カオスの縁 ――無節操日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2014-07-11 人が安心して眠るためには!

[] 機動戦士ガンダムAGE 第49話「長き旅の終わり」 23:51  機動戦士ガンダムAGE 第49話「長き旅の終わり」 - カオスの縁 ――無節操日記 を含むブックマーク  機動戦士ガンダムAGE 第49話「長き旅の終わり」 - カオスの縁 ――無節操日記 のブックマークコメント



     ▼あらすじ


 ゼハート・ガレットの戦死を知ったラ・グラミス司令ファルク・オクラムドは、最強のXラウンダーであるゼラ・ギンスと、その搭乗MSヴェイガンギアの出撃を命じる。しかしヴェイガンギアはシドを取り込んで暴走、逆にラ・グラミスを攻撃してセカンドムーン崩壊の危機を招いてしまう。

 一方、これを機にフリットはプラズマダイバーミサイルでセカンドムーンを撃ち「ヴェイガンを殲滅」しようとするが、キオの必死の説得によって、敵味方全軍へセカンドムーン救済のための協力を要請する。キオ・アスノ暴走して見境なく攻撃をかけるヴェイガンギア・シドに対してFX−バーストを発動させ、これを撃破、パイロットのゼラ・ギンスを救出するのだった。

 これによって長い戦いは終わり、AGEシステムとEXA-DBの技術の応用によって火星圏からマーズ・レイが払拭され、ガンダム記念館に展示されるAGE-1はフリットの銅像と共に、ついに「救世主」となったのだった。




      ▼見どころ


 ついに、ついに最終話です。アスノ家三世代にわたる、ヴェイガンとの戦いに終止符が打たれます。

 一体この最終話において、何が起こったのか。全49話にわたってAGEという作品が何を示したのか。ゆっくりと一つ一つ、確認していきましょう。

 まず何よりも押さえておかなければならないのは、ガンダムAGE最終決戦において残った「最後の敵」が、AGEにおいては二人いた事です。一人はもちろん、ヴェイガンギアを操るゼラ・ギンス。そしてもう一人は――フリット・アスノです。

 劇中に登場した順序とは多少前後しますが、まずはフリットを巡るやり取りを見ていきます。



      ▽最後の敵:フリット・アスノ


 以前書いたように、フリットが公言する「ヴェイガン殲滅」は、歴代ガンダムにおいては敵役が掲げるような目的・目標でした。

 無差別大量虐殺は決して正当化されず、それをした者は無条件に「倒すべき敵」認定をされる。それは宇宙世紀か非宇宙世紀か、公式作品か外伝作品かに関わらず、歴代ガンダムシリーズが共有してきた数少ない倫理基準です。ジオン公国のコロニー落としから、ティターンズのG3ガスやコロニーレーザー、最近では『ガンダムSEED』地球連合軍の核攻撃や『SEED Destiny』のレクイエム、アロウズのオートマトンやメメント・モリなどなど。アナベル・ガトーのカッコよさに大きな焦点を当てた『0083』ですら、その目的が地球へのコロニー落としである故に、主人公はガトーではなくそれに対抗する連邦のパイロット、コウ・ウラキでした。

 基本的にこの件についてだけは、歴代ガンダムを見渡してもほぼ例外がありません。


 そして今、ヴェイガンギアの攻撃が途切れた事で、フリットはその大量虐殺へと手をかけようとします。


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「私はこの日のためにやってきたのだ……これで、我々の勝利だ!」


 プラズマダイバーミサイルを持ち出して、それをセカンドムーンへと向けるフリット。キオ編で描かれたように、セカンドムーン内部には多くの非戦闘員がおり、フリットがこれを発射すれば紛れもなく無差別大量虐殺となります。そしてここで、


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 アイキャッチ。

 CMに入る前の「引き」に当たる部分ですが、ここで主人公側のピンチではなく、むしろ主人公の一人が攻撃をしてしまうかもしれないというハラハラ感で「引き」を作っているわけで、最後までなんとも捻くれた構成です。


 フリット・アスノは、少年時代にUE=ヴェイガンの襲撃によって家族を失い、また初めて心を許した相手であるユリン・ルシェルをも失いました。そのほかにも、第30話の解説で触れたように、ヴェイガンは軍事基地や戦闘員よりも、市街地や非戦闘員を積極的に狙うテロリスト的な性格を強く持つ勢力であり、そういう意味で「無差別大量虐殺」を最初にやっているのは間違いなくヴェイガンの側です。そこは斟酌されなければなりませんが……しかしだからといって、ここでフリットの行為は正当化されてはいません。

「無差別大量虐殺をした者が無条件で倒すべき敵になる」ならば、両軍がお互いに大量虐殺を実行したらどうなるかといえば、「どちらも敵になる」という事を示したのが『ガンダムSEED』シリーズです。連合とザフト、双方が互いを大量破壊兵器で攻撃しようと画策した結果、キラ・ヤマトラクス・クラインたちはそのどちらの味方にもならず第三勢力化したのでした。そのひそみに倣う限り、フリットがこの引き金を引いてしまえば、その瞬間にキオたちとフリットは決裂せざるを得なくなります。

 そのようなフリットを止めるために、キオとアセムがプラズマダイバーミサイルを構えるAGE-1の元へ駆けつけます。


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 そして、このシーン。

 キオは身を挺して、プラズマダイバーミサイルの前に立ちふさがります。そして既に考察ブログなどで指摘している方もいるように、この場面でキオがAGE-FXにとらせた、両手を広げるこのポーズは、


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 かつてフリットが、第3話で、デシルのゼダスからノーラの住民を守るためにAGE-1にとらせたポーズそのものでした。

 そして第24話解説で書いたように、アセム編においてはロマリーが、ゼハートを守るためにこのポーズをしています。アセム編の中で唯一、「ゼハートがたとえヴェイガンであっても庇う」、という意志を見せたロマリー。その髪色を継ぐキオ・アスノが、ここでセカンドムーンを守るために、両手を広げるこのポーズをして見せている事になります。

 敵と味方の境界が、ここで大きく反転します。フリットにとっては、自身がデシルと同じ襲撃者の立場に立たされた事になり、その衝撃は大きく。一方のキオにとっては、この瞬間フリットこそが「立ち向かうべき敵」になっています。

 実際、ここはキオが単に祖父に泣きついている、というようなシーンではありません。よく見るとわかるように、


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 両手を広げて一見無防備なAGE-FXですが、その左右にファンネルが展開されています。これは攻撃意志です。キオは孫として祖父にただ懇願しているように見えますが、それが聞き遂げられなかった場合の決意をも、フリットに見せています。

 同時に、これは歴代ガンダムでも珍しい、ビットファンネルの使い方でもあります。遠隔操作できる攻撃端末だからこそ、攻撃の意志を留保したまま、「両手を広げて何かを庇う」という意志表示のジェスチャーを機体に行わせて伝えることが出来る。これは、ファンネルビットのような攻撃端末についての、キオ独自の使い方です。歴代ガンダム作品に、ビットおよびファンネルをこのように使用した者は(私の記憶する限り)居なかったはずです。

(念のため付け加えますと、「Xラウンダー能力で直接伝えれば良いじゃん」、と思われるかも知れませんが、テレパシーによる意思疎通に依存したコミュニケーションの限界は、歴代ガンダムでも、またAGEでは月面のジラード・スプリガン相手のやり取りでも、既に示されています。その上で、ビットファンネル的なものを意思疎通に役立てる、地味だけれど新しい工夫をキオは示しているという事です)


 そして、キオとアセムによってフリットの説得が行われます。


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「やめてじいちゃん!」

「何をしている!? そこをどけ!」

「もうやめようよ!」

「みんなで探すんだ。一緒に生きていく道を」

「できるものか! ヤツらは我々から何もかも奪っていった。わたしは誓ったのだ! 大切なものを守るために、救世主になってみせるとっ…!」

「火星圏の人たちだって苦しんだんだ。生きるためにもがいてきたんだよ!」


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「ヤツらだって血の通った人間だ。死の恐怖に押し潰されないよう地球を呪い、そして、地球を奪うという希望がなければ生きていけなかった」

「これがじいちゃんがなろうとした救世主なの!?」

「私は! 私が守れなかった者たちのためにやってきたのだ!」


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「違う! 絶対に違う! その人たちだって、そんなこと望んでない!」


 キオは火星での経験を、アセムはゼハートとの対話を通して得たものを、それぞれフリットへの言葉として展開しています。段取りじみてしまいそうなところですが、テンポが良いのでそうとは思わせない場面作りがなされています。


 そして、肝心なキオの説得の言葉。

「復讐なんて、死んだ人たちは望んでいない」というのはこの手の説得シーンのいわば常套句であり、ありきたりなセリフです。これで鼻白んだ人も少なくないかもしれません。しかし、再三これまで述べてきたように、AGEという作品においては一見ありきたりに見える展開にこそ、考察の余地があります。

 キオがここで「違う! 絶対に違う!」と否定していること。それはフリットの「守れなかった者たちのためにやってきた」という言葉でした。守れなかった者たち、というのがつまり戦いの過程で死んでいった者たちだとすると、そうした者たちのために戦ってきたというフリットは、実は非常に似て来てしまっています――終盤のゼハートに。

 第48話解説で述べたように、ゼハートフラムは、これまでの作戦で犠牲になった兵たちがいる故に、今さらプロジェクト・エデンを断念するわけにはいかないと言い聞かせて戦い、そして破滅してしまったのでした。実は、フリットもそれと同じ瀬戸際まで来ていたのです。


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 フリットが幻視した、ブルーザー司令やドン・ボヤージ、ウルフ、グルーデックなどの死者たちの姿。この場面は実は、


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 ハートを責めたてる死者たちと、紙一重です。

 キオの言う「その人たちだって、そんな事望んでない!」というセリフは、フリットを、ゼハートが落ち込んだ「死者のプレッシャー」から切り離す言葉でした。

 その上で、では「守れなかった者たち」のために戦ってきたというフリットの言葉を否定するならば、では彼はなぜ戦い続けて来たのか。キオは第44話で、以下のように言っています。


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「じいちゃんは憎しみに駆られているだけじゃないか! そんなの救世主じゃない!」

 つまり、フリットは個人的な憎悪によって戦っているだけだ、という指摘です。そして最終話で、キオのXラウンダー能力を契機にフリットユリンの会話が展開されますが、そこで二人の間に交わされた会話にも、フリット自身の気持ちの問題が提示されます。


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「あいつらだって苦しいのはわかってるさ、でも……!」

「ヤツらはユリンを、それに……この僕だって君を……!」

「僕はユリンを守れなかった!」


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「ありがとう、優しいフリット……でも、もういいんだよ……」

「いいんだよ……許してあげて。みんなを、そして……あなた自身を……


 フリットは、ユリンをはじめとする、戦いの中で死んでいった人たちを「守れなかった」事に対する自責の念から、戦っていたと半ば告白しています。そしてそれを、ユリンが「もういいんだよ、許してあげて」と応えている。

 そう、ここに来て、話はフリットの内面の葛藤、フリット個人の感情の問題に帰着しています。


 第44話の解説にて、初代ガンダムが主人公を一介の兵士に設定したことから、戦争全体を問う事が困難になった事を踏まえ、Zガンダム以降では主人公が敵軍の主導者と直接会話を交わすなどして、戦争を指揮する側を問うという問題意識を持つようになった、と述べました。では、そのような場面を描くことで、ガンダムの主人公たちは戦争の主導者のどのような問題点を炙り出そうとしたのでしょうか。

 結論から言えば、富野監督の手になるガンダム作品において、敵軍を指揮する指導者たちは、「大義として語ってきた戦争目的の中に、個人的な感情があるのではないか」という事を暴露されてきました

 パプテマス・シロッコは言います。


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「天才の足を引っ張ることしか出来なかった俗人どもに、何が出来た? 常に世の中を動かしてきたのは、一握りの天才だ!」


 シャア・アズナブルは言います。


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「命が惜しかったら、貴様にサイコフレームの情報など与えるものか」

「なんだと?」

情けないモビルスーツと戦って勝つ意味があるのか? しかし、これはナンセンスだ」

「馬鹿にして! そうやって貴様は、永遠に他人を見下すことしかしないんだ」

 このシャアのセリフは、かつてナナイ・ミゲルに指摘された大佐はあのアムロを見返したい為に、今度の作戦を思いついたのでしょ?」という私情を、半ば肯定してしまっています。


 さらに、コミック『機動戦士クロスボーンガンダム』の中で、トビア・アロナクスと交戦したクラックス・ドゥガチはこのように言います。


「そうだとも! 真の人類の未来? 地球不要論!? そんなものは言葉の飾りだっ! わしが真に願ってやまぬものは唯ひとつ! 紅蓮の炎に焼かれて消える 地球そのものだ──っ」


 そして、『∀ガンダム』最終決戦にて、ギム・ギンガナムは言います。


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「あなたが戦う力を守ってこられたのは、ディアナ様をお守りするという誇りがあったからでしょう !?」

「その誇りをくれたのがディアナなら、奪ったのもディアナなのだ。ねぎらいの言葉ひとつなく 、地球へ降りたんだよ!」


 劇場版では、このギンガナムのセリフに対して、ロランは「甘ったれがぁ!」と応じます。


 富野ガンダムの「最後の敵」たちが、皆、このように「振りかざした大義の陰に隠れた私情」を吐露し、あるいは指摘され、その末に敗れていく展開になっている事は、富野由悠季監督がガンダムで描いてきた重要な問題意識の表れと見る必要があります。

 『ガンダムAGE』においては、キオ・アスノがこの役割を担っています。第39話では、キオはイゼルカントと対話を重ねる事で、イゼルカントに失った息子ロミの姿を思い起こさせ、「人類の未来のため」という公人としての主張にヒビを入れています。

 そして、最終決戦でキオ・アスノが、歴代ガンダム主人公が担ってきた役割を果たすのは、祖父フリット・アスノに対してでした。キオもまた、フリットの「皆をヴェイガンから守るため」という戦う目的の陰にある、フリット自身の気持ちを浮き彫りにする事に成功したのでした。


 しかし。

『Zガンダム』以降の富野ガンダムにおいて、自分の私情を大義にすり替えて人々を戦いに駆り立てていた指導者たちは、その事を暴露される事で戦いに敗北し、死んでいくという展開に追い込まれました。90年代までのガンダムならば、フリットもまたその仲間入りをせざるを得なかったかも知れません。


 しかし。キオ・アスノはゼロ年代ガンダム世代です

 第47話解説で触れたように、ゼロ年代ガンダムの主人公たちは、その時代性から、敵や味方の内面感情の問題に多く向き合わざるを得ませんでした。21世紀の戦争には、根強い憎悪感情の影響がより大きいからです。

 そうであるが故に、キラ・ヤマトアスラン・ザラキラ・ヤマトシン・アスカなど、互いの感情に決着をつけ、やがては和解していく事に物語の大きな重点が置かれていました。

 キオ・アスノをその系譜に位置付けるならば、戦いの主導者の内面に個人的な感情の問題を見つけた先に、まだ出来る事があります。私的な感情問題に向き合い、粘り強く説得していくという方法を、キオの世代は持っていました。


 一方、ゼロ年代ガンダム世代のウィークポイントは、そうした感情を巡る問題を解決していくやり方が、戦争という大状況になかなかアクセスできない事でした。キララクスたちは、連合とザフトの戦争状況に介入していきますが、彼らがどれほど卓越した戦力と能力を持っていると言っても、結局戦争という行為全体を止めるには至っていません。SEEDシリーズに対して批判的な視聴者が、「結局は対症療法的に目の前で起こった状況に介入しているだけ」と指摘しているのは、その意味では正しい。

 「思いだけでも、力だけでも駄目なのです」。キオもまた、人一倍の「思い」を持ちながら、それを大状況を変えられるほどの「力」に変えられずに迷走して来ました。AGE-FXは作中でもかなり強力な戦力として描写されていますが、しかし両軍の戦闘を終わらせるには程遠い。そしてまた、キオには戦闘以外で戦争の進行をどうにかできるような言葉の力、行動の力――すなわち政治力も持ち合わせていません。

 そんなキオが最後に成し遂げた事、それは、「力」を持つ身内に向き合ってその感情問題を解き放ち、自らの「思い」を通す事でした。


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「しかし、私が撃たなくとも、まもなくセカンドムーンは崩壊する」

「だったら助けようよ!」

「方法は1つだ。あの球体構造物をセカンドムーンから直接切り離すしかない!」

「あれだけの数だ。どう考えても……まさか!」

「やれるよ、みんなが力を合わせれば!」


 そしてここで、フリットはアルグレアスに協力を仰ぎ、連邦、ヴェイガン両軍に協力要請の呼びかけを行います。


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「聞こえるか、地球圏と火星圏の全ての戦士たちよ。私の声が届いている、全モビルスーツに告ぐ。戦闘をやめて聞いてほしい。このままでは、ヴェイガンの移動コロニーセカンドムーンは崩壊し、多くの命が失われる。これを救うには、誘爆を始めている球体ブロックを、切り離すしかない。もはや時間はない。ここにいる全ての者たちの協力がなければ、間に合わないのだ。地球連邦軍と、ヴェイガン全ての戦士たちに告ぐ」


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「多くの命を救うため、君たちの協力を要請する!」


 この呼びかけの最中、フリットはセカンドムーンに撃ちこむつもりだったプラズマダイバーミサイルを、機体から見て上へ、虚空へ発射します。この爆発がフリットの呼びかけを強調する信号弾のような役割を果たし、なおかつフリット世代にとっての最後の一撃


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 ファーストガンダムのラストシューティングのオマージュにもなっています

 この瞬間、殺傷のための大量破壊兵器が、セカンドムーン救済の呼びかけの合図に変わりました。その意味の反転は、核兵器を月面都市を救うために使った『∀ガンダムロラン・セアック


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「人の英知が生み出した物なら、人を救って見せろ!」

 この場面を思い起こさせます。

 プラズマダイバーミサイルが使い方次第でその意味を大きく変えたと同時に、この瞬間が「ヴェイガン殲滅」を掲げたフリットの意志が反転した瞬間でもありました。そしてフリットの呼びかけは確かに、キオ・アスノには実現できない「力」を持っていました。


 「Blinking Shadow」のさわKさんが、このフリットの呼びかけを詳細に分析して、連邦ヴェイガン双方のメンツを巧妙に立てつつ、両軍が自然に休戦に至れるよう慎重に選ばれた言葉だった事を考察されています

 第30話の解説で、フリットゲーム世代のキオ相手にあえて「魔王」という言葉を使うなど、相手の立場に合わせて使う言葉を選ぶ柔軟性を持っている、という事を書きましたが、この両軍への呼びかけはより繊細な、フリットの「言葉選び」の結果です。

 そして、このように最適な言葉を選び、人を説得する能力こそが「政治力」の一端であり、キオ・アスノが持っていなかった、経験を重ねたフリットならばこその力の発露なのでした。


 最終回で何が起こったのか。

 キオがフリットの精神を解放し、そしてフリットが持てる力でキオの思いを実現した。そのように読み取る事が出来ます。


 フリット編において、人類が一度もUEを撃退できなかった状態から、フリットはAGEシステムとガンダムによってどうにか五分の状態まで持ち込みました。

 続くアセムがMSクラブで殺し合いではない競技としてのMSを扱い、そのお蔭でヴェイガンの代表であるゼハート・ガレットと交流し、また父とは違う生き方を見つけていきました。しかしアセムがそのような生き方を選ぶ事ができたのは、フリットが奮起して連邦側にそれほどの余裕を持たせたからでもあります。

 次いでキオはフリットの元で戦いを覚え、やがて火星圏の実情を見る事で地球とヴェイガン双方の事を考えられるようになりました。そこで賛同者の少ないキオなりのやり方、意志の通し方を一人ずっと応援し続けたのがアセムです。それはアセム自身が独力で父フリットと違う生き方を見出し貫く経験をしていたからこそ、キオに対して「やってみろ」と言う事が出来たという事です。

 最終的に、キオによってフリットが精神的な重荷から救われ、キオの意志にフリットが応じる事で事態が収束に向かう。


 フリットの勝ち取ったものでアセムが救われ、アセムの育んだものでキオが救われ、そしてキオがフリットを救う。それが、ガンダムAGEの描いた「三世代の物語」です。


 しかし、フリットの呼びかけで収束に向かいかけた連邦とヴェイガンの戦争は、まだ余談を許しません。キオ・アスノが最後に立ち向かう敵が、もう一人いたからです。



      ▽最後の敵:ゼラ・ギンス


 話は少し遡ります。ゼハート・ガレットの戦死を知ったラ・グラミス司令ファルク・オクラムドは、事態を打開するためにゼラ・ギンスの出撃を命じます。


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「ゼラ・ギンスの力、今ここで見せてもらう……!」

 ここまで、何度か姿だけは登場していたゼラが、最終回冒頭でついに出撃します。乗り込むのは


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 ヴェイガンギア。

 機体名に「ヴェイガン」を含むところから、ちょうどファーストガンダムにおける


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 ジオングを彷彿させます。

 もっとも、その外見はあからさまに異様です。これまでのヴェイガンMSとも似通っておらず、また歴代ガンダムでもこれと似たデザインの機体を探すのは難しいでしょう(個人的に、富野監督の『オーバーマン キングゲイナー』に登場するオーバーマンにどことなくデザインコンセプトが似ている気がするのですが、デザイン関係にはうといのでどこがどうとはあまり言えず)。

