あっ、これおもしろそう(安田顕の変態演技に注目しているワタシ)。観たいな。大阪の平日ならいけるかも・・・と思ったけど数分でチケット争奪戦に完敗したわ。どちらさんの人気のためでしょうか。どっちもか。
その昔はなにもかもチケットぴあが独占していて、店舗販売のみで朝早くから並んだよねえ。その後は「地獄の電話攻撃」、体を張って手に入れてた。今はいろいろ姑息な手段でチケットを得ている輩がいるのでは・・・!(←被害妄想)
懐かしいな。シングルCD買いましたわ。何年前になるんだろう。
当時もファンの1人としてその音楽を楽しんだはずだけど、「最近の坂本龍一ってこーゆーとこあるよね」という、ちょっと斜に構えた冷笑っぽい受け止めだったことを記憶している。ワールドワイドな音楽の断片を寄せ集めた、彼にしてはストレートすぎる平和メッセージだな、と。
(・・・今の嫁の影響なんじゃねえの、という邪推もあったりして。大きなお世話だな)
いや~、五十路になって聴いたら一周回ってすごくすごくいいじゃないか。生で聴いたら泣いてるやつやぞこれ。
中二から大人になるのって想像以上に時間かかるわい・・・と思ったことでした。
曲中のダライ・ラマ14世がどんなことを話していたのか知りたかったので翻訳がありがたかったです。(世界共通語であるところの英語がわからないのはあなたの怠慢です、というダライ・ラマの言葉が刺さる・・・)
アフリカンパートから日本ボーカルパートに移るところがやっぱいいですね。
(この優しい翻訳があの村上龍らしいですよ奥さん!)
黒沢清監督の本作(1998年)を柴咲コウでセルフリメイクするってんで無料配信されていたのをこれ幸いと鑑賞。
いや~、これ、リメイクされたからってもう1回観たいかあ?
超絶いやな映画ですね。・・・・・・超絶いやな感じなのだが、「なんだったんだあれ」「どういうことだあれ」と、解読せずにはいられないような心持が続くので、これはある意味で傑作なのだろうか。いやだけど(くどい。笑)。“この世のものでないおぞましさ”を映画的表現で興味深く提示された、とでもいうか・・・・・・
哀川翔が講師をしている謎の塾(ナゼか老若男女がいるよ)、複雑な数式、そして香川照之ですね。もうそういう人にしかみえない。身の毛がよだつ感じ。今よりずっとイイ(今のおぞましさは俗物すぎて辟易)。
監督のインタビューで「脚本なかなかできないし納期間に合わないしテキトー」とか「復讐なんて陰惨にきまってる、というとこからスタート」というような裏話的発言を聴いて、そんなノリでこんなのができるんだ、映画って、監督ってすごい・・・・・・って改めて思いました。
映画は奇跡の産物。
・・・ということで出かけてまいりました。
実は私は戦国武将への関心がうすくて、豊臣秀次?はて誰だっけ?くらいな認識だったのだが、雨月物語?柳家さん喬?京都?行かねばならぬ!・・・となった次第。こういった情報をタイムリーにキャッチできるネットはやはりありがたい。
このイベントを企画された菩提寺であるところの瑞泉寺(HPもポップで素敵)は三条京阪・・・・・・私の庭じゃねえか(うそ。笑)。
さて件の秀次公とは豊臣秀吉の姉の長男、すなわち甥っ子で、当時ナイスな後継ぎがいなかったため、やむなくこの甥っ子に関白の地位を引き継がせた、と。しかしその後側室淀君に息子が生まれ(秀頼)、引き継がせたもののわが子可愛さに次第に疎まれることになり、自害に追い込まれた、と。数多の奸計・陰謀も作用していたであろう、戦国時代にありがちな話。
その後三条河原で首をさらされ、正室側室(10代20代の娘さんよ!)幼い子供含めて34人を公開処刑したという。根絶やし皆殺し。当時の権力者の倫理観やメンタリティを推し量ることは不可能だが、その途方もない残酷さには気が遠くなる。
その血まみれな処刑現場、三条大橋のふもとには菩提を弔う寺が奇跡のように現代の喧騒の中に静かに佇んでいます。
(おっ、いいタイミングでお着物姿のご婦人が・・・)
しっとり五月雨の中、手入れの行き届いたお庭には躑躅が満開。
そしてさん喬師匠の落語は初めて。ううう、楽しみだ。
御年75歳でいらっしゃるようだが若い。すごく声に艶がある。
会話の端々に漂う繊細な感情の起伏、ふんわりしたユーモアの空気。おお、これは一級品だわ・・・
ほれぼれしていたらいよいよトリの雨月物語「仏法僧」。
高野山で荒ぶる秀次公の怨霊登場というので身を乗り出し息をのむ思いで聴きいっていたが、予想に反してなんとも風雅な怪談であった。さすが上田秋成。
こうして連綿と弔いと鎮魂が行われている場にいると、自分が歴史の大河の中に浮かんでいるような、不思議な感覚を味わいますね。お寺の中は異空間。
今のところ信仰や宗教になじみが薄いわたくしですが、やはりそこは懐深く得るものが多いと感じた好日でございました。
合掌。