平日の記録



丸の内オアゾ内の丸善からの眺め。
以前からあるM&C Cafeの窓際からは、在来線も新幹線もよく見える。季節のケーキとコーヒーで小一時間。
別の日に立ち寄った、一階下に昨年オープンしたCafe 1869は狭いがゆえの「全席トレインビュー」。日暮れ後は何も見えないけれど、電車の気配は感じられる。檸檬シフォンケーキにアイスティーで帰宅前の休憩。


復刻パン。
神戸屋の「100周年記念サンドウヰッチ物語」は昭和12年の商品の復刻版だそう。パッケージに「コーベヤのサンドウヰッチ」、中味はロースハムとピクルス。ふわふわで美味。
復刻というわけじゃないけれど、新宿から撤退したル・プチメックが日比谷シャンテにオープンしたのを横目に見てたのに、ようやく立ち寄る。カレーパンと、クリームとラムレーズンを挟んだバゲットを購入。ここのパンは「どうでもよさ」が一切無いので、美味しいけどくたびれる。

ボストン・ストロング ダメな僕だから英雄になれた



ジェフ(ジェイク・ギレンホール)の母パティ(ミランダ・リチャードソン)のエリン(タチアナ・マスラニー )に対する「あんたは野球ってものが分かってない」との意味が掴めず引っ掛かっていたのが、映画の最後に分かる。「ソックスが優勝したのは全てジェフのおかげ」との文章が出る。ある種のアメリカ人にとって野球とは、選手だけじゃなく英雄が牽引するものなんだろうか。これは第一に、母と息子の間に不和が表出し、解消する話と取れる。


第二には、「いつも居てほしいところにおらず、時間には遅れてくる」男に女が別れを言い渡しながらもその都度よりを戻してきたカップルが、大きな問題を乗り越えまたくっついたという話にも取れる。「君はいい母親になる、僕みたいな大きな子どもの世話もうまいんだから」なんてメッセージに男女逆でもそう言えるものだろうかと考えつつ、ラストシーンのジェフは実に「歩き始めた子ども」のようで、これから自在に、でもってエリンと共に歩いていくようになるんだなと思わされた。


オープニングの一幕で、ジェフがどんな人間だか分かる。自身の欲望に忠実で他人のためにもよく動く男。職場でくるくると働き、野球のために走って帰り、未練のある女を追い掛け、母親のために高い棚の物を取ってやる。常に肉体を、「足」を駆使している。それが奪われてしまうのだから、どんな人間にも辛かろうが彼にとっては尚辛いだろうと推測させる。二度のフラッシュバックの「他の奴を救ってくれ」との叫びから分かるように、生きたいなんて全然思えないのに生きることを強要されたことが彼の苦しみである。ボイスメールの「僕は生きたい」をエリンは聞いたはずだが、始球式の中継を見る表情からはその気持ちが読み取れなかった。

ホース・ソルジャー



なぜかしら、イーストウッドが見たらどう言うかなと思いながら見ていた(彼が他人の映画に意見するところ、あまり想像できないけれど)。「ガトリング砲が発明されて使われなくなった」騎馬が、空と大地なら大地の側を走ることでミサイルや戦車の砲撃を掻い潜っていくクライマックスは、(ブラッカイマーの馬映画繋がりで)「ローン・レンジャー」のそれの楽しさを100としたら12くらいだけど、普通の映画は10くらいだからまあまあだし、「牧場育ち」のミッチ・ネルソン(クリス・ヘムズワース)が一人ゆく画も、ハル(マイケル・シャノン)が目を閉じる前に見る男達が馬でゆく光景も、西部劇みたいで悪くない。


大佐(ウィリアム・フィクナー)に「君達を選ぶ/テロに最初に反撃する12人だ」と言われたミッチとハルが「俺らが一番乗りだ」「宇宙へは最初に猿が行ったんだ」と笑いながら仲間のところに戻るシーンがあるからじゃないけれど、その晩の出撃シーンで彼らが乗り込むのは宇宙船のように見えた。「スター・ウォーズ」シリーズで違う星へ行く場面のようだった(ロケに「砂漠」が多く使われているのだからあるいはさもありなんか)。しかも着いた先には「スター・ウォーズ」に描かれているよりも大きな文化の差がある。「反対」の類の概念は(ここでは人類という)共通項の上に存在し得るものだからだとも、「スター・ウォーズ」はやはりアメリカ映画なのだとも取れる。


ドスタム将軍(ナヴィド・ネガーバン)にタリバンの基地に案内されたミッチが空軍に爆撃指示を出す前に「彼らは本当にタリバンなのか」と確認すると、将軍は当の基地に対して「お前らは死ぬ!米軍が来たぞ」と言ってのける(無線からは「Fuck! America!」と返ってくる)。まるでスケッチを見ているようだが、そう思うのは私がアメリカ文化に浸かって生きてきたからなんだろう(ああいうことが本当に「ああ」なのか分からないけれど/あるいはブラッカイマー製作映画の特性かな)。逆に冒頭の「馬の餌」がかの国ではお笑いになり得るのかもしれない。