 そしてパイロットのゼラ・ギンスですが、何やら大仰な説明は再三されています。この回でも


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「イゼルカント様の遺伝子を受け継ぎ、最高のXラウンダー能力を有する、人の心を持たぬ戦士……」

 とオクラムドの発言があります。

 それにしても、プロジェクト・エデンが「人が人であるための」世界を手に入れる計画であるのに、その切り札が「人の心を持たぬ」者である辺りに、イゼルカントという人の奇妙な一貫性が見え隠れしています。ヴェイガンはXラウンダー能力を強制的に引き出すミューセルのような危険な道具を使い、Xラウンダー能力を持ったパイロットたちを実戦投入したりしていますが、その割にイゼルカント本人は「Xラウンダーはむしろ人の退化した姿」などと言ったりするわけで、彼にとっての理想郷の住人から遠い存在ばかりをあえて重用している事になります。その真意は、もはや人それぞれの解釈にゆだねるしかないかと思いますが……。


 重要なのは、このゼラ・ギンスがキャラクターとして動き始めたのは実質この最終回から、という事です。当然、キオたち連邦側とも、ヴェイガンの中ですらほとんどゼラとの接触がなく、事実上の初登場人物がいきなり「最後の敵」になってしまっているのでしたフリットやアセム、キオたちの誰とも因縁らしい因縁もなく、彼が最後の敵でなければならない必然性のようなものも感じられません。

 この辺り、エンターテインメント的な盛り上がりに欠けると批判されるのは仕方がないところです。


 で、例によって「なぜこのような構成になっているのか」という話をするわけですが。

 ゼラのセリフは極めて少ないのですが、その数少ないセリフは、歴代ガンダムを見て来た視聴者にとっては既視感のあるものではなかったでしょうか。


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ガンダム……倒す!」


 また、セカンドムーン救済のために連邦とヴェイガンが協力し始め、キオに「もう戦いは終わったんだ」と言われた際にも、


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「終わっていない……ガンダムと全ての連邦軍モビルスーツを、殲滅……!」

 淡々と答えています。

 このような形で、「人の心を持たず」、ただ敵MS(ガンダム)の倒す事だけを刷り込まれたキャラクターは、洗脳状態の強化人間の描写などによく使われていた表現でした。

ガンダムZZ』では、ジュドー・アーシタに懐いてはしゃいでいたエルピー・プルが、洗脳状態でキュベレイMk−II に乗って現れ、ジュドーを戸惑わせます。


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「お前は敵だ……!」

 このような、刷り込みによって戦闘を強制されたパイロットたちは、歴代ガンダムにおいては利用される存在でした。そして、大抵は使い捨てにされるような末端兵であり、大局に影響を及ぼす存在ではありませんでした。フォウ・ムラサメがキリマンジャロ基地でジャミトフ・ハイマン脱出のための盾にされたり、先のエルピー・プルも戦闘中に地球の重力に引かれて戻れなくなるとグレミー・トトにあっさり見捨てられたりしています。

 ゼラもそうした系譜に連なる存在なのですが、しかし最終盤の切り札として登場した彼は、解き放ったヴェイガン側にすら制御不能になり、むしろセカンドムーン崩壊の危機という自滅のきっかけを作ってしまいます。

 一体、この展開は何を示唆しているのでしょうか。


 実のところ、鍵になるのは「主人公たちと何の因縁もない」という事だと思うのです。

 ゼラは、アスノ家の人たちと何の接触もありませんし、ガンダムと戦った事はもちろん接触した事もない。ゼラ個人にガンダムを目の敵にする理由はありません。

 これはフリットに象徴されていた問題とは全く別の問題です。その個人には相手と敵対する理由になるどんな実体験も存在しないのに、なお相手を敵視し排斥しようとする意志。不合理なようですが、現代に照らしても決して無視できない問題です。


 たとえば、ヨーロッパに生まれヨーロッパで暮らす(多くは生活の苦しい)キリスト教徒が、インターネットなどでイスラム教過激派の発する情報や思想に触れて自らもイスラム過激派になる、というケースが近年問題視されていたりします。

 また(ややこしくなる上にガンダムから離れすぎるので、あまり日本と近隣諸国との話はここではしたくないのですが)先の大戦を生身で経験した世代はどんどん少なくなってきているにも関わらず、日本とアジア諸国やその住民の間では未だに先の大戦の問題が大きなウェイトを占めています。


 歴代のガンダム作品においては、基本的に戦争はどういう形であれ戦闘が収束し、停戦の形に漕ぎ着けられればそこで話は一区切り、ストーリーも終了となっていました。「戦いを終わらせる」ことが多くの作品において目的として語られている以上、それは当然のことのように見えました。

 しかし実際には、一つの戦争が終わったとしても、それまで対立していた人々、勢力、国々の間にはなおも難しい問題が残り続けます。時には、消え去らない反感が暴発する事もあります。

 宇宙世紀ガンダムにおいて、『0083』に描かれたようなジオン残党の度重なる活動が、視聴者に違和感なく受け入れられたのも、「戦争が終わったから何もかも万事解決」というわけにはなかなかいかない、という事を薄々知っていたからでしょう。

ガンダムUC』において、ガランシェールの艦長を務めるスベロア・ジンネマンは言います。


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「怨念返しの何が悪い! 俺たちの戦争はまだ終わっちゃいないんだ!!」


 そして、ロニ・ガーベイは言います。


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「子供が親の願いに呑まれるのは、世のさだめなんだよバナージ……私は間違っていないッ!」

「それは願いなんかじゃない、呪いだ!!」

「同じだ!! 託されたことを為す、それが親に血肉を与えられた子の……血の役目なんだよッ!! お前のその力も、親の与えたものだろうに!!」

「……!」

「これは……! 私の戦争なんだァーー!!」


 アニメ版のロニは、自らではなく、両親が理不尽に殺された事の復讐のためにシャンブロを駆り、町を蹂躪します。既に連邦ジオンとの戦争は公的には終わっていたとしても、それだけですべてが終わるわけではない。特に、21世紀の戦争においてはその事が顕著です。『ガンダムUC』もまた、そうした現代的な問題には鋭敏に反応し、このような脚本へと結実させています。


 既に連邦とヴェイガンの間には休戦が半ば以上成立し、「戦いは終わった」にも関わらず、「ガンダム連邦MSを殲滅する」というゼラ・ギンスの意志だけが遊離し、ようやく端緒を見つけることが出来た「戦いの終り」に対して大きな脅威となっていきます

 しかもそこに、


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 シドが融合します


 第45話解説にて、シドを試みに「膨れ上がる軍需産業の隠喩」ではないかと述べました。個々の国が戦争をする事情以外に、構造的に戦争へのバイアスをかけるシステムとしてのEXA-DBシド

 これも数ある解釈の一つに過ぎませんが、上記のような「怨念返しの気分を抱えている勢力」に「武器を融通する事で利潤をあげる勢力」が加担して事態が悪化する、といったような事は、わりとよく耳にするパターンです。

 たとえば、ヴェイガンギア・シドをそういうメタファーとして読んでみる、という見方もアリなのではないかと。


 なお、ガンダムAGEが単に表面的な戦闘の収束だけでなく、その先の「戦後処理」までが「戦いを終わらせる事」であると認識していたという点については、後に述べます。


 いずれどのような解釈をとるにせよ、このヴェイガンギア・シドとゼラ・ギンスが、キオ・アスノにとっての最後の敵となりました。フリットは、このゼラへの対処をキオに一任。この物語最後の戦闘が繰り広げられます。

 そして、この戦闘は極めてスリリングで手に汗握る内容のものです……ただしエンタメとしてではなく、物語上の意味において、ですが。


 残念ながらこれも認めざるを得ないところなのですが、この最終決戦もことさら歴代ガンダムに比べて、その戦闘描写や段取りの面で盛り上がったり、熱くなれたり、というほどの内容になっていません。作画は終始素晴らしいのですが、物語を盛り上げる細かな段取りに失敗し続けています。

 たとえば、ヴェイガンギアに挑もうとするキオに、海賊船バロノークから新しい武器が撃ち出されます。


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 その名もダイダルバズーカ、とロディさんは自信満々に言うのですが……。


 この武器、劇中でとうとう一発も命中しません。ヴェイガンギア・シドに痛打を与える事はもちろん、セカンドムーンからラ・グラミスを切り離す役に立っているカットもありません。そのまま、ゼラとの戦闘の最中に破壊されてしまいます。

 いくらなんでもあんまりな展開で、わざわざ尺を割いて鳴り物入りで登場させた武器や新装備の扱いとしては酷いと言わざるを得ません。正直に言えば、こういうところで視聴者を楽しませ熱くさせる展開にもう少し気配りさえしていれば、AGEという作品の世評ももう少し高かったはずで、こういうところについてはただ残念と言うしかないです。

 なんでこんな変な事になっているかというと、おそらくは、後述するようにエピローグでAGEシステムが重要な役割を果たすため、「ディーヴァは沈んだけれどAGEシステムはまだ使える」事を劇中に示しておくためだったのではないかと筆者は考えています。

 まぁそれにしても、もう少しやり方はあったはずですが。


 そのような内容でありながら、何が「スリリング」なのか――といえば、これはキオ・アスノ物語上の立ち位置が最終決戦の展開に大きくかかっているからです。この点を考えるには、フリット編第8話、ファーデーンで起こった出来事を重ねて見る必要があります。


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 第8話解説で詳しく見たように、フリットはザラムとエウバといういがみ合う二つの勢力に対して、「ぼくたちの本当の敵はUEだ!」と説得し、協力してUEを撃退する中でこの両勢力を和解させる事に成功しました。これは少年フリットにとって輝かしい成功体験なのですが……しかしザラムとエウバを和解させるために共通の敵としてUE=ヴェイガンを置いた結果、今度は「連邦vsヴェイガン」という対立軸の中心に位置してしまい、そこから逃れる事が出来なくなってしまいました。


 お分かりでしょうか。

 シドと融合することで暴走し、友軍機をも攻撃し始めたヴェイガンギアは、やがてヴェイガンにとっても危急の問題となり、


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 ついにオクラムドからアルグレアスとフリットへ、ヴェイガンギア・シドへの対応が依頼されるまでになりました。

 やがてAGE-FXとヴェイガンギア・シドが激戦を繰り広げる中、連邦軍MSはもちろん、


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 ヴェイガン所属のMSまでがヴェイガンギア・シドを攻撃。

 これを見たウェンディ


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「ヴェイガンのモビルスーツたちまで、キオの味方に……!」

 と喜んでいるのですが。

 しかしこの状況が極めてマズイ状況である事は、先にファーデーンでのエピソードを思い浮かべた上で見ていただければ、感じていただけると思います。

 たしかに、かつて敵だったヴェイガンのMSまでが、キオの味方になって一緒に攻撃を仕掛けてくれてはいます。しかし結果として、キオが連邦とヴェイガン双方に「ぼくたちの本当の敵は、ゼラ・ギンスだ!」という形で和解をさせてしまったら……ゼラを共通の敵にする事で連邦とヴェイガンを和解させるという構図になってしまったら、生まれるのは「第二のフリット・アスノ」です。そのような形で和平をもたらし、その和平を止め置く楔としてゼラ・ギンスを排除してしまうならば、キオはこれ以降連邦とヴェイガンの平和状態を脅かす者に対して排除の姿勢で臨むしかなくなります。

 そうなれば、第47話解説で批判的に書いた、対イノベイド戦後のソレスタルビーイングが陥ったのと同じ罠にハマり込むことになります。キオがどれほど優しく配慮したとしても、連邦とヴェイガンの協調体制を脅かす者が現れるたびに、第28話でフリットが吹かせた粛清の風と意味的に同列の事を繰り返さざるを得なくなる、そんな恐れが出てくるのです。

 さらに、連邦とヴェイガン双方に包囲されたゼラの前に、


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 FXバースト状態で登場。

 かつてザナルド・ベイハートザムドラーグと交戦した際、キオは怒りにまかせてこのFXバーストを発動させ、あわやザナルドを殺す寸前まで行ってしまいました。コントロールが難しく「不殺」の戦いに支障が出かねないFXバーストを使用する事で、キオがゼラをどうするのか、どうしてしまうのか、ギリギリまで分からない演出になっています。

 そのままAGE-FXはヴェイガンギア・シドに正面から突っ込み、敵機体を両断、ヴェイガンギア・シドは爆発四散してしまいます。

 果たしてゼラ・ギンスは――


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 そう、生きていました。

 なぜゼラが生きているかと言えば、もちろん、キオ・アスノが「不殺」の戦いを最後まで貫き通したからです。そうであるがゆえに、ゼラの排除と引き換えに対立する勢力を和解させるという、「第二のフリット」の構図から脱け出る事ができました。

 これまで、アセムとウェンディ以外にほとんど誰も共感してくれず、実行しても誰に感謝される事もなく、ただひたすら挫折だけをキオにもたらしていた「不殺」が、最後の最後でキオを「フリットが陥った罠」から救ったわけです。いわば最終話のこのタイミングで初めて、キオの三世代編を通しての取り組みが報われる事になったのでした。

 同時に、これはフリットにも出来なかった事をキオが成し遂げたという事であり、


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「キオがやりましたね!」

「ああ、あれがキオ・アスノだ。わたしの孫だ……!」


 と、フリット自身も孫バカっぷり全開で称賛するのでした。目じり下がりまくりです(笑)。


 以上が、ガンダムAGE全49話の最終決戦、その顛末でした。

 やはり戦闘シーンへ割かれた時間的な猶予が少なく、各キャラクターのアクション的な見せ場という意味では物足りないところだと思います。そこは惜しい所です。

 それでも、AGEという作品が油断ならないのは、ちょっとしたセリフの端に、あるいはストーリーの展開に、歴代ガンダムを踏まえた多様なテーマやモチーフを織り込んでいく周到な脚本があるからでした。視点を変えて、角度を変えて見る事で多様な顔を見せるこの作品は、再視聴、再々視聴時にも意外な発見があったりします。一般的な見方ではないでしょうが、場面場面で見せるキャラクターの細かな表情の変化や、セリフ回しの変化に注目する事で味わいが出てくる、そんな作品なのだと思います。

 それでは最後に、エピローグを分析しながら、AGEという作品が見出した着地点を浮き彫りにしてみようと思います。



      ▽エデン


 ゼラ・ギンスと接敵する直前、キオ・アスノはXラウンダー能力による感応でイゼルカントと最後の対話をします。


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「人は、良き未来を築かねばならない。なぜ、お前にはわからないのだ?」

「やり方が間違っているんです! 人が人を選んで理想郷を築くなんて!」

「人が人であるためだ……!」

「今だって、人は人です!」

「んんっ?」

「地球圏の人たちも、火星圏の人たちも、精一杯生きてるんだ!」


 争いを繰り返す現状の人類は「人らしい人」ではない、ゆえに「人らしい人」を選別するというイゼルカントの思想を、キオは「今だって、人は人です」という言葉で否定します。

 第24話解説で指摘したように、連邦、というよりアスノ家においてはAGEシステムを介してガンダムが「進化」しますが、一方ヴェイガンにおいては人間が「進化」するとされています。イゼルカントの人類選別は、過酷な環境に曝す事で人間を「進化」させ、進化した者たちを選別するというものでした。

 しかし既に何度も確認したように、宇宙世紀ニュータイプをはじめ、「人類が進化をする」という思想は結局は優生思想化し、差別や対立を生むために歴代ガンダムにおいて断念された考え方でした。キオが「今だって、人は人です」と応えているのは、宇宙世紀ガンダムで言えば第34話解説で引用したトビア・アロナクスの手紙の内容を再確認するセリフであると言えます。

(なお、このような「環境に適応した新人類による理想郷」を否定するメッセージは、宮崎駿も独自に描いており、富野監督と同じ世代のアニメーターの思想的な比較の面で非常に面白いところです。コミック版『風の谷のナウシカ』において、ナウシカがシュワの墓所の提示した理想郷に抗って述べたセリフは、まさにキオの言う「今だって人は人」という結論と軌を一にしています)


 それでは、イゼルカントの思想にNOを突きつけたキオたちは、どのような対案を示したのか。エピローグで語られるのは、正にその事です。


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「ここに1つの戦いが終わった。こののち人類は、AGEシステムとEXA-DBの情報を集約し、マーズレイを無効化するイヴァースシステムを開発した。それによって火星圏は、安全に住める場所に変わり、人類はついに、全人口を許容できる居住空間を手に入れたのだ。ラ・グラミスの戦いから実に37年後のことであった……」


 さらりと述べているので見逃してしまいそうになりますが、マーズレイの無効化を成し遂げるための技術の基礎になったAGEシステムも、EXA-DBも、共に兵器に適用される軍事技術体系です。AGEシステムは


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「生物の進化の仕組みを応用した、モビルスーツの再構築システムじゃ」

 あくまでMSに適用される技術です。またEXA-DB


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「コロニー国家戦争以前のあらゆる兵器情報を網羅した巨大データベースだ」

 というアセムの説明を信じる限り、あくまで兵器のデータベースです。

 これらいずれも、本来はテラフォーミングに使用できるような技術に関する体系ではなかったわけです。

 つまりエピローグで語られる「イヴァースシステム」とは、軍事技術の転用なのでした。


 なぜこれが重要なのかと言うと、初代ガンダムからクロスボーンガンダムまでで完全に断念された「人類の進化」に代わって、では何が、戦争や人口問題といった人類史上の大問題を解決する糸口になるのかという富野監督の新たな問題意識、その模索の過程で生まれた新しいアプローチが、ここで再びクローズアップされるからでした。

 もちろん私は、『∀ガンダム』の話をしています。


 ニュータイプという超越的な能力によって、戦争や環境問題、人口問題を解決しようという希望が断念された事を踏まえて。『∀』でミリシャとムーンレィスの戦争解決の重要なキーとして描かれたのは、一つはディアナとキエルの入れ替わりによる相互理解、そしてもう一つが、(モビルスーツに代表される)機械・道具の使い方を変えるセンス、でした。

 実際劇中で主人公機である∀ガンダムは、軍事兵器でありながら、牛を運ぶ、線路の代わりになって鉄道を渡す、洗濯をする、といった多様な使われ方をしていきます。ギンガナムとの最終決戦においても、


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「ターンAはホワイトドールといわれて、人々に崇められてきた物なんです。その本体が機械であれ ば、使い方次第ではみんなの為にだってなります」

 とロランは主張しています。


 軍事技術であるAGEシステムとEXA-DBによって、火星圏でヴェイガンの民を悩ませていた問題を解決する事。それは、ゼロ年代ガンダムが引き継がないまま来てしまった『∀ガンダム』の問題意識が、久しぶりに継承された、という事でもあるのです。


 しかもAGEシステムの転用という展開には、もう一つどんでん返しがあります。

 AGEシステムは既に見たように、MS、それもガンダムを「進化」させるためのシステムです。ガンダムAGEにおいては全49話を通して、たった一度の例外を除き、AGEシステムがガンダム以外の何かに適用された事はありません。このシステムが火星圏の環境整備に応用されたという話が唐突にならないのは、そのたった一回の例外があるからです。その一回とは?


