覚え書:「今週の本棚:持田叙子・評 『山口昌男コレクション』=今福龍太・編」、『毎日新聞』2013年11月10日(日)付。

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今週の本棚:持田叙子・評 『山口昌男コレクション』=今福龍太・編
毎日新聞 2013年11月10日 東京朝刊


 ◇持田叙子(のぶこ)評

 (ちくま学芸文庫・1995円)

 ◇同時代の秩序を撃つ「道化論」の反骨

 山口昌男は、戦争と混乱の世に生をうけて学問をこころざした、サムライ学者である。

 一四歳で敗戦を迎えた。時代にふりまわされる大人をたくさん見た。学校でも孤立し、本に没入した。

 敗北をかみしめて歴史に目をひらいた少年は長じて、新しい学、文化人類学をえらぶ。アフリカを主とする未開社会部族の文化・神話の調査をさかんに行い、思考の核とした。人類学の、学問としての志を高くかかげた。

 志のほどはたとえば、本書巻頭の三論考、「人類学的認識の諸前提」「調査する者の眼(め)」「文化の中の知識人像」などに熱く宣言される。

 −−人類学とは、世間離れした好事、好奇の学であってはならない。むしろ自身の生きる時代に突き刺さる、「同時代批判」でなければならぬ。人類学者とは、我々が惰性的によりかかる世界の論理を「内側から爆砕する構えを示す認識者」でなければならぬ−−。

 爆砕、とはラディカルな。これはもう、通常の枠組からあふれ出る山口流人類学。戦後の荒野それにつづく高度経済成長期を突っ走る、革命的な知のエネルギー体。ではそれは何を目的に、いかに世界を爆砕するのか。

 近代は明治以降、西欧を至上のモデルとして世界を固め、制度をつくった。しかしそれは賞味期限切れ。見よ、都市も住居もコンクリートずくめ。人間の身体やことばは霊力を失い、単なる器官、記号と化している。分類と区分の精神で、世界はバラバラにされるばかり。早急に「他者」と出会い文化衝撃をうけ、蘇(よみがえ)らねば。社会全体もひとりひとりも。

 そのために人類学はとても有効、と山口は説く。この学の扱う西欧化から遠い未開社会の文化、無意識の知をゆたかにはらむ神話世界こそ、まさに「他者」。人類学とは他者に出会う学。他者に出会い、おのれを刷新する学。

 この認識をもとに山口は、古今東西の古典や芸術も博捜して多彩に華やかに、私たちの古びた世界のイメージを異化してみせる。

 この魔術的ともいえる異化に、めざましい世界の刷新に、かつていかに多くの若者が心つかまれ、参ってしまったことか……。

 私的回顧にもなるけれど、今を去るほぼ三〇年前、山口を読むことは大学生の一つの知的ファッションでさえあった。今あらためて読むとかなり複雑で多層的な文章を、遅れてはならじと皆ガツガツともかくも呑(の)み下した。文化人類学民俗学が、時代の申し子として輝いていた。山口の活用する<祝祭><トリックスター><周縁><両義性>などの発想は、建築や芸術、哲学の最前線と共闘して世間を沸かせた。おカタい常識をゆさぶった。

 とりわけ私たちを大いに魅了したのが、山口の独創的な<道化>論。祝祭は、神と王と人が交流する場。王のわきには道化がいる。おどけ者の道化は実は、キーパーソン。神と王の聖なる言葉や動作をひっくり返し翻訳し、神聖空間を人間らしい笑いとごちそうあふれるお祭へと変換する。しかも彼は王の分身なのだ。

 道化は、アフリカの神話世界によく登場する。のみならず道化の系譜は、シェイクスピア戯曲、西欧の中世演劇、狂言の太郎冠者など世界のそこここに見いだされる。

 道化とは、文化の始原のスター。笑いとおふざけで、日常の秩序から抜け出てみせる。王と賤(いや)しい者、つまり中心と周縁を軽やかにくっつける。みずから痴愚を象徴し、人間の愚かしさの現実を突きつける。

 冷徹な批評者であり自由な越境者、異形とグロテスクの味方、敗れて笑われる者の共感者である道化こそは、「文化がつくり出した最も柔軟性に富んだ装置」である。いわば文化の真髄。なのに理性を至宝とする近代は、この洗練された賢者をバカにして、忘れ去った。

 知と愚という二元対立が解除され、しかも両者が一体のものとして融合される論理のみごとさ。道化とは知識人の原像。少なくとも自分は、自由にしなやかに芸術的に世界をひっくり返し挑発する道化でありたい、とする山口の粋で屈折した自己宣言にも、当時の若者はいたくホレボレとしたのである。

 道化論は、山口学の大きな柱。といってもこれは本書の一端。その他、政治上の父権的な天皇制と文化の中の悲劇的な天皇制との矛盾を突く王権論あり、戦死者にささげる哀切な「のらくろ」マンガ論ありと、豊富。

 それにしても著者は不可思議なひと。冷たくて熱い。冷徹な相対化の刀をふるう一方、魂みちる「始原」を恋う情念がにじむ。著作をつらぬいて、モノで着ぶくれし体裁をつくろい異分子をゆるさぬ平板な世界などクソくらえ……!と同時代を撃つ反骨の声がひびく。

 山口昌男は昭和六、一九三一年生れ。ことし三月に亡くなった。この過激にして繊細、優美な思想家を銘じ、彼の一九六〇−八〇年代のしごとより一五篇の論考をよりぬき、編者の今福龍太氏の解説をそえる。全体に活字が小さいのはいささか残念。年譜がつく。
    −−「今週の本棚:持田叙子・評 『山口昌男コレクション』=今福龍太・編」、『毎日新聞』2013年11月10日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20131110ddm015070051000c.html




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