的にそびえ立っていたのがわかった。

東京という街について

正月以来の東京だったわけだけど、前回とは違って自分ひとりで東京の街を歩いたおかげで、東京という町の持つ構造―それは明らかに仙台とは異なるものだ―について色々と考える機会を得た。
二日間の滞在中に感じたのは、東京という街が非常に三次元的な街であるということだ。もちろんこれは地価の高い都市空間においてはわざわざ挙げるまでも無い当たり前のことだけど。例えば東京の地図上のある一点からもう一つの一点に移動する際に、僕らはかなりの回数の階段なりエスカレーターなり(もちろんそれらの多くは駅に存在する)を昇降することだろう。なぜ東京での移動がこのようなものになるかといえば、それはもちろん東京の人口の多さに起因する。道路や鉄道、地下鉄などの交通インフラは二次元的に衝突しないように三次元的に交差している。それらを乗り継がなければ目的地まで到達するのは困難だろう。
それらの三次元的交差が何を僕に想起させるかといえば、都市というものの象徴である「すれ違い」である。成長するためにはすれ違いを拡充するほか無い都市、東京。もちろん東京にも衝突が全く無いわけではない。交通事故も起きれば、中央線も事故でよく止まる。でもその東京という都市の存在条件を考えることで、僕は仙台という街で生活していて良かったな、と思う。いささか過剰すぎるくらいの衝突がないわけでもないが、仙台という街のよさを再認識させるのにこの町の二次元性は何ものにも変えがたい、と僕は思う。

東京で購入したCD

御茶ノ水Diskunion にて。新宿に行ったら破産すると思ったのであえて行かなかった。東京ってこわいなあ。

最近読んだ本

主にシンポジウムの予習(?)のために読んだ本。

この三浦雅士の本が東大でのシンポジウムに行くことになった直接のきっかけになった。

史上最大規模

東京から帰ってきてビッグバンドの練習のあと、僕の部屋で過去最大級の麻雀大会が開催された。1年生からOBのM浦さんまで、実に幅広く参加していただいた。
結果はM浦さんとI谷さんの圧勝。僕はマイナス28でした。ぐすん。