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「グルーデックのヤツ、ディーヴァの戦闘能力をAGEシステムによって上げられないかとぬかしよった」

「本来、AGEシステムはガンダム専用の進化システムなんじゃ。戦艦に使えるかどうかはわからん……」


 そう、ディーヴァにフォトンブラスターを増設した、フリット編ミンスリーでの改造だけが、AGEシステムをガンダム以外に使った唯一の事例です

 だとすれば、皮肉なことに、ヴェイガンへの復讐のためにグルーデック・エイノアが発案したこの事例が、結果的にヴェイガンを救うきっかけになった、と言う風に見る事ができます。


 一体、このガンダムAGE解説記事を通して、何度「皮肉」という表現を使ったでしょうか。特にフリット編に登場する人たちは、その思い入れが強いほどに、行った言動がかえって逆効果となるという裏腹を何度となく繰り返してきました。不法に戦力を集めるなど、ありとあらゆる手段を使ってまでヴェイガンへの復讐と反撃を企図したグルーデックの発想が、数十年後にヴェイガン救済の糸口になったというのも極大の皮肉です。

 しかし、フリット世代の元に最後にやって来た皮肉だけは、どこか救いがあるように思えます。フリット・アスノがその生涯のほとんどを費やしたヴェイガンへの復讐心を翻し、大量破壊兵器であるプラズマダイバーミサイルが敵味方両軍への呼びかけの合図に姿を変えたように、グルーデックの復讐心もまた時代を超えて、ヴェイガン再生への祝福に姿を変えたかのようです。


 この、火星圏の環境整備は、ラ・グラミス戦から37年後の事だと説明されます。

 『ガンダムAGE』が「100年の戦い」を謳ったにも関わらず、その三分の一以上の期間がストーリー上でほぼ「スキップされた」事も、放映当時に批判点の一つとして挙げられていました。

 しかしむしろ、最終決戦後、火星圏の整備までを「戦い」の期間に数えた事は、この作品の戦争観に関連して非常に重要だと筆者は考えています。

 歴代のガンダム作品はどれも、最終決戦の収束を持ってストーリーを終了させています。仮にエピローグ的なパートがあったとしても、それは戦いが終了した先の後日談としてであって、「戦争」というテーマに対する結論が出るのと物語上で最終決戦の戦闘が収束するのとは、大抵の場合ほぼ同時でした。

 最終決戦の終息から、エピローグまでに37年もの時間が必要であると見るAGEの戦争観は、過去のガンダム作品と比較して、異例です。

 このような点も、実は極めて現代的な問題意識に則して理解すべきだと筆者は考えています。


 第28話解説で指摘したように、21世紀の戦争、「テロとの戦争」においては、テロリストの組織はトップダウン式の統率は相対的に希薄で、ボトムアップ式の性格を強く持っています。従って、米軍がたとえテロ組織のトップであるオサマ・ビンラディンを討ち取る事が出来たとしても、それで戦争が終わるとは限りません。

 敵のボスを倒しても戦闘が終わらず、また和平交渉などもテロリスト相手にするわけにはいきません(どのような形であれテロリストの要求を呑むような事をすれば、それは「一般市民を攻撃する事で主張を通す」事が手段として肯定されてしまい、同様の行為によって目的を達成しようとする者たちを勢いづけてしまう事になります。どんな危機的状況でもテロリストの要求を呑まない、というのはテロ対策の鉄則です)。

 では、21世紀の戦争、テロとの戦いはいつ終わらせる事が出来るのか。織田信長のように、あるいはかつてのフリット・アスノのようにすべての敵を一人残らず殲滅するのか。他に手はないのかといえば……1つ考えられます。


 彼らをテロ行為に駆り立てている理由、経済的問題や宗教的問題など色々ありますが、そうしたテロを生み出す環境条件の方を改善してしまう、という道です。

 敵に施しをするなんてバカみたいなようですが、別に慈善事業ではありません。20世紀帝国主義の、独裁者が国民を駆りたてて起こした戦争なら、独裁者を排除すれば戦いは止まるかも知れません。が、テロリストは、彼らをテロに駆り立てる切迫した理由がある限り、後から後から新たに生まれてくるのです。あの米軍が、イラク戦争開戦以来10年以上かけてもなお、テロ根絶の糸口すら見いだせていない、それほどに。

 だとすれば、原因を断つ、というのも現実的な取り組みでしょう。


 ヴェイガンも同じです。たとえイゼルカントが、ゼハートがいなくなったとしても、その住民たちがマーズレイに脅かされている限り、再び過激な挙に出る可能性は常に存在している事になります。第30話解説で確認したように、ヴェイガンは極めてテロリスト的な勢力です。実際、想像をたくましくするならば、イヴァースシステムによってマーズレイが克服されるまでの37年間の間にも、ヴェイガンによる小規模な事件が起こっていたという想像は容易です。


 だからこそ、「ヴェイガンとの戦い」が「終わった」と本当の意味で言えるのは、マーズレイという「ヴェイガンを過激化させた原因」の除去が完了した時点だったという事です。


 繰り返しになりますが、歴代ガンダムで、「戦いの終わり」をこのような観点で明言した作品はあまりありません。TV放映されたガンダム作品の中では事実上初めてと言ってしまっても良いでしょう。

 もちろん、多くの視聴者は、特に気にせずにスルーした事だったろうと思います。特に強調されているわけではないので、そこが弱いと言われればその通りです。

 しかしどうあれ、AGEという作品は歴代ガンダムの問題意識を踏まえ、さらに新しい問題意識を加えるという仕事を果たしています。この作品がガンダムシリーズに導入したいくつかの新しい観点やテーマは、(AGEという作品自体の評価にはつながらなくとも)今後作られるだろう新たなガンダム作品に示唆を与える役割は、果たしていくのではないかと筆者は感じています。また、本稿もそのために、ほんのわずかでも貢献できる事を願っています。


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 イヴァースシステムによって、火星圏のテラフォーミングが進み、赤かったこの惑星が地球と同じ緑色に描かれます。

 地球というエデンを得るために始められたヴェイガンの戦いは、AGEシステムとEXA-DBによってヴェイガンの住んでいた場所をエデン化する事によって幕を閉じました。それは同時に、「人を選別する」イゼルカントの方法から、技術をもって環境や仕組みを改善する方法へのシフトでもあります。イゼルカントに「人が人として生きられる未来」を託されたキオたちは、そのような形でヴェイガンのエデンへの願いをも実現した事になります。

 これが、長い旅の果てにAGEという物語が至った、ひとつの結論だったのでした。



      ▽“救世主”ガンダム


 最後に、火星圏の環境改善が整ったのと同じ時期、AGE-1を展示した「ガンダム記念館」が建てられ、そこにフリット・アスノ


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 銅像が建てられた事が述べられます。


 小説『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』の中で、ブライト・ノアが「歴代のガンダムは、連邦軍にいても、いつも反骨精神をもった者がのっていたな」と言う場面がありますが、ガンダム作品の主人公にそのような精神が託される事が多い事と比して、いかにも権威的な「銅像」というのはイメージ上、不似合いに感じられるのでしょう。この銅像もどちらかというと揶揄の対象になる事が多いです。まぁ、それも仕方ない。


 もっとも振り返ってみれば、フリット・アスノは誰も対抗できなかったヴェイガンMSに匹敵するマシンとその運用システムをほぼ独力で作り上げる超一流のエンジニアで、しかも地球連邦の対ヴェイガン反攻作戦で多大な軍功を上げ続けた凄腕パイロット、一時は連邦軍総司令として軍全体の練度を飛躍的に向上させた名指揮官、艦隊を指揮すれば敵軍の思惑を見破り的確に自軍を動かす名将、その上最終決戦における連邦とヴェイガンの和平の立役者でもあるわけです。こうして書き出してみるととんでもない活躍をしてきた人物なわけで、まぁ放っておいても銅像の一つくらいは立ちそうな人だったのでした。

 むしろ先述の「Blinking Shadow」さわKさんも以前指摘していたように、この銅像が少年時代でも、また連邦軍総司令をしていた壮年時代でもなく、キオ編以降の老年の姿である事が重要なのでしょう。それはつまり、ヴェイガンとの和平のきっかけを作ったという業績が最も大きく評価された故の事と見なせるからです。


 そして同様に、ここで「ガンダム記念館」に展示されているのがAGE-1であるというのも面白いポイントです。

 たとえばAGE-FXなど、三世代の機体を並べた絵をここに持ってくることもできたはずですが、この「ガンダム記念館」には


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 AGE-1しか描かれていません。

 さらに言えばこの施設名も、宇宙世紀ガンダムに何度か登場した「MS博物館」という言い方をしていない。

 これはうがった見方ですが、「ガンダム記念館」に展示されているというAGE-1は、恐らく宇宙世紀の「MS博物館」に展示された機体のように、「兵器」として飾られているのではないのでしょう。これが博物館であれば、MSはあくまで戦時中の「兵器」としての姿と意味を保存するための施設であり、たとえば『F91』で博物館の展示品であったガンタンクR−44をロイユング将軍が持ち出して再び使用したように、やはり戦いのために使うモノという意味を維持し続ける事になります。

 このラストシーンのAGE-1について、筆者はむしろ別な意味が託されていると見たいのです。第1話解説で書いたように、AGE-1が初代ガンダムRX-78ガンダムのデザインを踏襲しているとするならば、この直立して展示されている姿は、あるいは……


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 2009年夏、お台場に現れ話題をさらった、1/1ガンダムを重ねる事が出来るのではないかと。

 この実物大ガンダムを現実に東京に出現させるというプロジェクトに関わった富野監督は、その過程でこのように述べた、といいます。


富野氏自身は、実物を観る前は「あんなオモチャカラーが18mになったらみっともない」と思っていたそうだが、実物を見て180度変わったそうだ。「オモチャカラーガンダムは兵器ではなかった。あの色は、政治論や経済論などを超越できる色であり、あの色の上に立って物事を考えられるようになれれば、我々は1万年を乗り越えられます」と熱く、熱く語った。

             (富野由悠季監督が語る「ガンダム30周年」


 このガンダムAGEのラストシーンに描かれたAGE-1が、上記のような意味のもと、お台場の1/1 ガンダムのオマージュを含んでいる、と見たら行き過ぎでしょうか。

 劇中のわずかな描写だけで両者を結び付けるのは無理かも知れませんが、しかし、筆者はあのAGE-1に、上記の富野監督の言葉を重ねたいのです。マーズレイを克服したAGE世界の住人たちが見せた結末に、「1万年を乗り越えられます」という言葉はいかにも相応しいと思えるからでした。

 オモチャカラーのロボットを、そこに託された子供じみた理想論と共に実体化して見せること。政治論や経済論を超えて、「誰もが願いながら口にすることができなかった言葉」を現実にしていくこと。

 ガンダムが“救世主”になる事があるとすれば、つまりそういうことだと思うのです。

                                     《了》


※この記事は、MAZ@BLOGさんの「機動戦士ガンダムAGE台詞集」を使用しています。


『機動戦士ガンダムAGE』各話解説目次




[] ガンダムAGE解説を終えて 23:51  ガンダムAGE解説を終えて - カオスの縁 ――無節操日記 を含むブックマーク  ガンダムAGE解説を終えて - カオスの縁 ――無節操日記 のブックマークコメント


 甘く見ていた、というのが正直な感想です。

 AGE解説の第1話を投稿したのが2012年の10月。当初は長くても1年ほどで終わると高を括っていたのが、書き進めるほどに書きたいことが膨らんでいき、気が付けば1年半以上。数えてませんが、書いた分量は軽く単行本何冊分かに相当するでしょう。よもやこんな大仕事になるとは思っていませんでした。

 そして自分の中の引きだしをこれほど総ざらえする事になるとも、当初は思っていませんでした。結果的にこのAGE解説では、筆者=私がこれまでガンダムについて見たり読んだり考えたりした事を、ほとんどすべてつぎ込む事になりました。

 仮に私の、AGEの展開を逐一歴代ガンダムに結び付けて解釈する見方読み方がまったくこじ付けの穿ちすぎであったとしても、これほど多くの歴代ガンダムテーマや問題意識に何らかの形で連関させられるフックを持っているという事は、AGEという作品の多様性の証左です。疑似家族の問題からテロリズムから、はては宇宙海賊にデビルガンダムまで、これほど歴代ガンダム作品のモチーフやテーマを幅広く、また偏らずに取り込もうとした作品はありませんでした。


 見ようによっては、私は単にAGEをダシにして歴代ガンダム論をしていた、とも言えます。しかし仮にそうだとしても、AGEほど、偏りなく俯瞰的にすべてのガンダムを論じられる「ダシ」は、どこにも存在しませんでした。少なくとも私にとっては。


 本文中に何度も書いたように、AGEは出来の良い作品ではありません。純粋な娯楽として見る限り、盛り上げ所でつまずいてばかり、エンタメロボットアニメとしては致命的とも言える欠点を抱えた作品です。そのことに異論はない。

 ただ、AGEがやって見せた歴代ガンダム作品の批評的な総括と、いくつかの新しいテーマ・問題意識の提示は、今後生まれるであろう新しいガンダムシリーズ作品にとって、必ず有用なヒントになり得るだろうと、私は信じています。

 この作品が持つ意外な豊穣さを、一人でも多くの方に伝えられたなら望外の喜びです。



 なお。

 今回のAGE解説につきまして、言及した作品名、キャラクター名、MS名などから逆引きできる索引を作りました。いろいろ迷いましたが、こちらを試しに有料で公開してみたいと思います。

 本文はすべてフリーで読めるので、こちらは事実上の投げ銭という事になります。もしここまでの記事の内容に報いてくださる方がいらっしゃいましたら、是非よろしくお願いします。

 また、せっかく有料という形をとるので、索引の他にも、この度の全解説記事に出て来たキャラクター名、MS名を数え上げ、最も多く言及された人物、MSのトップ10なども紹介しています。この記事で、特に多く名前の登場した人物は一体誰だったのか、気になる方も是非どうぞ。

 お値段は300円。

https://note.mu/zsphere/n/n92159c23fa10

↑こちらからお願いします。購入に際してnoteというサイトへの無料登録が必要なのが若干煩雑ですが……よろしければ、ということで。



 最後になりましたが。

 この解説記事を書くにあたって、様々なサービス、ウェブ上の記事、読者の方々のお世話になりました。

 バンダイチャンネルは作品の視聴、場面の確認、スクリーンショット撮影で大いに助けられました。必要なスクリーンショットのためにいちいちレンタルビデオ店に出向く、などという事をしていたら、間違いなくこの記事は完結しなかったでしょう。一応その御恩に報いるべく、この記事執筆中は有料会員に登録させていただいておりました(笑)。

 また、ガンダムAGE作中セリフにつきましては、MAZ@ブログさんの台詞集を使用させていただいておりました。こちらのお蔭で、執筆時間の大幅な短縮が叶いました。

 その他、初代ガンダム逆シャア、∀のセリフはこちら、その他ガンダムシリーズのセリフについてはこちらなども参考にさせていただきました。大変助かりました。


 また、当ブログにコメントをくださった方、読みに来てくださったすべての方にも感謝いたします。間違いなく、この連載を完結するためのモチベーションを保つことが出来たのは皆様のお蔭です。ありがとうございました。


 それでは。ガンダムシリーズが今後もますます発展する事を祈って。

ペン打ゴンペン打ゴン 2014/07/12 00:41 約2年に渡るAGE各話解説お疲れ様でした。近頃ガンダム放映35周年作品の1つ、「ガンダム Gのレコンギスタ」の詳細が明かされましたね。ちらっとだけですが放映前から色々いわれている様子を見ていると、「(ガンダムという)重力に魂を引かれた」ガンダムファンの業を感じます。

>フリットの憎悪からの解放
復讐に取り憑かれた者の末路として憎しみを持ったまま戦死する、あるいは復讐を果たしても虚しさだけが残ったというのが常套的な描写かもしれません。でもそうしなかったのが製作スタッフの意地だったのかなと放映終了後に感じています。

>リバースシステム
正しくは「イヴァース・システム」だそうです。AGE公式外伝の「EXA-LOG」だったと思うのですが、ガフランマーズフェザーの解説で「イヴァース・システムの一部を構成する無人機」という趣旨の解説文が掲載され、ガンダムトライエイジのガンダムAGE-FXのカード(ジオンの興亡1弾コモン)裏書きでも「イヴァース・システム」の単語があるのを確認しています。

ECHOECHO 2014/07/12 01:32 長きにわたる記事執筆、本当にお疲れさまでした。
毎回楽しく読ませて貰いました。

確かにガンダム、と言うよりロボット作品全般において、
軍事技術が生活技術に転用されるという描写はかなり珍しいように思います。
現実世界ではこのインターネットを筆頭に、
数多くの技術が軍事から民間に転用され、我々の生活に役立っています。
戦争が生み出す破壊以外の側面を僅かながらも描いているというのは、
AGEという作品において何か示唆するものがあるんじゃないかなあと記事を読みながら考えてしまいました。

さわKさわK 2014/07/12 20:50 放映当時と、その一年後の昨年を思い出しながら感慨深く読ませていただきました。
この分量、毎回裏取り・構成がとてもとても大変だったと拝察します。

長い長い完走(感想、と書いてしまってそのままでもいいかなと思いつつ)、本当にお疲れ様でした。

しかし、、、
BF、レコンキスタを踏まえると、番外編で後何回か項目立つかもですね笑。
前史を踏まえてのAGEがあるなら、後世を踏まえてのAGEもありうる。
今後のご活躍も楽しみにしております。
2年間ありがとうございました。

へーすんへーすん 2014/07/17 00:24 完走おめでとうございます!
正直私にとってもAGEという作品は不満だらけの作品であったのですが、
見終わってみればシリーズを通してかなり好きな部類に入るという不思議な作品でしたね。
3世代を通してみるとやはりアセムとゼハートが一番共感できるキャラクターだったので
これからのスパロボやコンパチシリーズでの活躍もたのしみです!
…しかし、こうして考えてみると番組終了後何十年たった後でもキャラクターが愛され続ける可能性があるかと思うと不思議な気持ちです。
マジンガーを現役で見ていた人もまさか21世紀になって兜甲児が主役の作品が作られるとは思ってもみなかったでしょうね

一原かずま一原かずま 2014/07/17 18:50 遅くなってしまいましたが、完走おめでとうございます。放映当時から割りと好きな作品ではありましたが、この解説記事に出会えなければ自分だけでは2、3周しても気づけなかった点が無数にあり、自分もこの作品の事を全然解ってやれてなかったんだな、と痛感しっぱなしでした。

ガンダムAGEに限らず、理解したつもりで全然理解が足りてない作品はまだまだあるかもしれない、と気付けたんで、自分の好きな作品、嫌いな作品、どっちも今一度見つめ直してやる機会を持ちたいな、と思います。

一原かずま一原かずま 2014/07/17 20:07 先ほどのコメント、二重投稿になってしまいました。ゲストだと削除できないようなので、お手数ですが削除をお願いします。

迷惑ついでに最終回でひとつ思ったことを。
方々から突っ込まれるダイダルバズーカですが、本文中でも仰っているようにAGEシステムの健在を示すのが目的、というのは同意なのですが、
それ以外にもわざわざあのような展開にした意味を無理にでも考えるのであれば、
バーストモード以上に『不殺』の困難であろうダイダルバズーカを全くの役立たずとして描くことで、
「戦うために創られたAGEシステムの限界」を描いているのかなと思います。

AGE-FXはロールアウト当初こそ、キオの望む力『Cファンネル』を持って生まれてきたがために、AGEシステムがキオの意思を汲んでくれてるようにも錯覚してしまいますが、
その後のバーストモード然り今回のダイダルバズーカ然り、
AGEシステム自体はあくまでも敵MSの撃破が優先事項で、キオの不殺の信念を考慮してくれてるわけじゃないんですよね。
むしろFXに乗り換えてからのキオの戦い方を「機体のスペックを活かせてない」と判断して、精度よりも破壊力重視の兵器提案に至っている可能性も・・・

そう考えるとキオがラストバトルで乗り越えたのって、フリットやイゼルカントだけでなく、AGEシステムも含まれるのかな、などと夢を抱いてしまいます。

モチモンテモチモンテ 2014/07/19 20:52 本当にロングランの解説、読みごたえ抜群でした。ありがたかったです。

さてこれはどうしても指摘したかったことなんですが、フリットが停戦呼び掛けに至る流れの中で
フリットが行動に移るかまだ決まりきっていないうちから、いちはやくキオとアセムは切り離し作業に入っています。
一歩引いて考えれば、これはかなり危険。プラズマダイバーを打ち込まれたら子と孫合わせてボンです。しかしこうやりきってしまえるキオとアセムは
フリットが実際に行動を開始した時の台詞を見る限り、確たるあてがないまま賭けに出て(自らを人質にして)この行動に出たわけではない、というわけです。
二人ともフリットの善性を完全に頼りにしています。最終的にこんなコンビネーションを見せられる親と子、そのまた子という関係を「よりによってガンダムで」やって見せたことは非常に大きい。
過去を見ましょう。親と子が言い分をぶつけあい、しまいに銃を向けたりトリガーを引いたり、あるいは壁を作りよそよそしい親と子のまま今生の別れになったりと。
ガンダムで描く親子が、そんなもんばかりでいいのか!というのが、
もしかしたらAGEに隠された、ガンダムに対する痛烈なメッセージなのかもしれないし、AGEは明確な対案で示しているのかもしれない。
自分が家庭を持つ未来を思うとき、上記のように思える時が、ちょくちょくあります。

