夏目漱石詩注

漱石詩注 (岩波文庫)

漱石詩注 (岩波文庫)

 明日の、B型肝炎訴訟の基本合意の調印式に参加することになった。全国から多くの原告・弁護士が参加するので、希望者全員が調印式に出席できるわけではない。それだけ、皆の早く解決したい、納得のいく解決がしたいという思いが強いということだろう。1989年に札幌地裁にB型肝炎訴訟を提訴した5人の原告の苦労が、報われる時と言ってよい。これからは、被害者数45万人と言われる方たちを含めた全員救済を勝ち取るための、地道な運動が要求される。

 夏目漱石にとって「詩」とは近代詩でも現代詩でもない。漢詩である。「夏目漱石詩注」には170首余りの漢詩が掲載されている。著者の吉川幸次郎漱石の詩を高く評価している。幕末・明治の文化人にとって漢詩の詩作は一つの教養と言ってよいのだから、現今の漢文離れは日本のつい身近な時代との断絶を感じさせられる。正岡子規とは俳句ばかりでなく漢詩のやり取りをおこなっているので、機会があれば正岡子規漢詩も読んでみたい。
 漱石は、佛教の中でも禅宗に親しんでいて、詩の中には禅語がたくさん出てきて、漢学の泰斗の吉川幸次郎も手こずっている。夏目漱石は49歳の若さで亡くなっているが、もう少し長生きしていたらと思わせさせられた。詩の中からうかがわれる、漢詩・漢文の素養の深さには感心させられた。
 一首だけ紹介しよう。この時期、夏目漱石は最後の未完の小説「明暗」を執筆中で、午前中は小説を書き、午後は詩作していた。この詩は1916年(大正5年)9月13日に書かれているが、その年12月9日に夏目は亡くなっている。

   無題
 挂剣微思不自知  
 誤為季子愧無期
 秋風破尽芭蕉
 寒雨打成流落詩
 天下何狂投筆起
 人間有道挺身之
 吾当死処吾当死
 一日元来十二時

 剣を挂(か)くる微思(びし) 自ずから知らず
 誤って季子(きし)となり 期無きを愧(は)ず
 秋風破り尽くす芭蕉の夢
 寒雨 打ちて成す流落の詩
 天下何ぞ狂える筆を投じて起ち
 人間道有り身を挺(ぬき)んでて之く
 吾れ当(まさ)に死すべき処 吾れ当に死すべし
 一日 元来 十二時



 今年初めての月下美人(6月25日)


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
  逢ふて話しは 山山あれど まさか顔見りゃ 胸迫る
  真の夜更けに わしや目を覚まし 思ひ出しては 寝つかれぬ
  嘘じゃおかんせ 其の手は喰わぬ 殺し文句に こりたもの