弁当兄貴最高!

finalventさんは、わたくしの5つ上でちょうど実在の兄と同じ歳だから、みょうな親近感が個人的に深い。その弁当兄の12月最初の日記から。

山本七平は、心底戦争がいやだった。そして戦争の実態を自身の経験から執拗に書いた。戦争はこりごりだ、どうしてこんな愚かなことになったのか、というのとそれを具現化した現人神を命を削って追った。左翼は現人神を目に見える昭和天皇天皇制だと見ている。(中略)

日本に戦争なんかできるわけがない。あれだけひどい惨事をやって学べよというのが山本の本心といえば本心だった。だが、それが、ネットとか見ているあまり通じているふうはないというか表向きなところからはあまり見えない。

ただ、山本は、日本国憲法も偽物だと見ていたようではある。

私は、この点では、吉本隆明に近い。憲法っていうのは、あれだけ酷い戦争をやって唯一日本人が得た宝だよという観点だ。(中略)

私は、日本国憲法というのは、世界精神の最高の到達だと考えている。(中略)

まあ、ぼんやり書いてしまったが、山本も吉本も大正生まれの爺たちは、平和憲法というのを焼け野原で確認して、じゃ、これで日本がやっていくのだと思ったというか、みんなそう思った。戦争はもうこりごりだと思ったという実感的な厚い裏打ちがあった。

そして、戦争というものが日本国に限らずこりごりだよという世界ができればいいと思った。

そうした、暗黙の普通の感覚がさすがにあの年代の爺や婆が死に絶えるとおかしなことになってしまったなと思う。

9条問題がぐちゃぐちゃ言われているが、9条というのは前文の具現化に過ぎない。そして前文は憲法の精神というか日本国の精神そのものというか歴史選択の誓約なのだら、歴史に対して責務を負っており、その精神には変更はない。ということは、憲法を改正しても日本には交戦権はないし、交戦のための軍事力は保持できない。くどいが9条はその派生でしかない。

日本国には通常の意味の軍事力を持ちませんと明記した憲法を持ちながら、朝日新聞毎日新聞も日中の軍事交流はよいとぬかしているのが不可解というかバカじゃないだろうか。もちろん、現実としては国際的にそういうことがよいとされる。国連=連合国のお仲間の米国と中国なら。でも、日本はまったく異なった骨格(ちなみに憲法というのは骨格という意味)をもった国なのだから、中国の軍艦は歓迎して迎える。しかし、「日本には交戦権がないのだから海上自衛隊は海軍ではありません。交換訪問はできません。そして日本国は世界の軍事力の削減を求めています。中国さんもそうしましょう」と執拗に問い掛けるべきなのだ。

お兄ちゃ〜ん(笑)
というか、親が戦中派で爺婆が明治生まれで、団塊の世代以降の昭和30年代生まれの、日本の自由と民主を信じ、世界平和を希求する、ごく普通の市民の共通感覚というのはこのようなものである、と思う。