モチモンテモチモンテ 2014/07/19 21:01 書き忘れです、すいません。
親・子・孫の連携に、精神感応などの超能力的介在はさほど大きくは関わっていない気がします。
人は他人との付き合い・通常手段での伝達・伝承を大事にしていくことが、ニュータイプ的手法を濫用せずに済む、乗り越えていける、唯一の道なのだとAGE(スタッフというより最早生命を持つにいたった作品そのもの)が主張しているとしたら、どうでしょうか。

スガリスガリ 2014/07/20 04:35 振り返ってみればとんでもない労力ですね、お疲れ様です

日野さんの作風を考えると、フリットがプラズマダイバーミサイル撃っても
「許されない存在」にはしないんじゃないかなぁ、とも思います
相応の理由と世論に対して言い訳できる余地があれば作中で許しちゃう人、という印象もありますし
なによりラ・グラミスに民間人がいるかどうかなんてフリット側からはわからないので
敵要塞に対して合法的な攻撃を行った、としかならないからです
そもそも決戦の場に非戦闘員連れて来てるのはヴェイガン側ですしね
その辺、キオが察知して説得材料に持ち出してもよかったんじゃないかと思うんですが

スガリスガリ 2014/07/20 04:39 追記します、すいません

なによりイゼルカントが安らかに死んでいったことは
イゼルカントの指示してきた無差別な虐殺を思えば「許されない存在」であっても
その死や人生に関しての是非の決定的な要素にはしていない、ということです


連邦上層部が敵対勢力に情けをかける、というのは
歴代ガンダムにおいては割とスタンダードなオチなんですよね
作中で無能だ腐敗だ言われる割に宇宙世紀の連邦はなんだかんだ甘い対応が多いので
設定と描写がかみ合わない印象を持ってたんですが
そのあたりAGEではあんまり感じなかったので、個人的な長所であると思います

reddot.reddot. 2014/07/20 23:26 初めまして。
以前よりzsphereさんのブログを読ませていただいている者です。
ガンダムAGE各話解説お疲れさまでした。zsphereさんにとってもまさに長き旅の終わりと言った感じでしょうか。
AGEの視聴感想や解説、考察をされているサイトはあまり多くないので(もちろんこちらのガンダム系リンクにあるサイトも以前から拝見していましたが)いつも興味深く読ませていただきました。

私個人の感想ですがAGEの最終話、そして物語全体は、A.G. という長い時代の中で各々のキャラがその時々での役割を果たし、絡み合っていたからこそのあのラストだと思っています。
最終的にフリットはヴェイガンをUEでなく人間として救うこととなるわけですが、少年時代のフリットがUEの危険性を知り、ガンダムを作らなければ、連邦上層部は変わらずヴェイガンと内通し、ノーラのようなコロニーが他にも増えていたかもしれません。
そしてアンバットの攻略戦でウルフと今際のヴェイガン兵のやりとりがありましたが、ウルフがUEを人間として扱ったそのシーンあればこそ後のアセムの上官たりえるゆえんがある思います。

と、これ以上書くと収拾がつかなくなってしまうので切り上げますが、経験や人間同士のかかわりが可能性を広げてゆき、「間違った正義」もあの最終話にたどり着くために不可欠なものだったのだと思います。

こうした今現在の自分の考えがあるのもzsphereさんの記事を読み、視野を広げることができたがゆえです。
最後になりましたが、ありがとうございました。
ガンダム以外の記事も楽しませていただいてますので、これからも応援しています。

zspherezsphere 2014/07/21 20:50 >ペン打ゴンさん
ありがとうございます。Gレコは私も楽しみにしております。
まぁ、最近は新作ガンダムに不満が出るのは恒例行事のようなもので、
何だかもうその辺はスルーできるくらいの達観が出来つつあります(笑)。
まぁ、富野監督は「みんなが期待するもの」の斜め上を行くところに真骨頂がありますからねw

そしてイヴァースシステムの件、ご指摘ありがとうございます。
実はツイッターで別な人からもご指摘受けまして、慌てて修正した次第です。
フリットの存在も、いろいろ考えさせられますね。憎悪そのままに死んでいった方が
視聴者の納得は得られたかも知れない、けれどどうにかそうならない結末を
見せたかったのかな、という気がします。

ともあれ、長い間お付き合いいただきありがとうございました。

zspherezsphere 2014/07/21 20:58 >ECHOさん
ありがとうございます。
インターネットも、電子レンジも、その他軍事技術発祥の、生活を便利にする技術って
たくさんあって、我々もたくさん恩恵を受けていて。
ガンダムの強化システムであるAGEシステムをそういう形で描く事で、冒頭に子供の絵空事のように提示された
「ガンダムが救世主になる」を別な角度から実現させた、とも言えるんですよね。
エピローグがあっさり終わってしまうので印象に残りにくいですが、
本当によく考えられていると思います。

ともあれ、長い間お付き合いいただきありがとうございました。

zspherezsphere 2014/07/21 21:04 >さわkさん
ありがとうございます。
こちらとしても、さわkさんの様々な角度からの考察記事が先行してあったことで、
だいぶ勇気づけられましたし、また直接間接に参考にもさせていただきました。
あらためて深謝。

正直、クッタクタになりましたので、しばらく難しい事は考えたくないですね(笑)。
AGE解説も番外編の予定は無い……のですが……

ただ、現在判明している『Gのレコンギスタ』の設定や初期プロットは、やっぱりちょっと気になります。
軌道エレベーターに、どこの国にも属さない高性能MS=ガンダムが襲撃してくるって、
これ『ガンダム00』第一話と極めて似てるんですよね。
またメカ設定もゼロ年代ガンダムの特徴(AGE含む)が色々見られます。

こういう、歴代作品のパーツを組み合わせて提示するやり方って
ここまで解説してきたAGEの方法論にすごく近いんですよね。
富野監督が意図してやっているとすれば……面白い事になるかもしれない(笑)。
それでまた気づいたことがあったら、またくだくだ長文を書き始めてしまうかも知れませんw

ともあれ、お世話になりました。ありがとうございました。

zspherezsphere 2014/07/21 21:12 >へーすんさん
ありがとうございます。

本当、AGEって変な作品で、減点法で欠点を数えていくとマイナスまで行ってしまう(笑)。
なのに、逆に加点法で良く出来てる所を数えていくと、けっこう高得点になるかもしれない。
困った作品ですが、取り組み甲斐がありました。

スパロボ的な想像力が様々に展開した事で、現在その辺もすごく面白くなってると感じます。
版権とか難しい問題もいろいろありますけど、
作品の枠を飛び出して、キャラクターが世間で愛され得る期間は確実に延びています。
そういう可能性も、注視していきたいなと思う今日この頃です。

ともあれ、長い間お付き合いいただきありがとうございました。

zspherezsphere 2014/07/21 21:18 >一原かずまさん
ありがとうございます。
これだけ書いても、恐らく見逃した点はたくさんあるのだろうな、とも思っています。
なので、いつかさらに深くAGEを考察してくれる人が出てくるのを待つ心境ですw
とはいえ、作品に深く潜って読み込む事で、また別な景色が見えてくるという感覚を
少しでもお伝えできたなら、この記事を書いた甲斐があったと思えます。
ぜひ、いろんな作品をじっくりと読み解いてみてくださいまし。

ダイダルバズーカについては、なるほどな、という感じです。
まぁ、せめて劇中でキオがもう少し何かコメント等してくれていたら、
考察もできたのかなと思いますが。
終盤のAGEシステムとキオとの関係、というのは面白いテーマですね。
「AGEシステムが導き出した答え」の変遷を追っても、また違うAGE論が出来るかもしれません。

ともあれ、長い間のお付き合い、ありがとうございました。

zspherezsphere 2014/07/21 21:24 >モチモンテさん
ありがとうございます。
意見対立も、その他問題も色々ありましたけど、結局キオにとって
フリットは最後まで「やさしいじいちゃん」のままだったんですよね。
アセムも父に対する反発が「海賊」という立場にもある程度反映されてるはずですけど、
なんだかんだで最後までフリットの事を「父さん」として認めてて。
たしかに、こんないじらしい親子関係は歴代ガンダムにはありませんでした(笑)。
アセム編の解説で、AGEは歴代ガンダムに珍しく主人公の属する連邦軍の優秀なところを
ちゃんと描いた、という話をしましたが、AGEにはそういう
意図的な「歴代ガンダムの逆張り」がいくつかあります。
それらはいずれも、今まで何となく「ガンダムのセオリーだから」という理由で
腐敗してたり信用できなかったり、という描かれ方をしていた部分なんですよね。

AGEのこういう意欲的な「逆張り」は、私も最大限に評価してます。
それらは、今後のガンダムシリーズがとり得る選択肢を、確実に広げるハズです。

ともあれ、長い間お付き合いいただきありがとうございました。

zspherezsphere 2014/07/21 21:31 >スガリさん
ありがとうございます。

私は日野社長の他の作品に接した事が無いので何とも言えないのですが、
まぁ歴代ガンダムのパターンをこれだけ踏襲している(と見られる)事を眺めると、
やはりあそこでフリットが手を下してしまっていたら、
流れとしては決裂かなぁ、という印象はあります。

で、確かにフリットがセカンドムーンに民間人がいる事を直接把握しているらしい
描写は(たぶん)無かったように思いますが、
フリットほどの人が、戦場のど真ん中にあるセカンドムーンが何なのかを知らぬまま
作戦を進めた、というのも、ちょっと想像しにくくはあります。
キオなりアセムなりに聞けば分かる事ですし……。

まぁいずれにせよ、ヴェイガン側が戦場のど真ん中にセカンドムーンを持ってきたのは
厳然たる事実なので、その点で仮にヴェイガンの民間人に被害が出ても
文句言われる筋合いが連邦側に無いのは、確かかも知れません(笑)。

連邦軍の件、なんとなく分かります。
そういう地味なところで、AGEが物語の整合性に敏感さを見せてるのが
また悩ましくも面白いところだな、と思ったりもしますw

ともあれ、長い間のお付き合い、ありがとうございました。

zspherezsphere 2014/07/21 21:36 >reddot.さん

ありがとうございます。

そうなんですよね、フリットは終盤の意固地さが目立ってしまっていますが、
若いころのフリットの頑張りがあってこそのアセム、そしてキオなんですよね。
三世代の物語にする事で、その辺りを一面的にせずに、複眼的に描けたという意味で
AGEのプロットは世間で思われているより成功しているんだと思います。
その辺りの事も含めて、少しでもAGEという作品の意外な奥深さがお伝えできたなら幸いです。

そして、AGE以外の記事もお読みいただいている由、ありがとうございます。
しばらくは充電期間になりますが、またいずれ、何かしらワクワクするような
面白い取り組みに挑戦していけたらと思っておりますので、
その節はまたどうぞご贔屓に。

とりあえずここまで、長い間のお付き合い、ありがとうございました。

2014-06-22 俺は人間だ、人間でたくさんだっ!

[] 機動戦士ガンダムAGE 第48話「絶望の煌めき」 00:11  機動戦士ガンダムAGE 第48話「絶望の煌めき」 - カオスの縁 ――無節操日記 を含むブックマーク  機動戦士ガンダムAGE 第48話「絶望の煌めき」 - カオスの縁 ――無節操日記 のブックマークコメント



     ▼あらすじ


 ラ・グラミス攻略戦が熾烈を極める中、ゼハートガンダムを討つため、フラム・ナラにディグマゼノン砲の射線への誘導を命じる。それはフラム自身を犠牲にする決断だった。フラム、そしてレイルも覚悟の上でガンダムを射線上におびき出すべく、決死の戦いを展開する。

 一方、味方を犠牲にしてでもディーヴァガンダムを狙うヴェイガンの意図を察したフリットは、ディーヴァを囮にして連邦艦隊の損害を抑える作戦を決意。ディーヴァクルーは海賊船バロノークに移譲させ、フリット、アセム、キオの三人はギリギリまでディグマゼノン砲を引きつけ、ダークハウンドの加速で辛くも砲撃を逃れる。

 そんな中、ジョナサンとオブライトは身を挺してレイルフラムを撃破。一方、多大な犠牲を払いながらガンダムを撃破できなかった事を知ったゼハートガンダムレギルスで出撃するが、アセムとの戦いに敗れ、かつての友と最後の言葉を交わして散って行ったのだった。




      ▼見どころ


 最終決戦もいよいよ終盤、主要人物が続々退場していく第48話。

 順を追って見ていきますが、エンタテインメントとして本来強調されるべきところが萎み、ストーリーを盛り上げるセオリーは外され、代わりに皮肉な展開が十重二十重に脚本の中へ練り込まれている、実にAGEらしい捻くれたストーリーになっています(笑)。

 一体、この最終決戦の場で何が起こったのか。解きほぐしてみたいと思います。

 特にこの回、互いの作戦を読み合い、大きな決断をするゼハートフリットの対比を軸に見ていくと、整理がしやすいのではないかと思っています。二人がそれぞれ、重要な何かを犠牲にして、それを代償に成果を挙げようとしました。その違いは何だったのか。



      ▽ゼハートの支払った代償


 この回、ゼハートはラ・グラミスのディグマゼノン砲の再発射を行います。一度撃てばしばらく発射は無理と思われていましたが、セカンドムーンのエネルギーを直接取り込むことで半ば無理やり再使用する事が可能とのこと。

 戦場は混戦状態であり、今発射すれば味方をも巻き添えにするとオクラムドに指摘されますが、ゼハートはそれでも発射を強行。

 さらに、今や最大の障害であるガンダムを排除するため、これまでゼハートの右腕として働いてきたフラムガンダムを引きつけさせ、その犠牲と共にガンダムを撃破しようとします。


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フラム、ディグマゼノン砲の射線上にガンダムをおびき出してくれ。ディーヴァと共に一挙に叩く」

「……ガンダムごと、ですか?」

「ヤツらの侵入を阻止し、連邦軍の勝機を叩き潰す」


f:id:zsphere:20140622232754p:image

f:id:zsphere:20140622232754p:image

「わかりました」


 この両者の無言の睨み合いは、実に長めの時間が取られています。

 後述するように、ゼハートガンダムレギルスに乗ってアセムと対決するシーンの尺が短く、本放送当時視聴者の不満点として挙げられていましたが、それほど物語の尺に余裕がないにも関わらず、このゼハートフラムの無言のシーンにはかなり潤沢な時間が割り当てられています。そういうところも、AGEという作品の性格、ねらい、見どころをよく表していると思います。


 また、この会話の少し前、こんなカットが挟まれています。


f:id:zsphere:20140622232840p:image

 作戦中、恐らくは眠気を催したらしい様子をゼハートは見せます。

 考えてみれば、ゼハートは対シド戦で能力を酷使し、それからほとんど間をおかずにこのラ・グラミス戦に臨んでいます。一時は出撃もしていました。

 既に散々見てきたように、この戦いはゼハートが全霊を込めて臨んでいる、「エデン」に辿りつくための最も大事な戦いです。このゼハートの「眠気」は、従って気の緩みのためのものではないでしょう。そうであるが故に、ゼハートの心身両方への過大な負担が察せられるカットになっています。

 そしてこの疲れのせいもあってか、彼は白昼夢のようなものを見る事になるのですが……。


 これまでのAGEの展開でたびたび示されて来たように、ゼハート・ガレットは部下を大事にしてきた指揮官です。フラムの回想の中に出てくる、戦死した部下の名前を知っておけという話もそうですが、アセム編などでは


f:id:zsphere:20140622233019p:image

 自ら身を挺して部下を守るシーンもありました。

 そのようなゼハートにとって、味方、そして部下を犠牲にする作戦を自ら実行するというのは余程の変節であるという事はお分かりになるかと思います。

 では、なぜゼハートは変節したのかというと、


f:id:zsphere:20140622233048p:image

「わたしは、お前のエデンへの想いを信じている。その思いに偽りはないはずだ」


f:id:zsphere:20140622233111p:image

「この俺を陥れたお前が、まさか、この程度で怖気づいているわけないよなぁ!?」


 ゼハートの見た白昼夢の中で、ドール・フロスト、ダズ・ローデン、デシル・ガレットなどゼハートと関わって死んだ者たちが、プレッシャーをかけるセリフを次々と並べていきます。

 歴代ガンダムで、こうして死者が現れて言葉を発していくシーンはいくつもありますが、このように生者を追い詰める、ネガティブな言葉のために出てくるケースは稀なように思います。この辺りも、AGEらしいところです。

 ともあれ、つまるところ自軍・味方の命が大切だからこそ、これまでの犠牲を無にするわけにはいかない、そのためには味方を犠牲にしてでもプロジェクトエデンを成し遂げるしかない……というのが、ゼハートの追い込まれたジレンマになってしまっているのでした。

 この問題自体は、第41話の時点でフラムが口にしています。キオに「戦いをもうやめよう」と言われた際の返答です。


f:id:zsphere:20140622233210p:image

「これまでの戦いでどれだけの犠牲が払われたと思っている!? 話し合いなんてもはや不可能なのよ!」

 ここまでの戦いで、「プロジェクトエデン」達成のために多くの犠牲が出たゆえに、今さら途中でやめるわけにはいかない、とゼハートフラムも口にしています。

 しかし問題は、過去の犠牲に報いるために、是が非でもラ・グラミス戦での勝利を得ようとした結果、ゼハートにとって貴重な腹心の部下を、そして貴重な自軍戦力を捨て駒にする決断を、してしまっている事でした。

 特に、この重要な決断をするにあたって、ゼハートは圧倒的に孤独です。  第41話解説で書いたように、ヴェイガンには組織的なフォローアップの態勢がなく、どのような戦局も、その持ち場についている個人の力でどうにかするしかない。それはヴェイガンの総指揮と言えども同じなのでした。

 そして、どのような逆境も、そこを持ち場にしている者の人間力だけでどうにかするしかないとすれば、徹底的に追い詰められた状態で取れる手段は「捨て身」くらいしかなくなってしまいます。

(この、圧倒的なプレッシャーの前に追い詰められていくゼハート、というのを段階を追って綿密に描き直しているのが、OVA『Memory of Eden』です。同作内では、アセム編のラストにあたるダウネス攻防戦終了直後から、この死者たちに囲まれる脳内会議の模様が何度も出てきます。かなりな力の入れようで、デシルの新録音声はゼハート、アセムに次いで多いんじゃないかと思えるくらいですw)

 いずれにせよ、そうしたヴェイガンという組織の苦境の中で、フラム・ナラ、レイル・ライトといった優秀な人材が消尽されていくのでした。


 この、ゼハートの決断は、AGE作中において極めて皮肉な描かれ方をしています。

 敵味方が入り乱れている混戦状態で、まさかディグマゼノン砲を発射する事はないだろうというアルグレアスに対して、フリットは敵は撃つつもりだと見抜きます。そして、


f:id:zsphere:20140622233547p:image

「ヤツらは味方ごと、ディーヴァガンダムを潰すつもりだ! 忘れるな、相手はヴェイガンだ!」

 ……と言い放つのでした。

 特にキオが火星でヴェイガンの実情を見てから、フリットのヴェイガン観は偏った極論として描かれてきました。「ヤツらは人間じゃない」などの発言は、キオをはじめ多くの登場人物から否定的に見られています。

 一方ゼハートは、少なくとも味方に対しては、部下の損耗を気に掛ける、AGE作中でも比較的良心的な上官として描かれてはいます。

 ところが、切羽詰って味方を犠牲にする作戦をとった事で、ハートたちは結果的にフリットのイメージするヴェイガン像に、急激に重なってきてしまうのでした。少なくともこの時のフリットの発言に、反対できる者はいなくなっています。


 AGEという作品の、「100年の物語」という長いスパンが生きているのが、こういうところでした。

 三世代編のフリットは過激派で頑固な老人ですが、視聴者はフリット編における彼が苦悩しながらも頑張った、それなりに良いヤツだったことを見て来ています。

 同様に、視聴者はゼハート・ガレットがアセムらと友情を育んだ心優しい青年である事も知っています。今、味方や部下を犠牲にする非情な作戦を実行しようとしているのは、他ならぬその心優しい青年なのでした。

 単なる過去の回想ではなく、実際に視聴者がその様子を目撃してきたという構成になっています。それはつまり、過激な発想や言動を行う人物であっても、それを「他者」として、ただの「悪役」として、容易に排除できないという事でもあります。単純に悪者を決定してそれをやっつける、というカタルシスのあるストーリーにはなりませんが、そうであるがゆえにかえって重要です。21世紀が憎悪の戦争の時代だとすれば、分かり合えない相手を単純に「悪」「他者」であると決めつけてしまう思考は、事態を悪化させる方向にしか作用しないからです。それは『ガンダムSEED』シリーズが嫌と言うほど描いた情景でもありました。


