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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1915(大正4)年6月17日 (75歳) 鈴木文治、吉松貞弥の送別会 【『渋沢栄一伝記資料』第31巻掲載】

当会の鈴木文治及び吉松貞弥の両名、労働代表者として渡米するに際し、是日栄一、之を兜町事務所に招きて送別会を催す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 2章 労資協調及ビ融和事業 / 1節 労資協調 / 1款 友愛会 【第31巻 p.436-437】
・『渋沢栄一伝記資料』第31巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/31.html
鈴木文治と吉松貞弥の渡米目的は、カリフォルニアで開催された労働大会への出席でした。『渋沢栄一伝記資料』第31巻には、労働大会の様子(p.423)のほか、鈴木文治が栄一と出会った経緯(p.421)や友愛会の創立時代(p.427-431)、労働問題と日米関係などが『労働運動二十年』や『日本労働運動発達史』等からの転載によって紹介されています。
鈴木文治(すずき・ぶんじ、1885-1946)は労働運動家。1912(大正元)年に鈴木文治らにより創設された友愛会は当初、修養団体の色彩が強いものでしたが、後に全国的組織に発展、1921(大正10)年には日本労働総同盟と改称されました。(『広辞苑 - 第四版』(岩波書店、1991)より)
なお、帰国したのは鈴木文治のみで、吉松貞弥は「一身の都合を以て滞米することに決し」帰国せずにアメリカに留まりました(『伝記資料』第31巻p.434)。『伝記資料』第33巻には、渋沢栄一が1921(大正10)年に渡米した際、アメリカの労働組合について吉松と談話した記録とともに、吉松のプロフィールが「吉松貞弥氏(元友愛会々員にして目下米国美術製版職工組合に加入し、現に某印刷工場の一職工として従事)」(『伝記資料』第33巻p.254-256)と紹介されています。
参考:鈴木文治
〔大原社研マルチメディア・データベース - 法政大学大原社会問題研究所
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/dglb/suzukib.html
労働運動二十年 / 鈴木文治著
〔NACSIS Webcat
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN02417675
大阪府労働プラザ 蔵書検索サービス/一覧〕
http://www.library.ne.jp/plaza/scripts/PlazaBooks.dll/titles?result_set=38617&result_no=1
日本勞働運動發達史 / 赤松克麿
〔NACSIS Webcat
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN08607232