『ソクラテス以前の哲学者』

さて早速始めるか! と思ったのですが最初につまずきました。どこから始めるか、という問題です。

当初は、ソクラテスからスタートしよう、と思っていました。古代の哲学で足踏みしていてはなかなか前には進まないだろうというわけです。しかし、まず「ソクラテスには著作がない」という誰でも知っている事実にぶちあたりました。そうです。ソクラテスの哲学に触れるにはプラトンの著作にあたるしかありません。もちろんプラトンにはプラトンの哲学があるわけで、そうなるとプラトンの哲学とソクラテスの哲学の両方をプラトンの著作から読み解くということになります。

そこで疑問がわいてきます。プラトン経由のソクラテスははたしてどのくらいソクラテスなんだろうか、と。と同時にプラトンの著作の中では悪役になっているソフィストというのはどのくらい脚色されているんだろう、と。

どうやらソフィストは狭義の哲学者にはカテゴライズされていないらしいのですが、ソクラテスと問答をやるくらいだから何らかの哲学的思考は持っていたはずです。そもそもそれ以前にも哲学があったことはなんとなく知っています。ソフィスト以前にもソフィスト以後にも哲学があって、なぜソフィストは哲学じゃなくてソクラテスが哲学の祖なのか。そう考えるとソクラテスからスタートするのはどうにも気持ち悪い。どうやらソクラテス以前についても見ておかなければならないようです。

ところが、ソクラテス以前の哲学の著作のほとんどは、現在ではほとんど残っておらず、すでに失われているのです。もちろんそれは「第二次大戦で失なわれた」などというレベルのものではなく、キリスト誕生よりもはるか昔に失われているものですからいつか出てくるという類のものでもありません。そういうわけで、原著が基本、とも言ってられないのでまずは参考文献に頼ります。

ソクラテス以前の哲学者 (講談社学術文庫)
廣川 洋一
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結論から言うと、ソクラテスについてはプラトンのフィルターを通してしか知れないのと同じく、ソクラテス以前の哲学者についてはアリストテレスのフィルターを通してしか知れない、ということがこの本でわかりました。ソフィストが悪役なのも、タレスが「万物の根源は水である」と言ったのも、すべてはアリストテレスの都合でしかないというわけです。

そもそもアリストテレスっていうのは分類オタクでしょう。今の時代なら音楽のジャンル分けとかに命を燃やすタイプでしょうか。ジャングルのルーツはレゲエで、それとブレイクビーツが融合してドラムンベースが…とか、いやそうじゃないんだとか、なんだかんだと系統立てて分類することに命をそそいで肝心の音楽活動はあまりやってないような、そんな人なんじゃないでしょうか。で、ハウスとかデトロイトテクノとかジャーマンテクノとかいろんなクラブ系ミュージックの系譜を完全網羅しておきながらトランス(ソフィスト)に関しては「あんなの音楽(哲学)じゃねー」と完全無視する、みたいな。

邪推するに、


プロタゴラスが「人間が万物の尺度である」と言った(これは原典が残っている)ので、ああ、タレスならきっと「万物の根源は水である」と言っただろうなあ、ピタゴラスなら「数」、ヘラクレイトスなら「火」って言うんだろうな、ふふふ。

などと文献を整理しながら空想したものが後世に広まってしまったのではないでしょうか。そんな都合のいい丸暗記問題の回答集ようなことを知の最先端に立つ人々が言っていたとは思えません。「鳴かぬなら○○○○ホトトギス」じゃないんですから。(学術的根拠はありません)

話を戻しますが、そういうわけでアリストテレスの濃いフィルタを通してしか知りえないのがソクラテス以前の哲学の難しさ、のようです。で、これに本気で取り組むのはかなり難しいと感じましたので、ここではこの「ソクラテス以前の哲学者」をざっとナナメ読みして概要を掴んでおきたいと思います。かなりザックリとした自分なりの理解をまとめました。


まず、古い時代には哲学と自然科学(数学や化学、物理学など)の区別はあいまいで、自然の仕組みを研究していたタレスピタゴラスは科学者であり哲学者でもある。彼らは自然の中の物事について「それ(物事)が何であるか」という思索を行なっていた。そこにヘラクレイトス「自分は何であるか」という新たな問題を提示し、「それ」という外部でなく「自分」という内部について考えるという哲学の大きな一歩を踏み出す。一方パルメニデスは自然を題材にしつつも「それ(物事)が『ある』とはどういうことか」という実存主義的な問題提起することでこれまでの哲学全体に対して疑問を投げかける。そこにプロタゴラス「人間が尺度だ(つまり、あると思えばあるし、ないと思えばない)」と回答する。これはデカルト「我思う〜」の受け売り(笑)のようにも見えるけれども、むしろ「答なんか一つじゃない。人それぞれ。みんな違ってみんないい(もしくは悪い)」という現代的でポストモダンな香りも漂う。なお、このプロタゴラスソフィスト(本来ソフィストとはタレスなどの賢者を指すものだったが、ここでのソフィストは狭義のそして蔑称としてのソフィスト)のビジネスモデルを完成させ、ギリシアのあちこちに展開しはじめる。この活躍にやきもちを焼いたソクラテスとその弟子プラトンはアンチソフィストとしての活動を開始する。(つづく)

ちょっとソクラテス/プラトン/アリストテレスに対していじわるい視点で読んでみましたが、今後彼らの主張ばかりを読むことになることを考えると、そのくらいでないと公平とは言えないのではないかと思います。だいぶ端折りましたが、どの辺を軸にするのかを考えながら要約してみたらとこんな感じになりました。

今回は解説書のナナメ読みでしたので、あまり深い入りしていないのですが、もっと深入りしたいと思ったのはヘラクレイトス(この人こそ最初の哲学者!?)とパルメニデス(最初の実存主義者)、そしてプロタゴラス(最初の相対主義者)については正直かなり惹かれました。ヘラクレイトスパルメニデスについては著作の断片がこの本にに掲載されていますので読んでみることにします。あと、パルメニデスプロタゴラスについてはプラトンの著作(もちろんソクラテスとの対談形式)があるのでそちらの視点からも読むことができます。

そういうわけで、原典(訳)読みの題材ができました。

プロタゴラス」はプラトン初期、「パルメニデス」はプラトン中期に分類されるようです。プラトン初期はソクラテスの哲学、プラトン中期はプラトンイデア論が展開されているという風に理解していますので、これに

を加えればソクラテス前〜アリストテレスを網羅ってことでどうでしょうか。断片と「弁明」はすでに手元にあるのでそこから読んで行きます。