 とはいえ、ゼハートの下したこの決断は、やがて厳しい現実をゼハートに突きつけてくる事になります。

 その点を見る前に、一度フリット・アスノに目を転じましょう。ゼハートフラムレイル、そして自軍兵力を犠牲にする決断をしたのと同時に、フリットもまたいくつかの大切なものを犠牲にする決断をしていました。何を犠牲にしたのか、それはゼハートとどう違ったのか。



      ▽フリットの支払った代償


 さきに引用したセリフの後、フリットはアルグレアスにこのように告げています。


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ディーヴァ前進する限り、ヤツらはそこを狙ってくる。よって……ディーヴァを囮にする! その他の艦艇は退避させろ!」

 そう、彼はディーヴァを犠牲にする事で、それ以外の連邦艦艇、戦力をディグマゼノン砲の射線から逃がす選択をとったのでした。

 フリットのこの決断が、彼自身にとってどれだけ重いかは少し想像してみれば分かるかと思います。ディーヴァはアンバット攻略戦に至るまで、人類がUEに対抗しうるほとんど唯一の戦力であり、いわば反ヴェイガンの象徴とも言える艦でした。またフリット個人にとっても思い出深い艦でしたし、ある意味で彼のかつての名声・栄光の象徴でもあったはずです。

 またディーヴァにはAGEビルダーもあるわけですから、戦略的にも重要なはずですが、これを犠牲にするというのも英断でしょう(ただしこれについては、後に微妙にアヤがつきますので難しいですが)。


 さらに、ディーヴァを囮にするにあたって乗組員を退艦させるのですが、その際に手配したのが


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 海賊船バロノークです。

 あれほど海賊を毛嫌いしていたわけですが、フリットはそうした私情も持ち込みません。「見えざる傘」を持つバロノークこそこの状況に適任であるという冷静な判断を下しています。

 このような一連の判断、決断は、強調されているゼハートの決断に比べると若干地味ですが、しかし対照的で重要です。


 ゼハートは、味方を犠牲にして、敵であるディーヴァガンダムの撃破を目論みました。

 一方のフリットは、ディーヴァを犠牲にして、味方連邦艦隊の被害を最小限に抑える事を目指しました。

 ゼハートが、プロジェクトエデンという重責に追い詰められて味方を犠牲にする博打めいた作戦を実行した一方、フリットは自らの私情を抑制して、理性的に、現状取り得る最適な方法を即座に実行しました。


 さらに皮肉な見方をしてしまえば、フリットはヴェイガンの殲滅という非人道的な目的を掲げているのに、こうした戦術のレベルでは味方兵の損害を抑える判断が出来ている一方、ヴェイガンと共にエデンという理想郷を追い求めているはずのゼハートは、味方兵をそのために捨石にする判断をしてしまっているわけです。ここには、何重にも折り重なった、実にAGEらしい皮肉があります。


 最終決戦の最中、勝利を掴むために何かを犠牲にしなければならないという形で、同じタイミングに重要な決断をしたゼハートフリットですが、両者の結末の相違が生じたのはこういう部分での差だったのかも知れません。


 そして、いよいよ戦況が猖獗を極めます。



      ▽フラムの最期


 ゼハートの命を受けたフラム・ナラは、自身が犠牲になるのを承知で、ガンダムの誘導とディグマゼノン砲射線上での足止めに文字通り死力を尽くします。


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「あんなに優しい人だったゼハート様が……」

「この戦いかが終われば、ゼハート様は、優しいゼハート様に戻る。私はあの人を、あの人の優しい心を守りたい……!」


 そして、身を賭して戦うあまり、同じXラウンダーであるキオにプレッシャーとして作用


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 AGE-FXを圧倒します。

 このシーンはもちろん、『Zガンダム』終盤のハマーンvsシロッコ戦に見られたようなプレッシャー合戦といったところでもありますが、巨大なフラム生霊(?)がMSを手玉に取るかのような構図は、


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 ほとんどカテジナ・ルースのこの場面です。

 無論、カテジナのこのシーンがウッソとクロノクルの二人が自分を取り合っている、と悦に入るシーンであるわけで、フラム・ナラの置かれた状態とはかなり違います。あえて言えば、『Vガンダム』的な狂気の領域にまで届きつつあるフラムの心情の描写といったところでしょうか。


 散々なのはキオで、前話でグルドリンに圧倒されて以降、主人公らしい見せ場がほとんどありません。FXバーストでザナルドを撃退したといっても、怒りに我を忘れて自分の信条を破りそうになるような、苦いシーンでした。そして今回もフォーン・ファルシアに押されるばかりです。

 結局、ディグマゼノン砲の照準をギリギリまで引きつけるべくアスノ三世代ガンダムが戦うのですが、最終的にフラムレイルを撃破するのはアビス隊、特にオブライト・ローレインだったのでした。


 ここで、フラムを撃破するのがキオでもアセムでもフリットでもなく、オブライトであるという展開も、良し悪し含め視聴者の予想を裏切るものでした。フラムがMSに乗るようになって以降、最も戦場でセリフを交わしていた相手はキオですし、またファルシアというMSとの因縁が深いのはフリットです(オープニングでも、AGE1グランサがファルシアを、ダークハウンドがギラーガを押しのけ、AGE-FXがシドのシルエットと対峙するというカットがあります)。しかし、とどめを刺したのは、そうした「因縁の相手」ではありません。

 こうした傾向は、AGEという作品にわりと一貫したものです。ユリンの死という因縁があるにも関わらず、デシル・ガレットを撃破したのはフリットではなくアセムでした。また、第31話「戦慄 砂漠の亡霊」で味方を撃墜されるという因縁を持ったグラット・オットーとゴドム・タイナムですが、オットーはダークハウンドに撃破され、さらにゴドムは部下を撃墜した因縁の相手のどちらでもなく、セリックに撃破されています。

 例によってエンタテインメントとしての盛り上がりには寄与しませんが、この作品らしいリアリズムではあります。現実の戦場においては、そうした「因縁の相手」と早々何度も再戦する機会があるとは考えにくいからです。

 こうした、エンタメの王道展開から意図的にシナリオをずらしていく感覚は、フラムレイルの死そのものにもあります。彼女たちが命がけでガンダムをおびきだしたにも関わらず、そのガンダムを討ち果たす事ができません。したがって


f:id:zsphere:20140622234033p:image

「エデンを、どうかその手に」というフラムの最後の願いも、あっけなく裏切られてしまう事になります。言ってみれば彼女たちは無駄死にをしたわけで、その展開は視聴者に対しても何とも言えない感慨をもたらします。

 しかし、エンタテインメントの縛りで言えば、主要キャラクターが死ぬ際には必ずそれに見合った「意味」や、それと引き換えに事態を動かすといった成果、はたまた信念を貫くといった「カッコよさ」などを描かざるを得ません。でなければ視聴者には肩すかしになってしまうからで……しかしそればかりになってしまうと、「命を投げ出せば必ず何事か成し遂げられる」というメッセージが不自然に強調される事になります

 実際には、命を投げ出してもその方法次第ではまるで効果が上がらない事など珍しくありません(たとえば、第二次大戦中の神風特攻隊ですが、大戦末期に特攻した航空機の相手艦への命中率は10%前後だったそうです。また、命中しても甲板を多少凹ませただけに終わったケースもあったり)。


『Vガンダム』終盤に対する感想で、「オデロ・ヘンリークを殺す必要は別になかった」というものがネット上では散見されます。オデロの死のシーンに関するウェブ上の談話、ニコニコ動画でのコメントなどでは必ずそう発言する者が一人はいるのを見る事ができたりするわけです。

 が――現実の戦争で、「シナリオ上の必要や必然性のある者だけが死ぬ」などという事はありません。当然の事ですが、事情も都合も関係なく死ぬ時は死ぬのが戦場です。


 AGEは確かに、エンタメとして盛り上がるツボを外しているのですが、それは一面でこうした戦争ドラマのツボ、戦場を舞台にしたエンタメ作品のセオリーをそのまま踏む事を拒んでいるから、という風にも映ります。

 そうであればこそ、AGEはフリットの、アセムの、キオの失敗を生々しく描くことができましたし、それに仮託して歴代ガンダム作品の批評的総括を語る事ができた――と筆者は見ているのでした。

 フラム無駄死に(という形で現れたゼハートの失敗)もまた、同様です。



 一方のオブライトの死についてですが、これはやはり、ディーヴァが沈んだのと同じタイミングであった事が重要であると見るべきでしょう。

 第27話の解説で書いたように、オブライトとレミ・ルースにとってのディーヴァは、「疑似家族の器としての家」でした。レミが戦死した後も、オブライトはその意志を持ち続け、父アセムの件で戸惑うキオを勇気付けたりしています。

 そして、血縁のある実際の家族に比べて、同じ場所での共同生活によって育まれる疑似家族の絆は、より強く場所に依存しています。疑似家族の器である艦が無くなってしまえば、離れ離れになりやすい。それはホワイトベースのクルーが、『Zガンダム』時点ではバラバラに暮らしていたのと同じようなものです。

 ゆえにディーヴァという器と共に、疑似家族的絆を象徴していたオブライトは散る事になるのですが、ここでもオブライトがフラムたちを足止めする事によって、本物の家族であるキオたちアスノ家のガンダムが離脱する事が出来ているというのは面白い点です。第35話の解説で、AGEにおいては疑似家族的な絆が、血縁関係のある本当の家族の絆を補佐・留保するセイフティーゾーンとして機能していると書きましたが、この点は最後まで貫かれていると見る事もできるでしょう。


 一方のフラムは、死の間際に、Xラウンダー能力によってか、ゼハートと言葉を交わします。


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「すまなかった。詫びても許されないことはわかっている。しかし……私はこの計画を成功させる。お前の兄、ドールにも報いてみせる!」

「兄のことはもう……。私は、あなたのもとで戦えたことを誇りに思います」

フラム……私は……」

「ゼハート様……エデンを、どうかその手に」

「約束する。私は必ず、エデンにたどり着いてみせる!」


 ……という「約束」が、わずか数分後に破綻するわけなので、何とも言えないシーンではあります。

 一方のフラムにしても、先に引用したように、「ゼハートの優しい心」を取り戻すために戦っているつもりなのに、結局最後の瞬間、「エデンを、どうかその手に」という、ゼハートのプレッシャーをますます強化する言葉を伝える事しかできません。ハートがディグマゼノン砲発射を決意する直前、ドールやデシルが「自分たちのような犠牲を出した以上は必ずエデンに到達しろよ」と詰め寄って、それによってゼハートが追い詰められていたわけです。フラムまでがこのように言い残してしまっては、そういう亡霊たちの仲間入りをしたも同然です。

 しかし、ヴェイガンという組織においては、このようになるしかない。プロジェクトの「責任」が一点に集中しフォロー体制がないヴェイガンにおいて、状況が切羽詰まった結果がこうした事態を招いています。

 さらに後述するように、フラムには、このような言葉をかけるしかなかった側面もあります。それについては、次項で。


 なおこのシーン、OVA『Memory of Eden』ではフラムがゼハートにキスするカットがあるのですが、TV版ではただ


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 ゼハートの手を頬に寄せるだけです。

 ここでも、OVA版のように最後に一線を越える、という方がドラマチックではありますが、TV版は頑なにそこを抑制します。これも、TV版AGEにおいて描かれてきたテーマと照らせば、この方が整合する描写だったと思います(この点も後述します)。結局「司令官と部下」というラインを超えないまま、フラム・ナラはディグマゼノン砲の閃光の中に消えていくのでした。

 そして。



      ▽ゼハートを救ったもの


 ディグマゼノン砲が放たれた事によりディーヴァを含む連邦艦隊に打撃が与えられます。その報告を聞いたゼハート


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「当然だ……私を慕い、愛してくれている者まで犠牲にしたのだ。必ずたどり着いてみせる……!」

 同時にこの一撃は、造反の色を見せていたザナルドとその艦隊をも同時に葬り去る一撃でした。これで態勢を立て直し戦局を握るかと思いきや


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ガンダムです!」

「な、何だと……!?」


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「わ、私は……何をやっているのだ!?」


 まさに、すべてを投げ打っての乾坤一擲の賭けに敗れた瞬間でした。

 将ゼハートの、戦略的な敗因については既に様々な考察があります。ザナルドの造反を招き味方軍との連携を欠いた事、有能な部下の喪失、ディグマゼノン砲のターゲットをガンダムに定めた事、など。その辺りの詳細な分析は、他の方に譲ります。

 いずれにせよゼハートの采配は失敗しました。その落胆の度合いは察するに余りあります。そして追い詰められたゼハートは、ガンダムレギルスに乗り自らガンダムを討ちとりに出撃するのですが。


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「わかっている!!」

「何としてもガンダムは墜とす!」

「この戦いに勝利して見せる!」


 ここからが、半ば揶揄の対象として有名な、ダークハウンドによる1ミニットキル、わずか1分ほどで決着がつくゼハートとアセムの戦いです。相変わらず、尺に余裕のないAGEという話なのですが……ここで二人の戦いが即刻終わってしまった原因は、シナリオ上からは明確に察せられるように描かれています。鍵になっているのは、そのセリフの応酬です。ゼハートと接敵したアセムは、まずこう詰め寄ります。


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「ゼハート、味方を犠牲にしてまで、お前は何をやっているんだ!?」

 この問いかけ自体が、実に皮肉です。何をやっているのかって、他でもないガンダムを討つために味方を犠牲にしたのに、当のガンダムに乗っている相手からこう言って責められるのですから堪りません。

 当然、言い返すのですが……


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「必ず、やり遂げねばならないのだ! 人の感情など、とうに捨てているっ!」

「人であることを捨ててまでやる大儀に、何の価値がある!」

「貴様に何がわかるっ!」


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「人が人であるためのエデンじゃなかったのか!」


 アセムにそう言われた瞬間、


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 虚を突かれたような、ゼハートの表情。

 既に指摘されている方も多くおられますが、この瞬間に、アセムとゼハートの勝負はついています。目を見開いたゼハートのカットの直後から、ガンダムレギルスはほぼ一方的にダークハウンドの攻撃を受け続け、そのまま撃破されてしまっているのでした。


 それにしても、この会話も壮絶です。何といっても、ヴェイガンの一番の理想、その本質部分をよりによって地球種であるアセムに正されてしまったのですから

 アセムがこのように言えたのは、無論のこと、アセム編最終決戦のダウネス内部にて


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 この時にゼハートの口から直接、その目指すところを聞いていたからでした。

 ゼハートが、イゼルカントの口から「プロジェクトエデンの真意」を聞かされ、「人類の光になれ」という(この解説記事の言い方で通すならポエム化した)意志を引き継ごうとした結果、もともとゼハート自身が理想としていた本来の「プロジェクトエデン」、本来の行動目的が有耶無耶に分からなくなっていきました。

 アセムの一言は、そんなゼハートにとっての本来のプロジェクトエデン、その目的を思い返させる内容でした。

 そして思い返したと同時に勝負は確定しました。「人が人であるためのエデン」を求めるためには、味方軍(や自分自身)を犠牲にして進む事は矛盾でしかないからです。瞬時にそう悟れるだけの聡明さを、この人物はちゃんと持っています。


 レギルスを大破させられた後、アセムとの間に最後の会話が交わされます。短いですが、非常に重要な会話になっています。


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「やっと……俺に追いついたな。たいしたものだ……」

「ゼハート!」

「全てがこぼれ落ちていく……どうして、つかめないんだ……!」

「つかめないものだったある。俺たちは人間なんだから」

「……」

「お前は敵である俺を何度も助けてくれた。戦士である前に、人間だった」


 まず、ハートの一人称が「私」から「俺」に変わっているところ。ヴェイガン代表という公人から、私人のゼハートの顔で発言している事がひとつ。

 第二に、アセムが「俺たちは人間なんだから」と言っているところ。パッと見たところでは、相田みつを的「人間だもの」な事を言っているように見えますが、注意すべきはこのセリフを宇宙海賊キャプテン・アッシュが言っているという事です。

 この宇宙海賊が、歴代ガンダム上では当然『クロスボーンガンダム』のオマージュに当たる事は既に記しました。で、同作後半の重要キーワードこそが「人間」だったことを思い返さねばなりません。たとえば、最終決戦でのトビアのセリフ



「安心したよドゥガチ あんた……まだ人間だっ ニュータイプでも、新しい人類でも……異星からの侵略者でもない! 心のゆがんだだけのただの人間だっ!」


 トビアがクラックス・ドゥガチに向けて放ったこの言葉は、一見、地球の破壊という理解不能な思想を持った、地球圏に住む人とは価値観も感覚も違った「新しい人類」のように見えるけれども、そうではなかった、という文脈で使われています。

 アセムのセリフは、これを下敷きにしていると読めます。トビアのセリフに引き寄せるなら、「Xラウンダーでも、人類の光でも、異星からの侵略者でもない」ただの人間だ、という含意ではないでしょうか。

 アセム編を通して、「Xラウンダーと非Xラウンダー」という二項対立、優劣関係から抜け出して、「非Xラウンダーでも強いパイロット = スーパーパイロット」になったアセムは、ここでかつてのライバルであり優劣の「優」であったXラウンダー、ゼハートをも同じ「俺たちは人間」であると言う事で、真の意味でこの二項対立を退けています。第34話解説で述べた、『クロスボーンガンダム』という作品の「ニュータイプオールドタイプという二項対立の解除」を読み込むならば、この瞬間にアセムは本当に「スーパーパイロット」となる事が出来たとも言えます。

 だからこそ、ゼハートも「やっと俺に追いついた」と口にしたのでしょう。


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「お前たちと過ごした。モビルスーツクラブでの毎日……あの時、私は満たされていた……お前は、力を持った私に嫉妬していたのだろう? しかし、本当は……俺はお前がうらやましかったんだ……俺も……愛する人と子をつくり、お前のように生きたかった……」


 第37話解説で書いたように、連邦とヴェイガンの対比軸の一つに、コールドスリープなどを使用して個人が長く時間を過ごすヴェイガンと、世代を重ねる連邦というものがありますが。ここで、同じ少年時代を過ごしながら、現在の年齢にギャップのあるアセムとゼハートが向かい合い、このように会話が流れる事でより鮮明に浮かび上がります。

 そしてやはり、ゼハートもまた世代を重ねる事、そのような生き方を羨んでいたと告白するのでした。「家庭を持つ事」はAGEにおいて極めて重要な価値と見なされています。しかし、ここで表明されているのは、必ずしも復古調の、昭和以前の大家族を維持していたような社会、コミュニティを称揚しているわけではないように思えます。

 ここでもゼハートが「私」と「俺」を使い分けている事に注意しましょう。

 「私」は公人としてのゼハート、プロジェクトエデン推進のために従事する戦士ゼハートです。それに対して「俺」は私人としてのゼハートでした。ゼハートが羨んでいたのは、アセムが連邦特務隊、あるいは海賊という公人としての顔の他に、「愛する人と子を」つくるという私人としての顔を持っていた事だったのでしょう。

 ゼハートには私人としての行動や立場が極めて希薄でした。彼には公人として「プロジェクトエデンを完遂する」という目標しか無かった。だからこそ、フラムも最後に「エデンを、どうかその手に」というますますプレッシャーになる言葉しかかけられなかった。本当は私人としてのゼハートに語りかけたかったのに、彼に私人の顔がほとんどなかったのです。

 公人としての自分に大きくアイデンティティを偏らせていたゼハート、しかもそうまでして実現しようとしていた計画で挫折してしまったこの瞬間に、アセムはそれでも声を賭けます。


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「ゼハート……お前がいたからここまでやれたんだ!」


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「……ありがとう、アセム……!」


 すべてを失ったゼハートに対して、なぜアセムのこの言葉が慰めとなり、彼の精神を解放するほどの力を持ったのでしょうか。

 「ここまでやれた」とは「どこまで」でしょう。ゼハートは自らの目的を果たす事に惨めに失敗しています。あるいは、「ここまでやれた」とはアセムがXラウンダーであるゼハートを超えられた事を指すのでしょうか。そのように解釈する事もできますが、これに先立つ回想シーン、MSクラブでの会話では、ゼハートの働きによってマシンが完成し、「これで優勝できる!」と皆が喜んでいるところが描かれています。つまり、ゼハートの頑張りがMSクラブ全体の成功をもたらした、というシーンです。ゼハートを乗り越える事でアセムが成長できた(アセム一人が強くなった)、という事を喜んでいるという解釈とは、どうも噛み合いません。

 ここでアセムが言っているのは、ゼハートの頑張りによって何か成果が得られた、という事です。それは何か。


 実はこの件に関して、過去の解説記事で、意味深なサジェスチョンを出したことがありました。

 第17話「友情と恋とモビルスーツ」の解説で、この回のモビルスーツ模擬バトルコンテストの大会ナレーションが『Gガンダム』冒頭のナレーションに近い事を指摘し、アセムたちが殺し合いの戦争ではなく、スポーツとしてのMS試合を経験していた事が、『Gガンダム』のガンダムファイトと重ねられる事で強調されているのではないか、と述べておきました。

