<幻影の街>のアンドロギュヌス(両性具有)論
<幻影の街>前田愛
S61,11,10 小学館
川端の<浅草紅団>について主人公弓子につき興味深い解釈をしていた。
アンドロギュヌスの聖性を帯びた美少女弓子。彼女と同様に変装好きな紅団の面々。浅草に出没する乞丐(きっかい)、ポン引き、無頼の徒、売春婦の群れ。健全な市民から疎外された彼等を存分に跳梁させている「浅草紅団」の世界は、震災の天譴(てんけん)に引き続いて世界恐慌の波に洗われることになる1920年代の東京を裏返した陰画を見る想いがする。
ぼくなら、エログロナンセンス時代の混沌たる象徴・浅草に隠棲していた香具師の世界をニヒルに描いたと言いたいが・・・・
またS4秋に完成した地下食堂のビル屋上にふれながら、この白亜の尖塔と隅田川に思いを巡らし、前田は弓子につき次のように論じている
(略)
川端は、紅丸の船室に赤城を引き入れる弓子をアンドロギュヌスにふさわしい変化無類の水の女(ウンディーネ)、「船板の枕に寝るかもしれな」い流れの女として描き出したわけである。
無性・ボーイッシュなイメージと変装屋など妖しい舞台からうすうすアンドロギュヌスに気づきかけていたが、水の精ウンディーネ(ヌ)まで考えられなかった!今さらながら、この人ただ者じゃないですね前田さんてぇ
<近代読者の成立>からこの<幻影の街>(後、<都市空間のなかの文学>に収録される)>ヤッパすごい業績を残した人
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補陀洛渡海(ふだらくとかい)
この前沖縄の映画<ウンタマギルー>で蛇足としてふだらく詣で軽く触れていたが以下参考に。
補陀洛渡海とは、南方海上にあると想像された補陀洛世界に往生または真の観音浄土を目指して船出する宗教的実践行である。観音に対する信仰表出であり、漂流、入水の形態をとって行なわれた一種の捨身行であった。九世紀半ば過ぎから十八世紀初頭まで継続的、或いは集中的におこなわれた。
生きながら観音浄土へという補陀洛世界に魅せられて、多くの修行者の人々が小船を仕立て南方の海上の彼方へ消えていった。
http://blogs.yahoo.co.jp/oga_oneより
昔、昔・・・・おい!やめとけ!
ぼくは花咲じじいなんで
絶版らしい(書架というかゴミ倉庫の奥にあるんでちょっと取り出せない、トホホ)
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刺青・性・死 (平凡社選書)
逆光の日本美
刺青・性・死(平凡社) 松田 修〔著〕
出版 : 平凡社
発行年月 : 1978
或いは同著者の<闇のユートピア>どちらかでこのことを知った。
熊野といえば南方熊楠だな>何か書いてたのかしら?