2017.6.4

『 神の国の礼拝 』使徒2:1−4、黙示録7:9−12)
 ハレルヤ! ペンテコステ礼拝を迎え、人種と国と民族、言葉の違う、愛する神の家族と共に礼拝できる恵みを賛美いたします。
 私たちは神に愛されている神の民です。ここで聖書の主題であり、神の大いなるビジョンの御言葉を覚えましょう。 “神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである(ヨハネ3:16)。”・・・真に神の愛は、世界中のすべての人のうち一人も滅びないで、永遠の命を得ることにその焦点があります。その神の愛は、イエス・キリストの地上における最後の命令にもはっきりと記されています。 “それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)” “「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒1:8)”
 神は、罪の中で滅びていく私たちのために、神の独り子をこの世に贈られ、十字架の上で死なせてくださいました。ですから、神に愛されている者として、世界のクリスチャンと教会はカトリックプロテスタント、教派と教団、人種と性別、国家と民族を超えて、イエス・キリストの十字架の愛の上に立ち、世界に十字架の平和と愛の福音を宣べ伝えなければならないのです。しかし、今の世界を見ると、聖書の教えはどこかに消えてしまったような現実です。
 どうすればいいだろうか。その答えとなる出来事が、ペンテコステの恵みなのです。神の聖霊が神の民の教会の上に降られたことで成し遂げられた言葉の統一、世界の国々区別なく、人種、民族区別なく、すべての人に福音を宣べ伝えるための力を受けた。この日の聖霊降臨によって世界伝道への具体的なビジョンが与えられたのです。 そして、そのペンテコステの恵みが成就されるのが、やがて来たるべき神の国の礼拝であることを聖書が描いているのです。“この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」(黙示録7:9〜10)”・・・天上の神の国における礼拝には差別がありません。国や民族、言葉の違いで苦しむこともありません。神の小羊イエス・キリストの前に、皆が声を合わせ讃美と礼拝をささげる姿が神の国を象徴する最も特徴的な姿なのです。願わくは、小泉町教会に連なる神の家族お一人お一人が、国、民族、言葉の違いで一人も疎外されることなく、みんながキリストの愛と恵み、聖霊に満ち溢れる生きた礼拝を献げられるように・・・。