 フリットにもキオにも存在しない、この「スポーツとしてのMS戦」「競技としての戦い」という経験を今はアセムとゼハートだけが共有しています。その経験が、すべてを失ったゼハートの心を最後に救ったのだと筆者は見ています。


 基本的に、戦争で負けた敗者に対して、かけられる慰めの言葉など存在しません。

 目的を果たすために、膨大な人的・物理的なリソースを投入して、そのようにして取り組んだ戦争というものに負けてしまったら。そこには喪失しかありません。目的も達成されず、さらに多くのものを失って、得られるものもなく。ましてそのまま死にゆくならなおさらです。ゆえに、乾坤一擲の賭けに破れたゼハートには、たとえイゼルカントでもかける言葉を持たなかったでしょう。

 しかし、競技の世界にはあります。敗れた者をなおも称える事のできる言葉が。


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「良いファイトだったぞ……!」


『Gガンダム』の世界においては、ただ単に相手を負かす、試合に勝つというだけではなく、その戦いの質を良いものにしようという価値観が存在していました。競技であるがゆえに、それが観客を楽しませる興行の側面を持っている事もあるでしょう。同時にそこには、互いに実力を出し合う事でより高いレベルの試合を成し遂げるという、勝敗だけにこだわらない目的を設定する事をも可能にしていました。

 劇中、ドモン・カッシュとアレンビー・ビアズリーが意気投合したのも、この価値観を共有する事が出来たからです。


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「見せてやろうぜ! 俺とお前で究極のファイトを!」


 戦争という身も蓋もない殺し合いと奪い合いの世界では、負けてしまえばそれまでです。しかし競技の世界であれば、勝敗に関わりなく達成できるものがある。互いに全力を出して戦ったという、その戦いの姿勢自体です。

 ラ・グラミス攻略戦に参加している者たちの中で、アセムとゼハートだけがそういう世界を知っています。だから、アセムだけがゼハートに最後に言葉をかける事ができました。「お前がいたからここまでやれた」。それはつまり、二人で繰り広げた戦いが「良いファイトだった」という賛辞だったのでした。


 実は、ルナベース攻略戦の最後、ジラード・スプリガンの散り際にも同じ事が言えます。Xラウンダー能力の暴走によって見境を失くし、その末に惨めに討たれたジラード・スプリガンには、彼女を必死に説得しようとしていたキオですら何の言葉もかける事ができません。ただ一人、死に行くジラードに言葉をかけたのはゼハートでした。


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「フッ、無様な最期……連邦のことも彼のことも……結局、わたしは何もできなかった」

「いや、そんなことはない。お前は自分が信じた正義に殉じて戦い抜いた。わたしはお前のことを戦士として認めている」

「ありがとう……」

 このゼハートの発言の真意も、同じだったのでしょう。『Gガンダム』にならって言えば、ゼハートもジラードにこう言っているのです、「良いファイトだったぞ」と。

 戦争をやっているフリットにとっては、軽薄な遊びにしか見えないかもしれないスポーツとしてのMS戦。歴代ガンダムの中で、一つだけシリアスではないふざけた作品のように見える『Gガンダム』のガンダムファイト

 しかし、「競技としての戦い」を知っているアセムとゼハートだけが、無様に散っていく敗者に言葉をかける事ができる。


 また、ゼハートの文脈で見れば、『ガンダムW』のトレーズ・クシュリナーダも関わらせて考えても良いかも知れません。

 第34話解説の後半で述べたように、ゼハートにはトレーズのオマージュと見られるセリフがありました。なぜ、という事ですが、トレーズ・クシュリナーダの思想もまた、ここで死に行くジラード・スプリガンにゼハートだけがただ一人言葉をかける事が出来た理由に大きなヒントをもたらしてくれるように思えます。

 上記記事で引用したように、トレーズは「私は、人間に必要なものは絶対的な勝利ではなく、戦う姿、その姿勢と考えます」と表明しており、さらにはむしろ敗者こそが戦う姿においてより純粋だとして「私は敗者になりたい」とまで言っています。

 そのように、一人一人が懸命に戦う姿こそが重要だと認識しているからこそ、人が操縦しない無人機、モビルドールの導入に強く反対し、「モビルドールという心なき戦闘兵器の使用を行うロームフェラ財団の築く時代は、後の世に恥ずべき文化となりはしないでしょうか」と主張したりもしたのでした。

 Gガンダム的な「競技としての戦い」とは違う文脈で、トレーズもまた「戦いにおいて勝敗より重要なもの」を規定している人物です。もちろんそれは、現実の戦争においては理想論にすぎません。実際には、特に近代戦においては戦いは「勝利こそすべて」とならざるを得ません。

 しかし、戦いの場に勝敗を超えた価値をあえて見出すからこそ掬えるものがあるとトレーズは一貫して述べています。だからこそ、最終決戦において、ガンダムたちに無残に敗れて死んでいったOZのパイロットたちの名前を挙げながら、決然とこう言う事ができたのでした。


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「だが、君もこれだけは知っていてほしい。彼等は決して無駄死になどしていない」


 このようなトレーズの思想は、ゼハートがジラードにかけた言葉「いや、そんなことはない。お前は自分が信じた正義に殉じて戦い抜いた。わたしはお前のことを戦士として認めている」に通じるものがあります。

 AGEという作品においては、無様に敗れて死んでいく戦士たちを、このような90年代ガンダムインスパイアされた言葉だけが慰め、称える事ができるのです



 まるでシャア・アズナブルのように、赤いMSに乗り仮面をかぶった敵役として登場したゼハート・ガレットは、結局シャアと同じように一時は全軍を率いる総司令の位置に立つ事までしながら、「エデンにたどりつく」という肥大化して正体の掴めなくなった理想と目的に追い立てられ、無残に散ってしまいました。それは、『ガンダムUC』では決して描かれる事の無かった、シャア・アズナブルという人物のネガティブな側面の戯画化であったかも知れません。シャアもまた、「人類すべてをニュータイプにする」という遠大な目標のために性急な方法に走り、生き急いだ人でもあったからです。


 そのようなゼハート・ガレットという人物を、最後に癒したのが上に述べたような賛辞の言葉、慰めの言葉だったとしたら、これはこれでガンダムシリーズの偉大な遺産の一つなのだと思います。歴代ガンダムを並べた時に、『Gガンダム』からの3作は宇宙世紀ガンダムのリアリズムからも離れ、まるで迷走しているかのようにも見えます。しかし、90年代ガンダムが描いた到達点というのも確かにあって、それをこういう形で取り入れる事も出来ると、AGEという作品は示してくれたように思います。

 出撃したゼハートがアセムと戦い、散るまでの劇中シーンは恐ろしく短い。ながら見をしていたらあっという間に終わってしまって拍子抜けする事でしょう。しかしその短い中に、これだけの濃縮された意味が、メッセージが盛り込まれているという事は、改めて強調させていただきたいと思います。


 さて、ついにゼハートが散り、AGEの物語も残り1話となりました。

 ここまで長い長い解説記事を積み重ねてきた上で、AGEという物語の終着点はどのように見えるのか。あともう少しだけ、お付き合いをいただきたいと思います。

 それでは、次回。



※この記事は、MAZ@BLOGさんの「機動戦士ガンダムAGE台詞集」を使用しています。


『機動戦士ガンダムAGE』各話解説目次

モチモンテモチモンテ 2014/06/23 02:51 昔「さらば宇宙戦艦ヤマト」が大ヒットしたときに、手塚治虫さんが「おぞましい思想が現代によみがえる作品だ」だったか、とにかく凄い批判をしたのを思い出しました。
先に妙な例えを出しましたが、つまり「命を投げ出せば叶う」は誤ったやり口だよ、とこの作品はほのめかして表現した。これは私てきにもかなり共感できる気がしますね。

フラムの恋慕の情が、直接描写という形で表現されなかった件ですが、作中通して丁寧に過程を踏んで「もどかしさ」「惚れた者の弱み」という形で、しかも一種のエロティシズムに昇華するほど表現したのを私は大きく評価したい。彼女は立場と恋慕の双方を(踏み越えることなく)自身に内包したことによって、ちゃんとドラマを仕上げきったと思います。

あと、これは非常に細かいことなんですが、フラム機がオブライト機の操縦席を突き刺して「今さらあがいたところで」と言ったところで左側に目が行ってて、ディーヴァの様子がおかしいことに気付くか気づかないか間一髪のところだったように思えるんですよね。

レイラレイラ 2014/06/23 12:22 拝見していて思わず目頭が熱くなりました笑。48話は正直に言うと私にとってはトラウマで、ファンに限らずAGEを一年間通して見てきた方々にとってもあっという間の30分だったかと思います。しかしトレーズの台詞のように、決して彼らは無駄死ではないという見解にはハッとさせられました。

ペン打ゴンペン打ゴン 2014/06/23 18:16 「戦争と競技」から連想したのは「ガンダムビルドファイターズ」第18話でのレナート兄弟とメイジン・カワグチのやり取りですね。
ガンプラバトルを戦争と称し、何重にも仕掛けたトラップでカワグチのケンプファーアメイジングを敗北寸前まで追い詰めたレナート兄弟と、これは戦争ではなくガンプラバトルだと主張して間一髪で勝利したカワグチとの対比が印象的でした。

>本編のPSP版の違い
何度か他の方もコメントで言及していますが、ここに至るまでの内容でPSP版では展開が異なっていました。
この話では本編だとディーヴァの真下に直接バロノークが来ていましたが、PSP版だとダークハウンドが牽引するシャトルに移乗したのちハイパーブーストで離脱。それからバロノークに移っていました。
他に覚えている分では、第1話に当たる内容だとビームダガーでガフランを損傷させたシーンが、スクリューランサーと呼ばれるビーム刃の芝刈り機のような武器でガフランを撃破したものに差し替わり、第9話に当たる内容だとマッドーナファクトリーシップ内部のドックに係留されていたゼダスをフリット達が見上げて驚くものの、本編であったファクトリーシップ内外でゼダスと戦闘するシーンはなくそのままディーヴァに帰還していました。

メディアミックス作品だとこういう違いを比べるのも楽しみです。

スガリスガリ 2014/06/25 16:02 ・ゼハート被害者友の会
これは純粋にゼハートの心労によるものでしょうね
ゲームだとフラムまで一緒になって責めてきて悲惨さが半端じゃありません
多分連邦所属ならこうなる前にメンタルケア受けるよう命令されるでしょう

・フラムとゼハート
お互いあくまで上司と部下という線引きをしつつもフラムの気持ちは理解していたゼハート
ゼハートの意向を尊重して線引きを超えようにしたフラム
お互いが公私混同すべきではないと考えた結果更に心労が増えて潰れてしまったけど、線引きは大事なのでなんとも
命がけでも作戦を見破られて逃げられることもありますよ、と
この辺はフリットなら看破できるし仕方ないところではあります

・レギルスの最後
背水の陣で腹心を犠牲にしても目標には逃げられればこうもなる
そんないい勝負できる状態ではないよねというAGEらしさであり
なんだかんだで歴代ガンダムで一番リアリティあるんじゃないの、という気もします
一般兵士の活躍もそれなりにありますし

へーすんへーすん 2014/06/29 21:57 メディアごとに演出の異なるゼハートの最期ですが、僕はこのTV版が一番気に入っています。
解説にも書かれていますが、これまで組織のことを最優先してきたゼハートが最期に「結婚して子供欲しかった」なんて
超個人的な望みを親友だけに告げて散るのが人間らしくて好きですね。

ゼハートの個人的な希望といえば
MOEで学生ゼハートがダズに間接的に「部活やっていい?」と許可をもとめ、
ダズが全てを察した上で「いいんじゃないですか」と許可するシーンなんかも好きなシーンです。

ペン打ゴンペン打ゴン 2014/07/05 17:41 書き忘れたことがあったので追記を。

他の方のブログを見ると、コロコロコミックで掲載されていた「クライマックスヒーロー」だとシャナルア以外のアビス隊メンバーは健在らしいですね。
僕は同作の第2話(アニメの34話〜39話相当)のみ見ているので確認していないですが…。
ガンダムレギルスには脱出機構(レギルスコア)がありますが、アニメ本編で使われることはなかったですね。小説版とOVAで脱出機構が使われたかどうかは両方とも見ていないので知らないです。

zspherezsphere 2014/07/12 00:25 >モチモンテさん
なんか、日本人の琴線にそういうシチュエーションが響いてしまうところはあるのでしょうね。
しかし、たまにはAGEのシナリオのように突き放して見せるのも
必要なのかなぁ、と思ったりもしております。

フラムについては、本当にもどかしい描写が続くのでやきもきするのですがw
シナリオ的にカタルシスになかなか至らないヤキモキも、AGEのテーマを浮き彫りにする
重要な段取りだったのかな、などと思ったりもします。


>レイラさん
ありがとうございます。作品批評とは、その作品の別な読み方を示す事でもあって、
この48話の解説記事は私なりに、そういう方法でゼハートたちを
鎮魂したかったのかな、などとも思ったりします。
こういう迂遠な方法しか知らないのですが(笑)、少しでも読者の方に伝わったなら望外の喜びです。


>ペン打ゴンさん
今回の解説記事では、メディアミックスによって表現や展開がどう違ったのかの
詳細な解説はほぼ出来なかったので(特にゲーム版には触れてもいないため、
片手落ちと思われた方も多いと思いますが)、
そうした部分は、あえて「後考を待ちたい」と言わせていただきたくw
正直、これだけ長大な解説記事をつらつら書いて来ましたが、
まだAGEのシナリオをすべて掴んだという気は全然しないのです……。

zspherezsphere 2014/07/12 00:31 >スガリさん

あの死者連合の中にフラムまで入ってたら辛すぎますね……w
しかし本当、奇妙なところで徹底的にリアリズムを貫く作品、という感じではあります。
確かにゼハートのコンディション的に、良い勝負ができるはずもなく……。

そして何気に、この回の連邦量産MSの活躍、量産機萌えの私としては純粋に好きだったりもw


>へーすんさん
あの最期の場面で、旧知のアセムがそばにいてくれたのは
ゼハートとしては本当に救いだったろう、とも思えます。
徹底的にリアリズムでキャラクターを追いつめておいて、最後の最後で変に優しいAGEの脚本……w

MOEのダズは本当に良かったですねぇ。あのエプロン姿は素晴らしいw
変なところで人間くさいのが、AGEのキャラクターメイクの好きなところです。

2014-06-03 怒りのスーパーモードはならんと言ったはずだ!

[] 機動戦士ガンダムAGE 第47話「青い星、散りゆく命」 23:38  機動戦士ガンダムAGE 第47話「青い星、散りゆく命」 - カオスの縁 ――無節操日記 を含むブックマーク  機動戦士ガンダムAGE 第47話「青い星、散りゆく命」 - カオスの縁 ――無節操日記 のブックマークコメント



     ▼あらすじ


 ラ・グラミスを巡る最終決戦、造反に近い行動をとるザナルドを詰問するゼハートだが、ザナルドはゼハートの計画を無視して自軍を展開させ、ゼハートをイゼルカントの後継者と認めないと発言する。

 一方、強力なMAグルドリンをなんとか撃退したセリックは、敵ヴェイガン艦内部に擱座。ディーヴァのフォトンブラスター砲の射線内であるため離脱を促すが、セリックは無理と判断しナトーラに決断を迫る。苦渋の決断の末、ナトーラはフォトンブラスターを発射し、ザナルド艦隊の多くを撃破、連邦軍は突破口を開く。

 一方、戦場でディーン・アノンと再会したキオ。ディーンのMSを無力化し一時は和解しかけるが、現れたザナルドによりディーンは撃破されてしまう。怒りのあまりキオは自ら禁じていたFXバーストを発動、あわやザナルドを殺害する寸前で我に返り、呆然とするのだった。




      ▼見どころ


 いよいよストーリーも佳境に入ってきました。この回のサブタイトルは、『Vガンダム』終盤、やはり最終決戦付近につけられた「消える命、咲く命」からのインスピレーションでしょう。『ガンダムSEED Destiny』にも「残る命、散る命」のサブタイトルがあります。この辺りを安直と見る向きもあるでしょうが、過去ガンダム作品の総まくりを根本に据えているAGEらしい部分でもあるように思います。

 とはいえ、その内容はと言うと、極めて苦いものです。特にこの回は、主人公キオの信念と意志の限界を二重三重に突き付ける、かなり重いシナリオになっています。爽快感からは遠いですが、しかしゼロ年代ガンダム、あるいは「不殺」問題への批判という意味ではかなり意欲的な内容を含んでいます。

 というわけで、順を追って解説していきたいと思います。



      ▽キオとゼロ年代ガンダム世代の失敗(2)


 第45話の解説で、80〜90年代ガンダム、つまりアセムの世代が取り組んだテーマと、その限界について述べました。

 簡単におさらいしますと、主人公が「一介の兵士」に過ぎない「リアルな戦争」を描く事で、結果的に戦争を「一介の兵士にはどうしようもない前提」にしてしまったファーストガンダム世代への反省から、『Zガンダム』以降では主人公と敵軍の総大将が直接言葉を交わすといった非リアルな状況を描いてでも、戦争全体、戦争の原因、戦争という現実をどう考えるべきかといった巨視的なパースペクティブを取り入れようとしてきました。

 しかしその結果、人類全体を巡る極めて抽象的な議論に終始する事が多くなり、理屈だけでは割り切れない人間の不合理さや、闘争本能といった個々人の感情的・内面的な要素によって、構築した理想が言ってみれば「机上の空論」になってしまった、という事です。

 一言で言えば、


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「君の歌は好きだったがね、しかし世界は歌のように優しくはない!」

 ……という事なのでした。


 こうした事態というのは、現実の戦争についてもある程度当てはまります。少なくとも冷戦崩壊まで、戦争というのはイデオロギー的な対立の結果、外交や国家間パワーゲームの一環として戦略的に考える物でありましたし、そうであればこそ第28話の解説で書いたように、「戦争はいつ終わりにすれば良いのか?」に対して「そんなの停戦協定を結んだ時に決まってるじゃないか」と言う事ができました。

 しかし冷戦の終結後、特に9.11同時多発テロ後の世界は、必ずしもそうした構図だけで語れるものではありません。

 イスラム原理主義的な組織の対アメリカ攻撃が彼らの口から「ジハード(聖戦)」として語られている事をはじめ、宗教的な感情、あるいは端的な憎悪が駆動する戦争が、21世紀の世界の各所に見られるようになっています。


 その結果でしょう、『ガンダムSEED』シリーズにおいても、また『ガンダム00』セカンドシーズンにおいても、主に戦争を駆動している者というのは、ナチュラル(あるいはコーディネーター)に対する差別意識と憎悪、あるいは非イノベイターに対する差別意識などといった、感情的な動機を強調されるキャラクターばかりが描かれています。

 特に『00』では、少なくともファーストシーズンまでは、AEU、ユニオン、人革連それぞれの代表が、大国のトップらしい打算と戦略を見せていたはずだったのですが、セカンドシーズン開始までの間に、そうした人々はキレイさっぱり登場しなくなっています。

 ティターンズが掲げた「地球至上主義」、ジオン・ズム・ダイクンが掲げた宇宙移民者独立を目指す「ジオニズム」、ノーブリス・オブリージュを掲げるロナ家の「貴族主義」、あるいはザンスカールの掲げる「マリア主義」、そしてサンクキングダムの掲げる「完全平和主義」……。Zガンダムのエゥーゴが説く、地球環境保全のために人が宇宙へ上がるべきだという主張も一種の主義と言うべきものでしょう。80〜90年代ガンダムを彩った様々な「主義」は、ゼロ年代以降のガンダムからは消え去ってしまっています。良くも悪くも、21世紀の世界は「主義」によって収集がつくような時代ではなくなっているのです。


 そのような時代にあって、ガンダム作品の主人公たちはどのような行動原理で活動するのでしょうか。

 たとえば、『ガンダムSEED』序盤において、主人公キラ・ヤマトを含むヘリオポリスの学生たちは、一度はアークエンジェルから降りても良いという許可を得て、他の避難民と共にランチに乗りかけます。しかし、直前の戦闘で父親の死を目にしたフレイ・アルスターは一計を案じ、自らは志願して艦に残ると言い始めます。その結果……


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「フレイの言ってたことは、オレも感じてたことだ。それに、彼女だけ置いていくなんて、できないしさ

