四国放送、肝炎医療講演会と、脈絡もなく時実新子、俚謡

 17日(火)の四国放送「フォーカス徳島」でB型肝炎訴訟が取り上げられた。全体で5分程度の放送であった。13日に我が家で1時間ほど取材を受け、14日も大阪で10分ほど取材を受けた。実名で原告として登場しているのは、大阪原告団では私を含め5名ほどしかいないので、取材しやすいのだろう。全国の動きも含めて報道された。
 昨日は、11月5日〜6日に徳島で開かれる日本肝臓病患者団体協議会(略称:日肝協)総会の時に行う肝炎医療講演会の後援依頼に行ってきた。近藤事務局長から、前日に急に要請に行けとの業務命令があり、一人で徳島県徳島市徳島県医師会・徳島市医師会・四国放送徳島新聞社・NHK徳島放送局を訪問したのであった。17日にも急に講師依頼のために呼ばれて、玉木克佳先生(徳島大学医学部非常勤講師・大久保病院副院長)を近藤事務局長と訪問した。幸い、先生は講師を快く引き受けて下さった。これから、準備が忙しくなるだろう。

 時間が余ったので、徳島県立文学書道館で開かれている、「川柳作家 時実新子展」をのぞいてみた。時実新子の本は、「時実新子のじぐざぐ遍路」(1991年 朝日新聞社)と「恋歌ノート」(角川書店)を読んだだけである。時実新子は、1929年に岡山県で生まれ、2007年に亡くなっている。書棚を探してみたが見つからないので、どこやらに寄贈したのだろう。大変波乱万丈の人生を送った作家で、それでいてみじめさがなく、明るい作風であったように思う。貰ってきたパンフレットの表紙表と裏の句を紹介する。

  かくれんぼして 花影の 花になる
  死ねばこの 風に逢えなく なる九月

 ついでに、古書店モウラにも立ち寄った。モウラからの年賀状に、会員特別割引券(250円)がついていたので、行く気になった。そこで購入したのが、「中国語図解辞典」(大修館書店)と「里謡」(辰文館)であった。「里謡」は大正2年(1913年)刊行された。著者は湯朝竹山人。ネットで調べると、以下のような紹介があった。
●湯朝竹山人1875−1944明治-昭和時代前期の小唄研究家。
明治8年生まれ。もと僧で,明治30年ごろ「万(よろず)朝報」の記者となり,宗教欄を担当。のち端唄(はうた),小唄などの三味線小歌曲や民謡の研究に従事した。昭和19年1月2日死去。70歳。兵庫県出身。名は観明。姓は湯浅ともかく。著作に「小唄漫考」「諸国俚謡(りよう)傑作集」など。
 俚謡とは、著者の解説によると「俚謡の二字、読んで字の如し、『さとうた』なり、『ひなうた』なり、これを『都々一』といひ、『情歌』といひ『こころ意気』といひ、また『平民の歌』といひ、『二十六字詩』といひ、『民謡』とも『俗謡』ともいふ。」と紹介している。そして「俚謡本来の実質は、決して然く俗悪卑猥の者には非ず、俚謡子も亦我が文学史上の一分を飾れるより見れば、其所に文学共通の思想と情想との莫からざらんや、中就、我が俚謡に一貫した生命は、思慕恋愛の情緒たり、世界の何れの民族もが、何の故に好んで男女恋恋の情を歌ひ、思慕相愛の意を謡うこととなりしかは、余の知る所には非ずと雖も、とにもかくにもこの情緒の俚謡の生命となれるは事実なり。」と記している。

 俚謡が卑俗でないことの証に、有名人の句を紹介してる。
 ●頼山陽
   九尺二間に 過ぎたる者は 紅のついたる 火吹竹
   (小さな家に、働き者のできた女房がいるとでもいったところか)
   お月さまさへ 泥田の水に 落ちて行く世の 浮き沈み
 ●小松帯刀(NHKの大河ドラマで登場した)
   手すりに凭れて 化粧の水を どこに捨てよか 虫の声
   嘘も誠も 売る身の勤め そこで買手の 上手下手
 ●高杉晋作
   三千世界の 烏を殺し 主と朝寝が してみたい
   (高杉の作でないという説もある)
   龍田川 無理に渡れば 紅葉が散るし 渡らにゃ聞かれぬ 鹿の声


 どれも、なかなかいいですなア。

下の写真は、宮内フサ(1985年102歳で死去)作品 タヌキ達磨(酒とっくりと通い帳を持っている)