中国旅行5 九寨溝・黄龍・成都・楽山大仏

 九寨溝黄龍楽山大仏世界遺産。その中で、九寨溝黄龍は美しい自然が世界遺産になっている。そこで、現地ガイドの蒲さんが言うには、九寨溝黄龍世界遺産に指定されている地域は、今まで蔵族(チベット族)が行ってきたヤクの放牧や農業も政府によって禁止されたという。自然環境を守るためだというのだが、私には少し行き過ぎと思った。赤松の木も多いそうだが、そこに生えてくる松茸は人は取れないので、動物のごちそうになるようだ。
 四国では88カ所の寺を回る遍路道世界遺産にしようと、取り組みがされている。そのために遍路道周辺の大量の廃棄物を処理しようと、自治体やボランティア達が頑張っているが、後から後から遍路道の谷底に不法投棄の大型ごみが捨てられてゆく。それから考えると、自分たちのささやかな生活を維持するための、放牧や農業などは自然破壊にはつながらないとは思うのだが。
 したがって、世界遺産地域に住んでいる藏族は政府によって、観光業に従事するようになった。藏族の集落が観光資源となり、宿泊業や土産物販売をしている。途中立ち寄った藏族の店では、看板に「藏族土司楼」との表示があった。「土司」(tu si)とは村長のこと。ということは、ここは村長さんが経営する店。彼は私たちを迎える時の話で、「近頃は日本人客も多く来るから、一生懸命日本語を覚えた」と語った。

 この店内、土産物のほか各種説明がされていて、藏族の村長の婚姻制度が写真のように書かれていた。ネットで調べてみると、一妻多夫制度もあるようだが、大略は以下のとおりと思う。
 ①兄弟姉妹などの近親結婚はいけない。
 ②いとこ同士の結婚はよい。
 ③兄が死んで弟が兄嫁と結婚すること、弟が死んで兄が弟嫁と結婚するのはよい。
 ④夫が姉妹を嫁にするのはよい。
 ⑤同じ階級同士で結婚しなければならない。


 四川省省都成都(海抜500m)。三国志の舞台である。高校生の時(今から50年近くも前)吉川英治の「三国志」(全8巻)を読んだことがあるが、いろんな作家が小説にしているし、解説書もたくさん出ている。
 ウィキペディアによると、「三国時代(さんごくじだい)は、中国の時代区分の一つ。狭義では後漢滅亡(220年)から、広義では黄巾の乱の蜂起(184年)による漢朝の動揺から、西晋による中国再統一(280年)までを指す。229年までに魏(初代皇帝:曹丕)、蜀(蜀漢)(初代皇帝:劉備)、呉(初代皇帝:孫権)が成立、中国国内に3人の皇帝が同時に立った。三国時代については、陳寿が著した『三国志』、明代に書かれた『三国志演義』および、さらに後世の三国時代を扱った書物によって、広く知られている。

 成都は、劉備諸葛孔明関羽張飛が活躍した国である蜀の都。「九寨溝・四川」(人民郵電出版社 2010年刊行 29.8元)によると、成都は2,500年余りの歴史があり、その名前は「一年成邑 二年成都」から取ったという。五代(907年 - 960年)の時、蜀国の君主孟昶が城内に芙蓉のを植えたので「錦城」とも「蓉城」とも呼ばれたという。成都は肥沃な平原に存在している。
 成都には「杜甫草堂」もあり私などはそちらが好いのだが、近年は観光としてはあまり人気はなく、庶民のいこいの公園になっているという。劉備諸葛孔明にゆかりのある「武侯祠」が大人気のようだ。


 写真は「武侯祠」(入場料60元)にある劉備の墓「恵陵」。その前に大きな鼎があるが、脚の下の方を見て欲しい。虎の顔が傷つけられている。現地ガイドの蒲さんに聞くと、文化大革命の時「紅衛兵」にやられたものだという。中国を訪れると、必ずと言ってよいほど彼らの負の遺産に出会う。毛沢東が主導したあの革命が、全く「文化」に値しないものだったことがよく理解されるのである。



俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
○こちらの旦那殿は 傘(からかさ)育ち 世間広がり 内窄(すぼ)み
○夫婦喧嘩は 三日の月よ 一夜々々に 円くなる
○金が有るとて 高慢振(ぶ)るな 佐渡ぢゃ蚯蚓(みずき)が 糞に放(ひ)る
  ※蚯蚓(みずき) みみずのこと