「アークエンジェル、人手不足だしな。この後落とされちゃったら、やっぱりなんかやだしよ」

トールが残るんなら、あたしも

みんな残るってのに、俺だけじゃな


 このように言い合って、彼らは戦場に残ることにします。何度見ても戦慄するのは、それが自分自身の生き死にを左右する決断であるにも関わらず、サイを除いて彼らの口からほとんど「軍に志願する意義」についての言葉が出て来ていない事です。サイたちは単に「友達が(あるいは恋人が)残るから自分も残る」というだけなのでした。

 そして、一時は避難民用ランチに乗りかけていたキラ・ヤマトも、結局同じ理由でアークエンジェルに残る事になります。このような形で残った彼らが、後に戦地にて地獄を見る羽目になるのでした。

 あるいは、『SEED Destiny』にて、オーブのユウナ・ロマ・セイランからカガリを奪還したアークエンジェルのキラたちは、その後大西洋連邦に派遣されたオーブ海軍が戦闘に加わる事を止めようと、再三にわたり事態に介入していきます。

 当初、私はこのアークエンジェルの戦闘への介入を、『ガンダムW』の完全平和主義や、あるいは後発の『ガンダム00』の紛争根絶のような、とにかく戦争は良くないという理想の元に戦争行為自体を止めようとしていたのだと理解していましたし、このブログでも過去にはそのような解釈による記事をあげたりしていました。

 しかし今回、この解説記事のために『SEED Destiny』の総集編を改めて通しで見ているうちに、どうも違うという事に気づいたのでした。彼らは、ファーストシーズンのソレスタルビーイングがやっていたように、発生したあらゆる紛争に無作為に介入していたわけではありません。あくまでもカガリ・ユラ・アスハの意向の元に、オーブの戦闘参加を止める目的で戦場に現れていたのです。

 特に、こうした戦闘介入をアスラン・ザラに咎められた際の、キラの発言は極めて象徴的です。

「仕掛けてきているのは地球軍だ。じゃあお前達はミネルバに沈めと言うのか!」「だから戻れと言った。討ちたくないと言いながら、何だお前は!」とアスランに詰め寄られたキラは、こう答えるのです。


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「分かるけど……君の言うことも分かるけど……でもカガリは、今泣いているんだ!」


 現にザフトのミネルバは地球軍に攻撃を受け、やむをえず反撃をしているのにそれを咎められても困るという、一理を認めざるを得ないアスランの言い分に対して、キラは「カガリは今泣いている」という、一人物の感情を持ち出して反論するのです

 これは、「気持ちがどうだろうと、とりあえず迫りくる敵に応戦して生き延びるしかない」というファーストガンダム世代はもちろん、「戦争という大状況を大局でとらえて少しでも理想に近い世界モデルを提示する」80〜90年代ガンダム世代にとっても、言語道断の言い分に見えます。戦争というのは基本的に国家という巨大な体制同士のパワーゲーム、あるいは駆け引きであって、そこに一個人の感情を持ち込んでも話にならない、ということになるからです。

 しかし。国家の利益を最大化するための植民地戦争、そしてイデオロギーの対立によって生じた冷戦、といった20世紀的な戦争と違って、21世紀の「憎悪の戦争」、宗教的感情や急進的な敵対感情・差別感情が駆動する現代の戦争においては、国家間のパワーゲームだけを追っていても戦争の原因を解決する事ができません。それが、前々回の解説記事で述べた「80〜90年代ガンダム世代の失敗」でもありました。であればこそ、SEED Destiny』は全話を通して、オーブ防衛戦で家族をなくしたシン・アスカの憎悪感情を清算し、キラとシンが和解する事でストーリーが終了したのでした(本放送時のラストにはこのシーンはなく、のちにスペシャルエディションなどで追加されたシーンではありますが)。


 これは『ガンダム00』のファーストシーズンからセカンドシーズンへの移行にも顕著に見られる変化です。44話の解説で一度見たように、ファーストシーズンのソレスタルビーイング世界からあらゆる紛争を根絶すべく全方位に戦いを仕掛け、メンバーたちもイオリア計画の推進のために行動していました。アレルヤ・ハプティズムがかつて自分の所属していた超人機関の破壊・同朋の殺害を自ら立案したように、この頃はガンダムマイスターたちは私情を抑えてでも「世界を変える」ために行動しています。

 ところが、既に見たように彼らのこの行動は結局アロウズという新たな抑圧を生んだだけで、「世界の歪み」を根絶する事に失敗してしまいました。

 そこで続くセカンドシーズンではどうなったかというと、


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「今のソレスタルビーイングは、私情で動いているとわたしは推測します」

 とアロウズの士官が言うとおり、なのでした。

 セカンドシーズンのソレスタルビーイングは、アロウズの打倒というシンプルな目標に重点を移しており、たとえば


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 抵抗組織カタロンとも事実上の協力関係を結んでしまったりします。

 ファーストシーズンのソレスタルビーイングであれば、カタロンといえども「戦争を仕掛ける者」であれば攻撃しなければならなかったはずなのですが、セカンドシーズンのかれらはそういった原理では動いていないのです。

 個々のガンダムマイスターにしてもスタンスの変化は顕著で、特にアレルヤなどは完全に「マリーを取り返す」ことが序盤の戦う動機になってしまっており、「私情で動いている」としか言いようがない状態だったりします(笑)。

 刹那もまた、ガンダムに対して怒りをぶつける沙慈と和解し、また沙慈がルイスを取り戻す事にかなりのリソースを割いており、かつてマクロの世界情勢に影響を与えようとしていたソレスタルビーイングが、セカンドシーズンに入ってからは極めてミクロな領域に問題意識を絞っています。アロウズが倒すべき敵として提示されるのも、彼らが分かりやすく、虐殺や横暴といった感情的嫌悪をかきたてる行為をする連中だからです。劇中、そうした「憎むべき非人道的行為をするから」以外に、アロウズを討たねばならない理由というのは説明されません。

 こうした、ファーストシーズンとセカンドシーズンそれぞれにおける、ソレスタルビーイングの行動原理の違いというのは意識的に見ておく必要があります。これはおそらく、単にセカンドシーズンになって物語をまとめきれなくなったとか、テーマ性がブレたとかいった問題ではありません。『SEED』シリーズも含め、ゼロ年代ガンダムの問題意識というのは正に「そこ」にあったのです。普遍的な戦争のメカニズムや、世界のしくみ、平和をもたらすための理想像を求めるよりも、目の前の人物が抱えている私的で感情的な問題をひとつひとつ解決していく、という事です。

 そしてもちろん、こうした姿勢にも、長所と短所があります。


 ゼロ年代ガンダムのこうした問題意識は、90年代にガンダムシリーズに持ち込まれ、『SEED』シリーズで本格的に描かれた「不殺」問題とも密接に関わっています。

 そもそも、「不殺」というテーマを提示した週刊少年ジャンプ連載のコミック作品『るろうに剣心』から、この推移はうっすらと描かれてきました。かつて、時代を開くために、日本国の行方を左右する戊辰戦争に身を投じていた剣心は、そこで挫折した後、「目に映った人を守る」ために逆刃刀で不殺の剣を振るうようになるからです。

 『剣心』作中でも再三描かれているように(そして前回のガンダムAGEでセリックがキオに言い聞かせたように)、戦いの場で相手を殺さないといった制限を科す事は、自ら不利なハンディキャップを負うようなものです。完遂するためには相手よりも高い技量が必要になりますし、そのような戦い方を戦闘員に徹底している軍、といった設定は想像しにくいことです。結局、「不殺」というのは個人的な取り組み、可能な人物が可能な限りの範囲で行う信条に過ぎない、という事になります。


 『るろうに剣心』において、主人公の剣心がもし「不殺」を破れば、再び人斬りに舞い戻ってしまうという制限が強調されていた事から、ガンダムシリーズにおける「不殺」もどこか「破るわけにはいかない決まり」のように理解されていたフシがあるように思いますが、ガンダムシリーズにおいて描かれた「不殺」はそのような絶対のルールではなく、努力目標として描かれていた事には注意すべきです。

 現に、


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「俺はキラ程上手くないと言ったろうが!」

 というように、バルドフェルドはキラたちと共に戦っていますが、敵機を完全に撃墜しています。むろんその事を、キラたちが咎めたりはしません。

 また、「こんな事したら普通に敵兵が死ぬだろう」とよく突っ込まれる


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 こういうシーン。

 そりゃあ軍艦の艦橋をぶった切ればクルーは死ぬに決まっています。とはいえ、MSと違い、内部のクルーを殺傷せずに艦船を無力化する方法など早々あるはずもなく、むしろ艦橋だけを狙って破壊するのは、最も犠牲が少なくて済むやり方かもしれない、とも言えます。

 むしろ、キラたちは「可能な範囲内で」「不殺」を実行しているのであって、「何が何でも絶対殺してはいけない」というドグマにしているわけではない、と理解した方が良いように思います。


 というように見て来た時、SEEDで描かれた「不殺」が、存外現実的な範囲で描かれていると言って良いように思えます。もちろん、キラ・ヤマトという設定的に極めて高い能力を持っている事が前提ではありますが。

 しかし、90年代への反省と21世紀の時代背景から、キャラクターの感情面をメインに押し出して作られた主人公たちの行動原理ですが、これもまた重要な問題点を孕んでいます。AGEのこの回、キオ・アスノの空回りが描いているのは、恐らくはそうした「ゼロ年代ガンダムの反省点」である、と見る事ができます。

 特に強調されているのが、キオの「不殺」に対するスタンスのブレです。


 前回、第46話にて、キオはウェンディに「キオは戦うために戦場に行くんじゃないから」と言われ、「僕は僕なりのやり方で、戦いを終わらせる」と答えています。そしてそのためにガンダムの新しい機能であるFXバーストの使用を拒否します。


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「お前もしかして、FXバーストモードを使いたくないのか?……やっぱりそうそうなんだな。敵とはいえ、ただ見境なくやっつけるのは嫌だってのか? お前死にたいのかよ!? やられないためには、やるしかないんだぞ!?」

 ここで、あくまでもキオを心配してこのように忠告しているウッドピット、というのが個人的に好きなところだったりします。さらに、その少し前、セリックも。


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「敵を救おうとするあの戦い方、やめてもらいたい」

「あんな戦い方をしていれば、おまえ自身が危険なんだ!」

「いいかキオ?お前が守らなきゃいけないのは敵じゃない。自分であり、味方だ。そのためには敵を倒さないといけないんだよ……! 敵だって本気なんだ!」


 このセリフなども、AGEという作品の性格を端的に表していて非常に面白いのですが。つまり、セリックはキオの上官にあたるのですけれども、ここで部隊長として命令するという形ではなく、あくまで「やめてもらいたい」と、キオと対等な立場で説得をしようとしているのでした。コメント欄でも指摘がありましたが、フリット編でエミリーにちゃんと本音を話すグルーデック以来、子どもを「子ども扱い」しないというこの作品の特異性が、こういうシーンにも出ています。

 もちろん、軍人としては、ここは命令してでもやめさせるべき所かもしれませんが……。


 とはいえ、この時点では、キオの「敵を殺さない」戦い方は、本人も周りも、理性的・積極的に採用した「僕なりのやり方」であるとセリフで示されています。

 ところがつぶさに見ていくと、この第47話、戦闘シーンの合間に奇妙なカットが入っている事に気づきます。

 ヴェイガン艦から、新型に乗ったXラウンダー部隊が出撃して来た際、迎撃しようとしたキオの攻撃が、敵機を撃墜しそうになります。その瞬間、Xラウンダーの能力が発動した時のエフェクトと共に


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 怯える敵兵の様子が現れ、


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 それを感知したキオの驚くような表情が入り、


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 同時にAGE-FXのビームサーベルの切っ先が敵機のコクピットを逸れ、危うくその腕だけを斬り落としたのでした。

 このカット、一体なんでしょうか?

 キオの卓越したXラウンダー能力によって不殺な戦い方が実現されている……というだけの描写では、おそらくありません。それなら、(フリットノーラ脱出時、ユリンの力を借りて敵機の動きを察した時の描写のように)敵機の動きだけを予見したように描けば十分です。明らかにキオはこの瞬間、敵兵の怯えを感じた事で反射的に切っ先を変えています。

 筆者が思うに、わざわざこんなカットを入れたのは、キオの「不殺」を実行させているものが単に理性的・倫理的な意志だけなのではなく、敵兵の死や恐怖を感じてしまうXラウンダーの生理的嫌悪や恐怖の影響があるという事を示すため、であるように見えます。


 キオの行おうとしている戦い方は、戦争という現実に対する論理的洞察とか、地球連邦とヴェイガンの関係性への理解とかから演繹的に導き出したものというよりは、彼が個人的に経験し感じた事から導き出されたものでした。火星から帰ってきて以降、キオが口にしていたのは基本的に「もうやめよう」「僕たちは分かり合えるはず」という単純な内容に過ぎません。

 AGE-FXに乗ってからのキオの行動原理が、彼個人の感情に根差していた事は、ディーンに対してセリフからも確認できます。


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「僕は……誰にも死んでほしくないんだ……! みんなに生きていてほしいんだ……僕を嫌っても構わない。僕を憎んでも構わない。それでもディーンに生きていてほしいんだ!!」

 キオの「不殺」の理由として、劇中セリフの中では最もその真情に近いものでしょう。

 もちろん、こうしたキオの感情は、当然の思いですし、この少年らしい優しさの表明でしょう。44話でアセムが「誰もが願いながら口にすることができなかった言葉」と表現した、そんなキオらしさの表れでもあります。


 しかし。AGEのシナリオは、そんな主人公キオの信条=真情であっても、無条件に是とすることをしません。キオの優しさが、裏返しの危険性を抱えている事を冷酷に暴露していきます。

 すなわちこの直後、


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 ディーンの乗るMSがザナルドの手によって破壊され、ディーンが死亡。


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「戦えぬモビルスーツなどごみも同然。それを排除しただけだ」

 ザナルドが平然と言い切るのを聞いたキオは、


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「お前を絶対に許さない!」

 自ら禁じていたFXバーストモードを起動。


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 あわやザナルドを殺害するところでした。

 ここまでの解説を読んだ方なら、このシーンで何が起きたのか、少し整理して見る事ができるのではないかと思います。

 キオの行動原理、戦い方がキオ自身の感情面に深く根ざしているとしたならば、もし一度その「感情」が怒りや憎悪の側に振れてしまえば、簡単に歯止めを失ってしまう、という事なのです。キオのような、初登場以来一貫して心優しい少年であったようなキャラクターでも、感情が負の方向に振りきれてしまう時が来ないとは限りません。


 何が問題なのか。それは、誰を許して誰を許さないかの基準が、感情という不安定な尺度で決まってしまう可能性がある事です。


 『ガンダムSEED』シリーズでは、ムルタ・アズラエル、パトリック・ザラ、ロード・ジブリールなど戦争を主導していた人物たちは結局キラたちが手を下す前にほぼ死亡しており、キラやアスランたちがそうした人物に対して倫理的にどのような対処をするかという答えは宙吊りのままで終了していました。

 最後、ギルバート・デュランダルとは直接対峙し、自らの手で撃とうとするものの


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 それすら、レイ・ザ・バレルが最終的には果たしてしまいます。

 そうでなくとも、デュランダルを討った後で訪れる混迷の時代を君はどうするつもりなのかと問われて、「覚悟はある」としか答えられないキラ・ヤマトには、地球連合とプラントという世界情勢に対して具体的にどうするべきという方策を持ち合わせているわけではないように見えます

 ちょうど、「互いが分かり合えれば戦争なんかしなくても済む」というキオに対して、


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「それはいつだ!? 今日か? 明日か!? 1年後か? 100年後か?」

 とディーンに詰め寄られて答えられなかったのと、符合するかのようでした。


 そして、再び『ガンダム00』セカンドシーズンのラストを思い起こさねばなりません。

 刹那たちが「分かり合える」事を強調しつつ、しかし結局分かり合えなかったリボンズやサーシェスを排除するしかなかった、という話は第43話の解説で述べました。

 そのような結末の後、エピローグ的な部分で以下のような沙慈たちの会話、そして刹那のモノローグが挿入されます。


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世界がどうなるか、それは誰にもわからない。でも、どうにでもなれると思うんだ。過去は変えられなくても、未来は変えられる。僕たちが望む世界へ……!」

「もし、間違ってしまったら?」

「悲しいすれ違いが起きて、戦いになってしまったら、 きっと彼らが立ち上がる。すべての矛盾を抱え込んでも、きっと……!」


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「俺たちはソレスタルビーイング。戦争根絶を目指す者。世界から見放されようとも、俺たちは世界と対峙し続ける。武力を行使してでも、世界の抑止力となって生きる……だから俺たちは、存在し続けなければならない……未来のために!」


 カッコいい事を言っているように見えますが、これ、大問題の発言です

 ファーストシーズンの時のように、その組織の理由も出自も主義も問わず、とにかく戦闘行動をしたものを漏らさず攻撃するというのなら、そこに「正しいか、間違っているか」という倫理的な判断の必要性はありません。

 しかしセカンドシーズン以降のソレスタルビーイングは、そのような組織ではありませんでした。そして、ユニオン、AEU、人革連といった大国が並列していた状況と違い、地球全体の統一政権が成立した状態において、戦闘を鎮圧するという事は「現政権に対するレジスタンス行動を許さない」事と半ば以上同義になる可能性があります。

 実際、沙慈とルイスの会話で、ルイスは「(私たちが)間違ってしまったら……?」と聞いているのに、沙慈は「悲しいすれ違いが起きて戦いになってしまったら」と、露骨に前提条件を変えて話を誘導しています。この会話からは「現政権が間違いを犯してしまっていて、それに反対する側に義がある可能性」が排除されています。

 極端な話をするならば、単純に最終決戦後の世界で起こる/起こった戦闘を「抑止」あるいは「武力を行使」して鎮圧するならば、その行為自体は、実はアロウズがやっていた事と本質的に変わりはありません。それにも関わらず刹那のモノローグが「正しそう」に見えるのは、「現政権に関わっているのがマリナ・イスマイールやカティ・マネキンであること」、彼女たちが比較的良心的に描かれた人物だったことに負っています。アロウズのような間違いを起こさなそうな人物たちだ、という印象くらいしか、刹那たちの今後の行動を支える正当性はありません。

 しかし、これがいかに危ういかは、わざわざ書きたてるまでもないでしょう。政権に関わっているのはマリナ・イスマイールたちだけではありませんし、それに彼女たちもいつその「感情」が負の方向に振れるかも知れません。そのような事が絶対に起こらないと断言できるでしょうか。


 フリットが(そしてアムロが)直面した、とにかく目の前に脅威が迫っているという「状況」ではなく。アセムが(そして80〜90年代ガンダムの主人公たちが)模索した、「あるべき世界像」でもなく。キオとゼロ年代ガンダム主人公たちは、戦争を駆動する感情、また戦争の中で翻弄される感情に向き合い、そこをケアしあるいは克服する事に重点を置いてきました。しかし、ここにもまた限界があったと見るべきでしょう。たとえ確固とした一つの人格の中でさえ、気持ち、感情というのは時々刻々と変わっていくものですし、そのような不安定なものに「正しさ」を保証させる事は困難だからです。少なくとも――単独では。


 もちろん、Z以降のガンダムというのは、戦争を主導する大人たちに対して、しがらみを持たない少年主人公が直観的にその歪みや欺瞞を指摘する、という構図を大なり小なり持っており、そういう意味で「感情」によって行動すること自体がまったく否定されているわけではありません。

 しかし結果として、ディーンの死と、対ザナルド戦は、キオに自身の立脚しているものの脆弱さを強く自覚させました。これもまた、AGEという物語が最終的に終着点を見出すための、重要な通過点だったのです。



 以下は余談になりますが、この「感情」というキーワードは、実は80〜90年代の富野ガンダムにおいて断続的にスポットが当たってもいました。

『Zガンダム』最終決戦にて、次々とメインキャラクターが戦死していくのを敏感に感じたカミーユがたまらず叫びだすシーンがあるのですが。その直後、同じニュータイプとしてカミーユのそうした様子を感じたパプティマス・シロッコが、このように言うのです。


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「生の感情を丸出しで戦うなど、これでは人に品性を求めるなど絶望的だ」


 この、感情を抑制せねばならないという発言は『F91』にもあり、


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「感情を処理できん人類は、ゴミだと教えたはずだがな」


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「ナディア、人が旧来の感情の動物では、地球圏そのものを食いつぶすところまで来ているのだ、なぜそれが分からん」

「人類はかほどに情念を抑えなければならない時代なのだよ」


 このように並べると、「感情を抑制する」というのは憎まれ役の敵キャラが言っている事で、かえって否定される思想のようにも見えます。

 が、後者の「感情が抑制できなければ地球圏そのものを食いつぶしてしまう」という危機感は、この時期の富野ガンダムの通奏低音になっていたようです。『逆襲のシャア』の中で、シャア・アズナブル


