日本軍とプロパガンダとマレーシアの気持ち(2)

前回の記事:日本軍とプロパガンダとマレーシアの気持ち(1)
http://d.hatena.ne.jp/yosikazuf/20160105/p1


保守派の団体「日本会議」のホームページには「世界はどのように大東亜戦争を評価しているか」というページがあり、マレーシアの人たちの発言も紹介されています。

■マレーシア

◎ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員


「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。しか も、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育を おこなってくれたのです。」

◎ガザリー・シャフィー 元外務大臣

「日本はどんな悪いことをしたと言うのか。大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3カ月でシンガポールを陥落させ、我々にはと てもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが、英軍は再び取り 返すことができず、マレーシアは独立したのだ。」

◎ザイナル・アビディーン 歴史学者

「日本軍政は、東南アジアの中で最も政治的意識が遅れていたマレー人に、その種を播き、成長を促進させ、マラヤにおける民族主義の台頭と発展に、大きな〝触媒″の役割を果たした」

出典:日本会議ホームページ
https://www.nipponkaigi.org/opinion/archives/844

ここでは日本軍のマレー半島占領が肯定的に評価されているようにみえます。これは本当でしょうか?

Nくんに質問したところ、この3人の発言は事実だということでした。同時に、これを見てあることに気付いたといいます。それは、この3人は全員「マレー系」だということです。つまり、マレー半島にはマレー系の住民も中国系の住民もいるけれど、日本軍はマレー系を優遇する一方で、(当時戦争中だった)中国系の人々を激しく弾圧したのです。

1945年に日本が降伏した後、1957年にマラヤ連邦がイギリスからの独立を果たします。1963年にはシンガポールなどいくつかの地域と統合してマレーシアが成立しますが、中国系住民が多数を占めるシンガポールは1965年にマレーシアから分離独立します。

先ほどの「日本会議」のページでは、シンガポール2代目首相ゴー・チョクトン氏の言葉も紹介されています。「日本軍の占領は残虐なものであった。」という言葉は、彼が中国系であることとも関係しているのでしょう。

シンガポール

◎ゴー・チョクトン 首相

「日本軍の占領は残虐なものであった。しかし日本軍の緒戦の勝利により、欧米のアジア支配は粉砕され、アジア人は、自分たちも欧米人に負けないという自信を持った。日本の敗戦後15年以内に、アジアの植民地は、すべて解放された」(「諸君!」平成5年7月号)

Nくんの話では、マレーシアは日本にだけ支配されたのではなく、ポルトガル、オランダ、イギリス、中共にも占領されたことがあるので、日本だけにことさら謝罪を要求するような風潮はないそうです。ただ、日本占領下で優遇されたマレー系と弾圧された中国系では、日本に対する感情も自ずと違ってくるだろうということは推測できますね。


Nくんが教えてくれた「マラッカ市にあるポルトガル軍により建てられた砦の遺跡」

多民族国家マレーシアにおける、マレー系と中国系のちがい。その点を少し意識するだけでも、人々の感情を理解する手掛かりになるかもしれませんね。

日本軍とプロパガンダとマレーシアの気持ち(1)

◎戦時中のプロパガンダ

マレーシア人のNくんと戦時中の日本軍について話しているとき「プロパガンダ」という言葉が登場して興味を引かれました。「プロパガンダ」とは「宣伝。特に主義・思想の宣伝」のこと。当時の子供向け冊子をネットで見つけたので少し紹介します。


大東亜共同宣言。日本の子供が中華民国、タイ、フィリピンなど東アジアの子供たちと並んでいます。


「ご覧なさい。アメリカやイギリスやオランダは、大東亜の私たちを軍隊の力で押さえつけ、こんなに悪いことをしていたのです。」


「私たちの大東亜を私たちの手に返そうと、日本は立ち上がりました。そして強い日本軍は敵を大東亜から追い払いました。」


「(前略)フォリピン国とビルマ国は独立しました。タイ国は国が広くなりました。ジャワやマライの人々も、大切な役目について働いています。インドもイギリスを追い払おうとしています。これから大東亜の国々は、それぞれ立派な国になり、互いに仲良くするのです。」


「文化高揚……アメリカやイギリスやオランダは、私たちがどんなに勉強しても、働いても、幸せにしてくれませんでした。しかしこれからは働けば働くほど、勉強すればするほど、幸せになります。よく勉強しましょう。よく働きましょう。そして大東亜の文化をいよいよ盛んにしましょう。また大東亜の人々が互いに話し合うことのできるように、日本語を学びましょう。」

出典:Japanese propaganda booklet from World War II
http://2bangkok.com/wwiipropaganda.html

◎日本軍の快進撃と現地の被害

では、当時の実態はどうだったのでしょう。時代背景を確認しておくとwikipediaの「マレー作戦」の項目にはつぎのような記述がります。

1941年12月8日にマレー半島北端に奇襲上陸した日本軍は、イギリス軍と戦闘を交えながら55日間で1,100キロを進撃し、1942年1月31日に半島南端のジョホール・バル市に突入した。これは世界の戦史上まれに見る快進撃であった。作戦は大本営の期待を上回る成功を収め、日本軍の南方作戦は順調なスタートを切った。

その「快進撃」のもとでは、過酷な措置も行われていたようです。リンク先のホームページ(マレーシア人が日本語で書いた?)には、日本占領期のマレー半島について、つぎのような記述もあります。

「しかしながら、占拠者は中国人を在留敵国人と見なし、大変残酷に彼らを扱いました:いわゆる、シンガポール華僑虐殺事件sook ching(苦痛による浄化)の間に、マラヤとシンガポールの80,000人以上の中国人が殺されました。中国企業は没収され、中国の学校は閉じられたか全焼されました。」

マレーシアの歴史
http://perakipoh.blogspot.jp/2013/06/blog-post_5.html

また次の資料を見ると、マレー半島にも多くの「慰安所」が存在したこともわかります。

慰安所マップ
http\://fightforjustice.info/?page_id=583
【被害者証言】ロザリン・ソウ(マレーシア)
http\://fightforjustice.info/?page_id=559
【被害者証言】Pさん(マレーシア)
http\://fightforjustice.info/?page_id=562

東アジアが一丸となって発展する「大東亜共栄圏」の構想、マレー半島に置ける日本軍の「快進撃」…その一方で、日本軍によって殺されたり弾圧されたりした人々もいたということですね。

では、マレーシアの人々は当時の日本に対してどんな感情を持っているのでしょうか? わたしはNくんにもうすこし訊いてみたいと思いました。


日本軍とプロパガンダとマレーシアの気持ち(2)
http://d.hatena.ne.jp/yosikazuf/20160105/p2