日記

統合失調症とちょっとアートの備忘録。

ハートネットTV 闇に埋もれた真実は(2)「消された精神障害者」

ハートネットTV 闇に埋もれた真実は(2)「消された精神障害者」という番組を見た。
https://www.nhk.or.jp/heart-net/program/heart-net/615/



テレビをつけたらやっていて、もう終わりのほうだったので、
再放送を録画してみた。



見ていて相当つらかった。



「私宅監置」という、精神障害者を法的に小屋のようなところに閉じ込めておける制度がかつてあって
その記録をもとに取材した番組だった。



以前、ナチス時代のホロコーストの本を読んでいた時に、
強制収容所に送られた人にはユダヤ人だけではなく、いろいろな人がいたのだが、
その中に精神障害者もいたと知った。
ナチスの時代に生まれていたら、私は強制収容所行きか、と思った。
私宅監置と比べているのでなく、こういうことが言いたい。
小さい頃は教科書で習った歴史上のこと、大昔の夢物語のようなこと、と思っていた出来事も、
30代にもなると、現在と切り離された出来事ではなく、
現在の私と変わらない、生きている人間が経験したことなんだ、と実感をもってわかってくる。
大昔のことではない、ちょっと昔に起きたってだけのこと。
私のおばあちゃんから母へ、母から私へと生活がつながっているように、
かつて私と同じ、生身の人間が経験したんだと。



だから、少し時代が違えば私だって私宅監置されていたのだろうから、
どんなにつらかっただろう、と思って見ていて苦しかった。
行き場のないつらさのなかに、この病気のどうしようもない不幸な特徴がある。
病気じゃない人が、妄想や幻覚に突き動かされている当事者のことを理解するのがすごく難しいということ。
入院中、どこが病気なんだろう?と思うような面倒見の良いお姉さん肌のひとが、
急に興奮して叫びだし、何人もの看護師に押さえられているのを見た。
また、同じ部屋の同年代の女の子が、面会にくるお母さんに毎回、興奮した様子で妄想の被害を訴えていた。
その子は母親以外の人には、大人しめではあるが普通に接していた。
聞こえてきた話では、もう何回も入退院を繰り返しているらしかった。
私のことを振り返ってみても、
いま、私が相手にしたとしたら、ものすごく恐ろしく感じるだろう、という興奮と暴れかたもあった。



周りの人だって大変なのだ、と思う。
人間だって生き物だから、奇妙なものをみたら警戒する防衛本能があるだろう。
わけのわからないものと出会ったら警戒するのは生き物として当然だと思う。
しかも、よく効く薬もなかった時代に、暴れる当事者をどうすればよかったのだろう。
そういう考えと、私宅監置されていたかもしれない自分がごちゃまぜになってつらい。



でもだからこそ、「知る」こと「だけ」で大きな解決ができる病気でもあるのではないかと思う。
同じくハートネットTVで、高木俊介医師が現代を、「精神障害者に対するおつきあいの作法をなくした社会」だと言っていた。
私はどうも、統合失調症に対する理解が恐ろしいほど無い世間の、歴史をよく知らなかった。
法的に私宅監置ができて、隔離されていた時代。
その後、精神病院が次々建設されて、精神病院に長期入院されて世間から離されていた時代。
そういう流れがあった。



しかし今、良い薬があって社会生活が送れる当事者も多い。
だから、こういう病気があっておかしな行動は病気の症状なんだ、という理解が進むだけで
それは大きな解決なんじゃないだろうか。
理解があれば、早く治療につながることもあるだろう。



いま、ニュースで、かつてあった優生保護法による強制不妊手術の問題が取り上げられるようになった。
それに続けて最近になって報道されるようになった私宅監置である。



私は大学生のときに、授業で国立ハンセン病資料館に何度も行かなければならず、
その時にざわざわした思いがあって、このブログに書いた。
国立ハンセン病資料館は唯一の「病」をあつかった資料館で、「病」を扱った資料館と、どう向き合ったらいいのか、
ざわざわした思いがした。
その時ブログにはこう書いた。
それは、ハンセン病がもう、「治る病気」だからじゃないだろうか。
それは、博物館がもともと記憶する装置だから、に他ならない。
記憶されるべきものは、それが「過去のもの」とならないようにという思いをこめられて
博物館におさめられる。「過去のもの」となりうる可能性を持ってはじめて
博物館が作られる動きがでてくるのではないか。と。
http://d.hatena.ne.jp/unaao/20090720
http://d.hatena.ne.jp/unaao/20170828/



たぶん、精神障害は、やっといま、なのだ。
ハンセン病資料館のことをブログに書いた9年前はまだだった。
やっといま、報道できるようになった。
やっといま、過去のものと「なりうる可能性」が出てきた。
私宅監置の法律はない、優生保護法もなくなった。
これから精神障害はどうなるだろう?
道のりは険しいことは知っている。精神障害の娘や息子を長年、監禁してきたニュースや殺してしまったニュースも多い。



そこで、やっぱり、私は思う。
「知る」ことが重要なんじゃないかって。



それから、こうも思う。
私の今の幸せな生活は、ものすごく微妙なバランスの上に成り立っていて、
当たり前のことではないんだと。