こうのとりのゆりかご(続報)

「赤ちゃんポスト」に乳児2人 計3人に 熊本

 熊本市の慈恵病院(蓮田太二理事長)が運営する「赤ちゃんポスト」にこの数日間で、乳児2人が相次いで預けられていたことが16日わかった。「こうのとりのゆりかご」と名付けて運用を始めた5月10日午後に預けられた3歳ぐらいの男児を含め、預けられた乳幼児は計3人となった。


 関係者によると、新たに預けられた乳児2人のうち、1人は男の子で数日前に赤ちゃんポストに置かれたという。健康状態は良好。もう1人はその後預けられたといい、性別などは不明。(中略)


 このまま親が名乗り出なければ、2人とも「棄児(きじ)」とされ、病院内で健康上必要な処置を受けた後、児童相談所を通じて乳児院に預けられる。氏名や戸籍は熊本市長が定める。乳児院には原則、満3歳となるまで入所し、その間に、里親へ預けられるか、児童養護施設に入るかを決める。 (後略)
asahi.com 2007年06月16日)

 先日、NHKの「世界ふれあい街歩き」の再放送でイタリアのアッシジの回を見ました。街の南端のあたりで、今はもう使われていなかったのですが、育てられない赤ちゃんを入れる壁の仕掛けが備え付けられていました。道を挟んだ向かいにはアッシジの町の人たちが衣服やお金を援助するためのポストもあり、上方にはそれらを見守るマリア様のフレスコ画が。番組ではいつまで使われていたのかには触れられていませんでしたが、かつてはそこに預けられた子供たちから多くの修道士が生まれたという話がされていました。


 やはりこの仕組みには、堕胎を許さないカトリックの社会的制度だったという面が大きそうです。
 単純に欧米にある仕組みだから是とするのは少々問題もあるでしょう。赤子の命が無駄に消えないという点には賛成ですが、それを匿名のシステムとして、しかもその後の受け入れ先や人生のフォローを固めないままに入り口だけ真似しても、しわよせはあると思うのですが…
(⇒関連過去記事


 ちょっと検索して興味深い記事が。八木哲郎さんという方の「現代徒然草」というブログの一節です。
 江戸期のお寺さんの捨て子にも触れられているのですが、次のところは全然知らなかったことです。

 …中国では戦前は捨て子が多く、フランスからやってきたカトリック乳児院が捨て子救済の事業を行っていた。修道女がたくさんやってきてそういう仕事をしていた。
 私が育った天津の旧フランス租界に立派なカトリック教会があるが、違う場所にかつてノートルダム・デ・ビクトリアルという盛大な教会があり、そこの付属施設として乳児院があった。そこのシュバリエ神父は立派な人で、赤ちゃん救済に力をつくし、伝道のかたわら見つけた捨て子はかならず教会に連れて帰った。しかし、これでは間に合わないので、人を使って多数集めさせた。シュバリエが1868年から翌年にかけて救済した捨て子は延5万6千名に達したが、このうち命を永らえたのはわずか5百名弱に過ぎなかった。大半の幼児は乳を与えられなかった発育不良児であったり、病児であったり、捨て置かれた時間が経ちすぎて衰弱がはなはだしく、大半は乳児院に連れ帰ってすぐに死亡した。シュバリエは死前洗礼をほどこし、死体は教会の敷地内の墓地に葬った。
 ところが、これが誤解を生んで有名な天津事件になった。
 そのころ、幼児誘拐事件が頻々と起こり、市民は教会が幼児を大量に集めて、医師たちが目玉をくりぬき、それを薬用にして輸出しているという噂が広まった。悪質な排外デマであるが、当時の人は占とか噂を信じやすく、親たちは連日大挙して教会に抗議におしかけた。
(後略)

 ただ、捨て子を集めるという活動にはミスもあったのではないかと、それは危惧されたのかなと思います。

追記『滝山コミューン一九七四』

 最近の記事だけ少し辿って、この本の書評で面白かったものをいくつか

 日記(佐藤亜紀)6/14
 経験の追想に基づくはっちゃけた感想。面白い。
 
 送信完了。「原武史『滝山コミューン一九七四』は侵略モノSFの傑作だった」
 眼の付け所が鋭く、表現がうまい。
    
 先日読み終わった時、「まるで侵略モノジュブナイルSFの世界だな」と思った。
「しかしあの赤化教育はなんだったんだろう 」にも)  秋月瑛二の「団塊」つぶやき日記−FC2版  読売新聞の書評(佐藤卓己)に対する応答
私は「戦後教育の欠陥」は「行き過ぎた自由」というよりも「行き過ぎた個人主義」ではなかったか、と思っている。ということは、「個人の尊厳」が尊重され過ぎた、ということでもあり、書評者の理解とは正反対になる。
 日曜新聞書評欄簡単レビュー  朝日新聞の書評(北田暁大)の紹介  【書評】『滝山コミューン一九七四』原武史著  イザ!での書評(片山杜秀)  追記:はてブで見つけた滝山コミューンへの言及  『滝山コミューン』で見つけた鬼のパンツ:[mi]みたいもん! (私はこの「鬼のパンツ(フニクリフニクラ伴奏)」は全く聞いたことがなかったです。それにしても、はてブ界隈でこの本の評が聞こえてきませんね…)

 

 実際、さまざまな局面で私たちは「集団」だの「場」だのにいるわけです。孤高を気取っても、決して本当に一人で生きていけるわけではありません。でも同時に、自己というものを意識する以上、集団・場といったものとの齟齬が生まれてしまうのは仕方のないこと。必ずどこかで折り合いをつけ、或いは妥協し、或いは場を変え、何とかそうしたものと共に生きているのです。
 もともと人の集まり(国・社会・地域・家族…)といったものの中から「個」は形成されるのですが、だからといってその集団の中に個が埋没したり、その中に解消されてしまうといったことは望まれないはず。それが近代的自己意識なのだと思います。だから自己は常に集団というもの、あるいは集団主義といったあたりと葛藤を繰り返さずにはいられないのですね。


 集団や場を大切にして、そこからのメリットを享受するということが必ずしも「集団主義」というわけではないでしょう。ただ「個」が「個性」を求める以上、集団との摩擦は付き物です。それをどこまで許容するかでその集団なり場なりの性格は変わってくるのだと思います。
 できるだけ度量の広い集団にいたいという気持ちと、できるだけ集団らしさの利点を享受したいという気持ち、これは本来両立が難しいものなのかもしれません。でもどちらも求めるのが人の常ですし。
 皆が理想の集団などないという(おそらく正しい)認識をしていれば、「集団主義」的傾向は抑えられるのではないかと思います。でも、それはそれで寂しいことだなあと…。


(※私の本への感想などは前日の記事に)