LATIN AMERICAN URBAN DEVELOPMENT INTO THE 21st CENTURY

Palgrave,2012刊。Dennis Rogers他編。
ボゴタ(⇒ 『Happy City』 )とメデジンの都市計画(⇒昨日の記事)がなぜ「成功した」のか? なにをもって「成功」としているのか。「成功」に至る背景はなんだったのか。本当に「成功した」といえるのか?
昨日とりあげた『SOCIAL URBANISM AND THE POLITICS OF VIOLENCE』では、1991年の憲法改正なども含め、制度的・政治的・政策的・社会的要因を構造的に描き出しつつ、革新的にみえるメデジン市の都市計画は実はそれらの結果であるととらえていました。本日とりあげる標記図書の第9章では、コロンビアの3大都市ボゴタメデジン、カリのうちホゴタとメデジンは確かにそうした枠組みの変化に政治的にうまく乗ったリーダーが出て都市イノベーションにつながったものの、カリではそうはならなかったことを議論していて、都市イノベーションのファクターを考えるうえで参考になりそうです。

本書では、これまでのラテンアメリカの都市開発の理解が、スラムやファベーラに生きる力を見出すユートピア的なものか、それとは正反対にスラムやファベーラがそれ以外から隔離され犯罪等が蔓延するといったようなディストピア的なものの両極にとどまり、都市全体の文脈の中での位置づけや大きな社会経済動向の中でのリアルな、有効な政策的につながるような理解が足りなかった、との問題意識から、メキシコシティボリビアの諸都市、サンティアゴサンパウロ、コロンビアの3都市(上述)、ブエノスアイレスの近年の動向を分析しています。ボリビアの章ではコカインによるあがりが国内諸都市の不動産に投資され(てマネーロンダリングされ)、それが都市建設の大きな要因になっていることを実証データで示すなど、ややゾッとする現実が描き出されます。
全体を通してみると、エリート層や中産階級が危険を回避するために都市のゲート化を進めることで、ゲート化できない庶民市街地が危険にさらされていること、けれども地域の側で意思をもってまちづくりの主体となる(憲法や法や政策がそれを下支えする)ことや市街地を孤立化させず都市全体を有機的に結びつける(地域の側からみるとアクセスをよくする)ことで、希望のもてる都市計画となる可能性が示唆されていて、昨日のメデジン物語はまさにそうした方策の実践例であることに気づかされます。
こうして書いてみると、本ブログでウォッチしているイギリスにおける近隣計画の実践とも話はそう遠くはなく、まさにネオリベラリズム時代における近隣計画が有効なのか、いやいやそんな話は為政者が行政コストを減らすための手段にすぎず力を持つ者だけがうまい汁を吸うのだなどという議論(6章のサンパウロの都市計画をめぐる議論はこれに近い)は、ラテンアメリカやイギリスのみならず、世界のどこででも共通する論点なのでしょう。