id:kwktさんと梅田で面会

opti c@fe」で見せてもらったこちらのエントリーが非常に面白い。

隆慶一郎の作品には「道々の輩(ともがら)」「道々の者」「公界人(くかいにん)」と呼ばれる非定住民が登場する。彼等は一所に定住せず、世間一般との縁を切り、己の才覚だけで世を渡り歩いた。彼等は「上ナシ」「主ヲ持タジ」という意識があり、侍身分からの支配を否定した。課税や補足されそうになると漂流する。逃散(日本史のこの単語を誰か憶えてます?)する。彼等は「無縁」の場所へ行く。それは河原であり、港であり、国境=境(「堺=サカイ」という中世の自由都市はここから生まれる)であり、寺院でもあり(中世期に寺院には土地が寄進され荘園(課税できない、無理やり入ることが許されない私有地)になっていた)、つまり「誰のものでもない」場所=公界であった。よく考えると祭もこの場所で行われる。

歴史にifはないが、仮に侍身分が一向一揆あるいは「道々の輩」ら非定住民との戦いに敗れ、各地に「百姓ノ持チタル国(何度も言うがどう間違っても「農民」だけの国ではない)」が出現したのであれば、日本の歴史上に「共和国」というものが誕生していたかもしれない。

僕は引きこもりについて考えるのに、日本の歴史性を全く無視して考えていた。反省。

    • 追記: 上記の隆慶一郎網野善彦さんの件について、id:kwktさんは「面白い説ではあるが、中世のユートピア幻想には注意が必要だ」という趣旨のことをおっしゃていました。】