映像におけるシミーズとはなにか?


パンツに出くわすと儲けもんであるし、ブラジャーも同様であるのだが、シミーズには逆にげんなりさせられるのはなぜだろうか。教えてくれ、大桃美代子さん。私のようなド・スケベですらもこの有り様であるのだから、女性専用車両に乗り損ねた女性は、シミーズで男女混合車輌に乗り込めば、痴漢どもも遠慮するのではないか。

時は昭和、私の通った小学校においては、河村くんは「カッパ」と呼ばれるのが通例で、同じ調子で清水くんは「シミーズ」と呼ばれ続けた。かといって、語尾に「ズ」がつこうとも、今日、草野球チームやロックバンドの名に用いられることはない。下井草シミーズ、レッド・シミーズ…。ああ、日蔭者シミーズ。

そんなこんなのシミーズであるが、リリー・フランキー「日本のみなさんさようなら」*1に、市原悦子のシミーズ姿についての考察があるので紹介する。題して「エツコ・シュミーズ」、長谷川和彦の映画「青春の殺人者」のレビューである。

市原悦子のシュミーズ姿は様々な解釈がある。人によってはアレをはなはだ不快と感じる方もおられるだろう。いや、正確にいえば、すべての人がアレに対して、少なくとも生理的な不快感を得ているハズである。
しかし、市原悦子はここぞという場面では常にシュミーズ姿になる。
それは何故か?(略)
そこにあるのは性なのだ。年老いてもなおすかんたらしく燻り続ける女の性である。本来、性を感じたくない役柄にも、あえて生臭い性を演出する市原。だからこそ、彼女の演ずる、欲求不満の母親や厚化粧の家政婦には生理的不快感がともない、同時にコクがある。
この名作「青春の殺人者」の中で、市原シュミーズの意味は大きい。母は偉人ではなく一個の女であり、そして、そんな母親の方が息子に刺し殺された時、その後の悲しみは深い。母=メス。そんな現実がある

映像においては、女性はエプロンをまけば、「お母さん」なり「人妻」なりの役割を負う。スーツであれば「OL」や「キャリアウーマン」を負う。では、シミーズは … シミーズならばどうなるのか。教えてくれ、大桃美代子さん。それは生々しいまでの「おんな」を負う、もしくはあらゆる役割から解き放たれた、一介の「女」に戻るのではないか。これが全裸であれば、巨乳・貧乳などと、また別の役割を負ったり、政治性が帯びたりするのであるから、すなわちシミーズ姿こそが映像における「全裸」なのである。なんと・スバラシきかな・シミーズよ。… ユニクロの次期主力商品はシミーズで決まりだろう。

顧みれば、中北千枝子。このひともシミーズが似合った。成瀬巳喜男の映画では基本的にシミーズ姿である。あるいは田中登白い悪魔が忍びよる」のシャブ中になった山本陽子のシミーズ姿もすごかった。そんなことを想い出しながら目を閉じると、走馬燈のようにシミーズ姿の女優たちが現れてくるではないか。シミーズ姿で札束を数える小川真由美、シミーズ姿で町工場の旋盤を操作する倍賞千恵子、シミーズ姿で廃工場の天上から鎖でつられる池玲子、シミーズ姿で写経する緑魔子、シミーズ姿で蚊に刺された内股をぽりぽりとかく安田道代、シミーズ姿でTKとカップ麺をすするKEIKO …。

現実に戻って、中島哲也演出の「ぼくのなつやみ3」( http://www.nicovideo.jp/watch/sm841082 ) ここで女は、ちゃんとお洋服を着ている。当初、地上波オンエアを目論んでいたと聞くから仕方がないのだが、やはりシミーズ姿にすべきだったのではないか。

監督、それでいいのですか?


【余談01】(後で「ぼくのなつやすみ」を例にHS撮影について書くよ)
【余談02】久世光彦を読んでいると、やたらと"赤い銘仙"が出てくる。「早く昔になればいい」はまさにそれである。これは久世なりの頽廃美のアイテムなのであろう。残照、落陽、血、薄紅 … 赤は頽廃の色である。おまけに白い肌を病的に見せる。

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早く昔になればいい (新潮文庫)

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*1:「ぴあ」94-11-29号〜99-05-10号→情報センター出版・99年→文春文庫・02年