大阪まちあるきツアー第2弾!

(注)なんか、アップした写真がちゃんと表示されません。

ちゃんとした写真は、モエニホOB会のブリーフケースに後ほどアップします。

パソコンでみる場合は、ブログの写真をクリックすると、写真がちゃんと表示されます。


さあ、では2日に行われた、怪しい人達ツアーの一部をご紹介します!

真田家

2度にわたり徳川軍を破った真田は、関ヶ原の合戦の時、父昌幸・息子幸村は石田三成の西軍へ、幸村の兄信幸は家康の東軍についた。

これはどちらが敗れても、「真田家」が存続できることを考えてのことだった。

東軍勝利に終わった関ヶ原の合戦後、当然死刑となるはずだった昌幸・幸村の命を救ったのは、東軍の兄信幸だった。

なんとか家康に2人を殺さぬよう嘆願したのだ。

結果、昌幸・幸村は和歌山の九度山へ流されることになる。

その後、徳川VS豊臣の戦いであるいわゆる大坂の陣の際、九度山を脱出して豊臣方についた真田幸村は、いわゆる十勇士を率いて活躍し、もう一歩で家康を討ちとるというところまで追い込んだのだった・・・・・・

茶臼山

天王寺公園の中にある茶臼山は、大坂冬の陣では家康が、夏の陣では真田幸村が本陣をおいた場所だ。


そもそも大坂城は難攻不落なのだが、北と東は当時の淀川と大和川によって守られ、西のには堀の先に大阪湾があり、大兵力で攻めるには南から攻めるしかなかった。

その南に位置するのがこの茶臼山


なので、家康がこの地に本陣を置いたのだ。



みんなで手分けして、茶臼山内の「それらしい場所」を探したが発見できず!

さあ、次は一心寺だ!

一心寺

一心寺へ向かう途中、「一心寺シアター」を発見!

中へはいると、3000体の仏様が!



さあ、一心寺へ!



ここには徳川家康の家臣本多忠朝(ただとも)の墓。

本多忠朝は、夏の陣で討ち死にするが、その前の冬の陣で酒に酔ったまま出陣して真田幸村に惨敗したと言われ、家康に叱責をくらっている。

本多忠朝は討ち死にする前に、こういった。

戒めるべきは酒なり

今後我が墓に詣でるものは 

必ず酒嫌いになるべし

そのことから本多忠朝は酒封じの神として崇められているそうだ。

寺町〜鎌八幡

安居神社からひたすら北へ北へ歩いた。。

坂道の連発で、バッテバテ。。



途中でみんなでラーメン食べてエネルギー充電!!

そして鎌八幡(かまはちまん)に到着!

ここは、真田幸村大坂冬の陣の時に、戦勝を祈願して神木に鎌を打ち込んだところ。

小さな境内の中に、神木があって、そこに無数の鎌が打ち込まれていた。

残念ながら、内部は撮影禁止。

ここはすごかったなあ。。。

抜け穴発見!!

鎌八幡から坂道を下って、心眼寺(しんげんじ)へ。


このあたりは大坂城の出城、「真田丸」があった場所だ。

心眼寺の門には、六文銭をみることが出来た。

六文銭(ろくもんせん)は、真田家の旗印。

さて、この六文銭は死者を葬るときに棺に納め、三途の川の渡し銭という意味合いがある。

真田軍が、この旗印を掲げて戦うということは、いつでも死ぬ覚悟ありというメッセージを敵軍に示す意味がある。



さあ、三光神社に到着!



ここには、「真田の抜け穴」があり、この抜け穴は大坂城中に通じるとの伝説もある。

どこにあるのかな??なんて思っていたら、ソッコー発見!!



抜け穴内をフラッシュ撮影してみた。


そしてここにも六文銭が!



さらにその真横に幸村像を発見したときは感動した!!



まだまだあるのだが、もうアップするのつかれた笑

細川ガラシャ大坂城やらいろいろあったんだが、強制終了します。


とりあえず、高山右近の前でひざまづいてお祈りする津田をアップしておこう。

最後に

今日参加してくれたみんなありがとう!!!


去年に比べると、テーマがマイナーかなぁ・・・なんて最初は思ったけど、とんでもなかったね。

面白い面白い!!!!


今日で一気に幸村ファン増えたな 笑

この企画サイコーやわ。。。


解散後の2次会で、新企画も生まれました!


今年はもう一度9月にゴールデンウィークがあります。

そのときに、「バーチャル世界ツアー〜夢の太陽公園」へ行くことが決まりました。

今回これなかった人は、また9月に!


いやあ、今日はオモロかった!!!