EHRGEIZ逝く


EHRGEIZ(エアガイツ
とは、ドイツ語で信念や魂を表す言葉ですが、この言葉を好んで使っていたカール“神様”ゴッチが亡くなりました…。
今日、外れるはずのないアクセが落ちたり、セミが突然顔面にぶつかってきたりと奇妙なことが多いとは思ったのですが、帰ってきたらこの訃報でした。

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/wrestling/20070729-00000039-spnavi-fight.html

神様と崇め、死ぬ前に一度は会ってみたいとフロリダ詣でを一生の目標の一つと決めていたのに…。お金があればmixiのゴッチコミュのゴッチさんに会おうツアーにも参加するつもりでした。
人はいつか死ぬものですが、昨年のバーネットとの対談では古傷の膝は悪かったものの元気そうでしたのに…。


プロレスラーでありながら、日本プロレスのみならず昨今の日本の総合格闘技の隆盛の原点でもあり、死ぬまで「もし闘わば」を問い続けた武人でもありました…。
その化石のような歩くゲルマン魂は、奇行と呼ばれるものも多く、控え室でタッグパートナーのルー“鉄人”テーズに突然「ルー!どんな狂暴な犬でも一発で殺す方法がわかったぞ!」と叫んで嬉々として実演してみたり、老境においても町でチンピラに絡まれたときには「私は喧嘩などしない!お前を殺すだけだ!」と平然と言い放ったりと、数多くのゴッチ門下生の証言とともにシビれるエピソードが満載でした。
当に浮世のぬるま湯のような常識とはかけ離れた「神様」だったと思います。


ジャッキーに始まりUWFで自ら格闘技を始めたボクは、そのキチ、いや熱い魂にリスペクトを表し、生まれて初めて出した同人誌に「EHRGEIZ」と名づけました。


神様はついに神のもとに旅立たれましたが、キャッチ・アズ・キャンとその熱いEHRGEIZは受け継がれていくでしょうし、自分も少しながらも受け継いでいきたいと思います。


写真は日本で初公開し異名ともなった神様本人によるジャーマンスープレックス
本式は踵はマットにつけたままです。
クラッチすることができたらどんな相手でも投げられる」とは本人の弁。
他にも「BIG MAN IS BIG SHIT」(筋肉マンはデカイ糞)と言ってはボディビルトレーニングを嫌い、コシティなどのインドや中近東のトレーニングを取り入れていたのもレスラーというよりは武人を思わせるものであります。ヒクソンで有名になった格闘技でのヨガトレーニングですが、ゴッチは内臓をグルグルと動かすことができたといい、すでにヨガを修得していたと思われます。


その酷いドイツ訛りと共に汚い形容詞ばかり使う英語、いや、福音を一度は生で受けてみたかったです…。ただ涙…。
アレン、ベノワに続いてのこの訃報、今のプロレス界を象徴するかのようで…また涙…。

前項補足

Uインターはルー・テーズとロビンソンに行ってしまったのと同種団体との色分けで必要柄カール・ゴッチに否定的にならざるを得なかったところもあるでしょう。
ですが、コンディションをロビンソンとゴッチと比べれば…ねぇ。
ロビンソンは正統派ランカシャーを守り続けてますが、ゴッチは時代の変化とともにその時代にあったスタイル(実戦も含めて)を日々研鑽してましたし、裏技も数多く身に付けていました。キックもけして否定していたわけではなく、ソバットを使ったり、技の繋ぎやテンポ作るために使ったり(木戸キックに片鱗が見られます)、わだかまりはなくとも意見の差異は見られるでしょう。

パワー押しする剛のレスラーと思われがちなのですが、レスリングの攻防をチェスで表現したり人体構造を力学的に分析する(もちろん壊すためw)などインテリジェントで哲学的な面も持っていました(つまり試合の組み立てや戦略、技のコツにも相当の実力を持っていた)。パワーファイターではあったと思いますがいかにその力を効率的に運用するかを重視していた「柔」に近いレスラーだと思うんです。

そのインテリジェントもショーマンやギミックに向かなかったこと(地味かつ相手を壊してしまう)で、その実力と不似合いな環境と繋がってしまいました。

そこは流石は日本プロレス界最大人・力道山に、選手兼コーチとして招聘することでかつての同盟国のうえ、格闘技に関する土壌、そしてガチンコ好きの日本人向けのシュートとギミックをおり混ぜ合わせたスタイルにも合い、有能な弟子(※)にも恵まれ、見事、日本プロレスの底辺を築き上げ、ストロングスタイルの父として「神」の称号を手にするわけです。
佐山とのラインは後の修斗にも繋がりますし、UWFは総合格闘技ジャンルの礎を築き、UWFからシュートボクシングK−1に繋がるわけですから、多少の変人っぷりを補って余りあるワケです。
ま、元々お金に価値を求めたわけでなく、その信念を突き通すことに価値を見出した人でもありましたしね。
ただ、晩年近くにポツリと漏らす一言には寂しさが混じったものも多く、やはり武人としては栄誉も欲しかったのではないでしょうか。涅槃に渡った今では叶うべくもありませんが、せめて歴史として名を残して欲しいものです。
アメリカで報われなかったものの、フロリダに身を引いたのは温暖な気候が相当悪かった膝の怪我に良かったのとプロモーターの仕事に都合が良かったからでしょう、唯一の肉親といっていい娘婿の故ミスター空中氏が住んでいたこともありますし。タンパなんて辺鄙なところに住んだのもアメリカ文化に馴染めない理解者である奥さんとの静かな生活を望んだからでしょう。
そんな隠遁した達人に遺伝子を受け継いだ若者たちが教えを請おうと次々と訪れるわけですから現代武侠物語のような趣で、非常に東洋的であります。


※猪木、藤波、木戸、ミスター空中、藤原、佐山、長州(は途中夜逃げ)、キラー・カン、前田、高田、船木、鈴木、石川、西村、渕、等々(渕が滞在時、ジャンボ鶴田アメリカ遠征中にゴッチ道場を訪れ教えを受けたエピソードもあり)