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「しかし、このあたたかさを持った人類が、地球さえ破壊するんだ!」

 と言っているのも、同様の問題意識からであると見る事ができ、話はそう簡単ではありません。

 また確かに、カミーユの「感情」をしたり顔で非難していたシロッコは、最終的にはそのカミーユによって撃墜されてしまうのですが。しかし、そのようにニュータイプ能力と感情の爆発によってシロッコを打ち破ったカミーユが、結果的に精神崩壊してしまうわけで、こちらもやはり、話はそう単純ではなさそうです。

 特に、「Zの発動」として有名なシロッコ撃墜シーンは、キオのザナルド撃破とも微妙に重ねられているようにも見えます。FXバースト発動前後に、


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 キオ自身の怒りが奔るような、こんなカットが挟まれますが。

 このカットは、カミーユ・ビダンが「俺の体をみんなに貸すぞ!」のシーンで呼び出された死者たちの中の、


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 この辺りのカットと似ているように思えてなりません。

 そうして見てみると、ザナルドの駆るザムドラーグもシルエットのボリュームがジ・Oと似ており、かなり重ねあわされて描かれていると言えるかもしれません。


 一方、『ガンダムZZ』では、最終決戦の際にカミーユの思念が、


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「その君の勘から発した、君の怒りと苛立ちは、理由になる……!」

 と発言してジュドーを支援していたりするので、やはりこの辺りの解釈判断は一筋縄にはいかないと考えるべきかもしれません。


 その上で、80〜90年代の富野ガンダムが問題意識の一つとして抱えていた「感情」という要素は、翻ってAGEという物語のラストを読み解くのに、今一度重要なカギを与えてくれている、と筆者は見ています。

 この点については、最終話の解説にて、述べていく事にしましょう。



 とりあえずこの第47話についてですが……以前ルナベース戦に合わせて解説した「人は分かり合える」問題、そしてここまで説明してきたゼロ年代ガンダムの感情問題と、キオ・アスノが何に失敗したのかという話をここまで縷々進めてきました。

 そろそろ次の話題へ……と行きたいところなのですが、この回にはもう一つ、看過できない問題が示唆されています。キオ・アスノのもう一つの失敗です。

 つまり――キオはセリック・アビスの戦死という出来事に立ち会えていないのです。



      ▽セリックの戦死を巡って


 ラ・グラミス攻略戦の最中、戦場にゴドム・タイナムの搭乗したMAグルドリンが登場、AGE-FXに襲い掛かります。

 セリックはこのMAの特徴を瞬時に見抜き、キオを下がらせて自身が対応、見事にグルドリンを撃沈するのですが、


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 その爆発の影響でMSのコントロールを失い、ヴェイガン艦内部に機体が擱座してしまいます。

 おりしもディーヴァは不利に傾く戦局に突破口を開くためフォトンブラスターを充填していたところ、発車すればセリックも巻き込んでしまいます。ナトーラは逡巡しますが、セリック自身に説得され、意を決してフォトンブラスターを発射。


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「長い休暇がとれそうだ……」

 ……と、セリックが物語から退場していきます。

 そして、ナトーラやフリットディーヴァのブリッジクルーはもちろん、アビス隊の小隊員たちもセリックの死を見守っているのに、キオだけが(先述の通り)この出来事に気づきすらしていないのでした。結局、直後にディーンと遭遇したキオは、セリックの死について何のコメントもリアクションも行わないままになってしまいます。

 ここにも、キオという少年のウィークポイントが端的に示されています。そもそもキオがセリック戦死の現場から離れたのは、「不殺」の戦い方を巡る意見の相違、そして(恐らくは)そのような戦い方ゆえ、グルドリンに後れをとったキオをディーヴァ直援に送ったセリックの判断のためでした。(補足すると、キオは基本的にCファンネルでヴェイガンMSの頭部を切り離す事で相手を無力化し、「不殺」のまま戦い続けています。そうすると、グルドリンのような形状の敵に対しては対応が大変難しい事になります)

 言ってみれば、グルドリンにとっさに対応できなかった事でキオは現場を離れさせられた、もっと言ってしまえば一時的に戦力外判定されたわけで、その結果セリックの死に立ち会えなかったという事は、ある意味で最後の瞬間に「アビス隊」でいられなかったという事でもあります。

『Zガンダム』では、味方、仲間の死を感じられないという事は、最も強い疎外の表現になっていました。


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「レコアさん、貴女にはカツの声が聞こえなかったの?」

「カツ? カツがどうしたの?」

「死んだわ」

「えっ?」

「ヘンケン艦長も死んだ。貴女は何も感じなかったの?」

「そうか、あの時……」

「みんなは感じたのよ。そしてみんな、あの二人の為に心の中で泣いたわ。でもね、レコアさん。貴女が死んでも誰も泣いてくれないんじゃない? それでいいの?」


 仲間の死を「感じ」られなかったという事は、それだけ心が離れている証拠として語られています。

 またAGE劇中においても、ゼハートなどは主にアセム編で、戦死した部下の事は必ず認識していました。

 このように眺めて来た時、セリックの死という一連の出来事にキオが参加できなかったという事実は、思ったより強い断絶の表現であるという事が分かります。


 これもコメント欄で指摘して下さった方がいましたが、キオは「人は分かり合う事が出来るはずだ」とずっと主張してきているのですけれども、その割に一番近しい人であるフリットや、セリックたちとの意思疎通に少なからず失敗し続けています


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「僕にはじいちゃんがわからない。前はあんなに優しかったのに……今はじいちゃんが考えてることが理解できないんだ」

 こう言っちゃなんですが、「人は分かり合える」と主張していた人物のセリフとは思えません(笑)。しかし第43話解説で縷々述べたように、これが「人は分かり合える」という思想の限界でもあります。

 同様に、同じ部隊に属しているにも関わらず、キオにはセリックたちともあまり親密に話しているシーンがありません。


 一方、皮肉にもそうした現実の人間関係に配慮を見せ、きちんと関係性を構築出来ているのはフリットの方だったりします。ヴェイガン殲滅発言を繰り返してディーヴァクルーからの信用を落としているようですが、セリック戦死シーンでフリットが見せた言動は、それを補って余りあります。

 というのも、ナトーラがフォトンブラスター発射を逡巡している間、連邦軍は明らかに不利な立場に置かれています。敵艦はフォトンブラスター射線上から離れ始め、また刻一刻と味方も追い詰められている状況です。

 そんな中で、フリットはナトーラが決断するのを、


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 無言で見守っているのでした。

 これは単に、「味方には優しい」とかいうレベルの言動ではありません。フォトンブラスターの発射を遅らせるほど味方の損害が大きくなる局面なのです。フリットが本当に、ヴェイガン殲滅と味方の損害だけを気にかけている人物であるならば、ナトーラの決断を待たずに自ら発射の命令を出す事も可能だった筈です。しかし、フリットはそれをしません。

 ここでフリットは、ナトーラの心の整理ができるまでの時間を、無言で見守っているのです。

 そしてフォトンブラスター発射の後には、


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 セリックに向けて敬礼。


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 ディーヴァのブリッジクルーがそれに倣います。

 このような行動が出来るフリット・アスノという人物は、世間で言われているほど「老害」ではないように思えます。


 敵と味方の感情的な融和を目指しつつ、現実の人間関係はうまくいっていないキオ。敵の徹底的な殲滅を掲げる過激な意志の持ち主ながら、現実の人間関係や組織運営においては細やかな配慮で人を率いる事ができるフリット

 セリックの死は、この二人の対照的な立ち位置を明らかにしています。


 そしてAGEという物語の結末をどこへ運ぶかは、この対照的なキオとフリットの対話、そこで互いの長所と短所をどのように折り合わせるかという一点に収斂していくのでした。


 その結末は、いよいよすぐそこまで近づいて来ています。



 ……というわけで、今回の解説はここまでとします。

 他にもこの回は、ついに登場したMAグルドリンの大活躍など、アクション的な見どころも多かったりします。ここまでAGEは、歴代ガンダムのお約束を律義に取り入れて進んできました。大気圏突入イベント、前半と後半の主人公機交替もAGE3からAGE-FXという形でこなしていますが、巨大MAも忘れていなかったという事のようです。

 まぁ、巨大MA大好きな筆者ですが、グルドリンのデザインは「お、おう……」という、リアクションに戸惑う感じがなくもなかったり(笑)。この辺も、ヴェイガンという勢力の設定の元ネタの一つである『クロスボーンガンダム』の木星帝国っぽい、バッドテイストなデザインなのでしょうかね。ガングリジョあたりが近いのでしょうか。


 また、メカの面ではAGE-FXのFXバーストが初お披露目だったのですが、上記の通りキオのシナリオ的な失敗と強く結びついているため、あまり爽快感のあるシーンにはなっていません。見た目も、過去ガンダムシリーズに比してそんなに独創的なエフェクトや演出があったとは言えないわけで、この辺ロボット活劇アクションとしてのAGEにとってはツライ部分でもあります。

 ここまでの解説記事で見て来たように、AGEに登場するガンダムはどれも、過去のガンダム作品へのオマージュによって、ガンダム各世代を通覧するという作品的なテーマに強く結びついています。結果として、AGEという作品を単体で見た時に、この作品の主人公機に固有のカッコいい武装や設定が少なく、たとえば『Gジェネ』や『エクストリームバーサス』のようなガンダム総登場系のゲームに出た場合に、見栄えの点で苦しくなりそうだなという懸念はあったりします。

 まぁそれでも、これを執筆している現在、『エクストリームバーサス』内でAGE1タイタスやAGE2ダブルバレッドはちゃんと活躍しているようなので、とりあえず安心していたりもしますが。


 そんなわけで、長かったAGE解説も残りあと少し。ここで気を抜かないよう、頑張りたいと思います。もうしばらくのお付き合いをお願いいたします。




※この記事は、MAZ@BLOGさんの「機動戦士ガンダムAGE台詞集」を使用しています。


『機動戦士ガンダムAGE』各話解説目次

スガリスガリ 2014/06/06 10:58 ・キオの受難
まあこの程度の苦労はするよね、という展開
徹底的に厳しくいくならザナルドがディーンを殺害した理由を
「ガンダムパイロットと仲良く話してて戦意を失ったなら裏切り者だ!」
とかそれなりに正当性ありそうなものにしちゃってもよかったんですが
それだとキオがブチキレてザナルドを殺そうとするには微妙な感じですかね
責任の所在も色々とアレになりますし

・セリック・アビス死す
割と完璧超人で自分の命を投げ出す覚悟まであって
ちょっと優秀すぎないかという印象
フリットが周辺の味方機が救助できないかと模索するあたり本当に一丸となってて
キオ君がハブられすぎててもうなんとも言えない
ただこの場にキオがいてもフォトンブラスター発射に反対しつつもアビス隊長に諭されるという
役回り艦長とかぶった言動になっちゃうでしょうし
そこで強固に反対しちゃうと本当に空気読めてない感じに…
友好関係で言えば仕方ないところですね、年齢差あるし
フリットも年齢差大きいんですが

ペン打ゴンペン打ゴン 2014/06/13 23:43 >刹那のモノローグ

そういえば公式外伝の『00V戦記』のアリオスガンダム アスカロンのストーリーで実際に反乱活動を抑制する活動が描かれていましたね。
正確にいえばソレスタルビーイング別働隊のフェレシュテが目立たないようにこっそりと、ですが。

モチモンテモチモンテ 2014/06/22 00:24 セリックの散り際にひとつガンダムを感じたという所感をひとつ。
「映画をひとつエピソードに入れ込んでみようか」というのが時としてガンダムには現れてくる、と私は思っているのですが
(ファーストの「自転車泥棒(ヌーベルバーグ)」→「ミハル関連」など。探せば沢山ある筈です)
このセリックのくだりはもろに「戦火の勇気(ハリウッド)」オマージュをびんびんと感じて、本放映時に唸った覚えがあります。
こういう細かいのも含めると、この作品をとりまく想像の宇宙は思った以上に広く深い。

zspherezsphere 2014/06/23 00:37 >スガリさん

ですね。その、「この程度の苦労はするよね」というところを
たとえ主人公に対してであろうと誤魔化さずに描いている辺りに、
AGEという作品の方向性が良くも悪くも表れているよなぁ、と思います。
そこでほんの少々ウソをついてしまえば、もっと爽快感のある話になるんですが。

セリックについては、結局この解説記事ではあまり深い読み込みができないままでした。
その辺は今後誰かが引き受けてくれないかなと淡い期待をしておりますw


>ペン打ゴンさん
00V未読ですお恥ずかしい……00Fは読んだんですが。
ガンダムコミックも最近は数が多くて追い切れませんなぁ。嬉しい悲鳴といえばそうなのですがw


>モチモンテさん
以前も書きましたが、私はガンダムシリーズ以外の作品にはかなり暗いので、
そうした他作品からの引用やオマージュは全然気づかないままだと思います。
AGEがそうしたガンダム以外の作品をどの程度意識していたのかも、
従って私は皆目見当がつけられません。
これも誰か引き受けて論じてくれる人がいればいいなぁと、淡い期待をw

ペン打ゴンペン打ゴン 2017/01/01 00:53 お久しぶりです。
最近「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」を視聴して思ったのですが、主人公の三日月・オーガスは不殺を真っ向から否定するような存在ですね。
敵とみなした相手は少々の例外はあれど抵抗なく殺害するサイコパスじみた人物描写がされています。
彼がキオの言動を見たら「は、何言ってんの?敵は殺すだけでしょ」と何食わぬ顔で言うでしょうね。

2014-05-17 いくつになっても、そういう事に気づかずに、人を傷つけるものさ

[] 機動戦士ガンダムAGE 第46話「宇宙要塞ラ・グラミス」 23:30  機動戦士ガンダムAGE 第46話「宇宙要塞ラ・グラミス」 - カオスの縁 ――無節操日記 を含むブックマーク  機動戦士ガンダムAGE 第46話「宇宙要塞ラ・グラミス」 - カオスの縁 ――無節操日記 のブックマークコメント



     ▼あらすじ


 ついにラ・グラミス攻略戦を開始する連邦軍と、迎え撃つヴェイガン。キオとウェンディ、セリックとナトーラ、ゼハートフラムたちが、それぞれ出撃前最後の会話を交わす。

 そしてついに戦端が開かれる。ヴェイガンはダミーの艦船で連邦を油断させ、ラ・グラミスのディグマゼノン砲を発射、連邦軍に多大な損害を出させる事に成功する。しかしそこで、不満を募らせていたザナルド・ベイハートがゼハートらへ反旗を翻す。

 仲間の復讐に燃えるゴドム・タイナム、そして新兵として出撃するディーン・アノン。戦局は混迷を極め始めていた。




      ▼見どころ


 いよいよ最終決戦開始です。この回は、以降最終話まで目白押しな各種出来事をスムーズに進めるため、状況を準備する段取り回という印象があります。

 とはいえ、ただ淡々と段取りをこなしているわけでもありません。各所に、キャラクターの心情や成長を示すような細かなセリフや演出が見られます。そういう意味で、じっくりと視聴すれば確実に何かしらの発見のある内容です。

 この辺り、パッと見のインパクトが牽引するインターネット時代の作品人気の取り方とはどうしても逆方向なコンセプトになってしまうのですが……。

 ともあれ、この解説記事はいつも通りに、淡々と進めていきたいと思います。今回は歴代ガンダムに対する言及は抑え目で、AGEとしてのストーリーをメインに眺めていくことになると思います。恐らく、次回以降が否応なく盛りだくさんに大量の解説をせざるを得なくなるので、今回は短めに。

 細かな人間模様などは後に回して、とりあえず今まで当記事で追ってきた組織運営の問題などを軽く見ていきましょう。



      ▽何度目かの、組織論のはなし


 これまで何度か、連邦とヴェイガンの組織論の話をしてきましたが、両者を比較するのはこれが最後になると思います。

 特に注意を要するのは、連邦軍の指揮系統の描写です。既に見た通り、



 第44話にて、このラ・グラミス攻略戦における全艦隊の指揮が、フリット・アスノに託された事が描写されていました。

 ところがこの回、連邦軍の各艦艇を激励し、指示を出しているのは


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 アルグレアスです。旗艦アマデウスに乗っているのも彼で、フリットはディグマゼノン砲が発射された後、突破口を開くために突撃するディーヴァの方に乗っているわけでした。恐らくは、このような人物配置の上で、フリットの意向をアルグレアスが全軍に伝える、という態勢を取っていたらしい事が推定されます。しかし、なぜでしょうか。

 これは、劇中の様子を見ていればわかります。


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「フン……ヴェイガン殲滅の舞台が整ったということだなぁ」

 最終決戦を前に、フリットのヴェイガン殲滅発言は最高潮に達しており、その過激な物言いはディーヴァクルーをも辟易させています。もしフリット自身が連邦艦隊全体への指揮を直接飛ばしていたとしたら、このような過激な発言が全軍に広まってしまいます。非武装の一般民まで虐殺すると捉えられかねない発言(というかフリットは事実そのつもりなのですが)が指揮官の口から出たとなると、これは連邦軍全体の混乱、士気の低下を起こす可能性もあります。

 一方で、


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「そうか! 中央の敵艦隊はダミーだ。全部隊に退避を命じろ!」

 フリットは、ヴェイガンがディグマゼノン砲を使用するために用いた戦術を、誰よりも早く見抜いています。この時は、結局味方軍の損害を避けるのにあまり役立ちませんでしたが、このようにフリットの戦局を読む非凡な能力は過去にも度々描かれています。連邦としては、この能力を捨て置くのも損失です。

 だとすれば、最適な方法は、まさにアルグレアスが取ったやり方でしょう。フリットの戦局判断は存分に活かしつつ、全軍への通達は自分がクッションとして間に入る事によって、フリットの発言の過激さを和らげる。

 これが、歴代ガンダム史上でも極めて珍しい、アルグレアスという人物の優秀さの描写です。つまりは――「副官」としての優秀さ。

 過去のガンダム作品においても、単純にパイロットとして、あるいは指揮官として優秀な人物は大量に登場して来ました。が、それらは大抵、個人としての能力が優れているという事であり、そうした人物を補佐したり、フォローしたりという方向で優秀な人物というのはあまり登場した事がありませんでした。筆者が唯一思い浮かべられるのは『逆襲のシャア』のナナイ・ミゲルくらいでしょうか。いずれにせよ、歴代ガンダムにおいても、地味ながら極めて珍しい特徴です。

 これはヴェイガン側においても、キオ編までのフラム・ナラがそのような「有能な副官」として機能していました。しかし、武人気質で成果主義であるヴェイガンという組織の特質に合わせ、彼女は結局はパイロットとなってしまいます。同様にゼハートのサポートについていたレイル・ライトも、この回、MSで出撃しています。

 実は、ルナベース戦においても、このラ・グラミス攻略戦においても、このように副官としてサポートに着くはずだった有能な人物がMSで現場に飛び出してしまった事が遠因となって、ヴェイガンは戦局を不利にしてしまっています。

 ルナベース戦においては、フラムが出撃してしまった事で戦局全体を把握できる者がおらず、


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 ディーヴァからの砲撃をきっかけに陸戦隊の侵入を許してしまっています。

 さらに、


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 ルナベース司令官アローン・シモンズが勝手に逃走する事も阻止できず、またセリック・アビスが持ちかけた降伏勧告に対しても、ゼハート自らが関わることができませんでした。

 今回始まったラ・グラミス攻略戦においても同じことで、もしレイルフラムが母艦で戦局全体を見ていたならば、


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 ザナルドの動きをもっと早く察知できたはずです。

 特に、フラムはかつて、他ならぬザナルドからゼハート監視のために送り込まれた人物なのですから、そうした立場を利用すればザナルド造反の動きを早めに察したり、牽制したりする事も出来たのではないでしょうか。フラム・ナラ、レイル・ライトという優秀な人材が前線に出てしまった事の弊害は、実はかなり大きいように思います。


 このように見て来たとき、「一時は退役していたフリットに艦隊指揮を任せる」という危うい組織体制で、なおかつディグマゼノン砲により大損害を受けるという窮地に陥りながら、連邦軍側が総崩れにならずに作戦を継続できたのは、地味ながら副官に徹しているアルグレアスの功績が大変大きいことが察せられることと思います。

 以上の点について言えば、『ガンダムAGE』が示そうとした事は極めて明瞭だと筆者は思っています。つまり、「アルグレアスのような人物がいなければ、組織はうまく回らない」という事です。AGEは歴代ガンダムの中でも、そのようなメッセージを初めて明確に打ち出した作品だと思うのです。

 富野監督について言えば、彼は組織を描くのが非常に巧みな作者でした。初代ガンダムがそれまでのアニメと別格のリアリズムを生み出す事ができたのは、オスカ、マーカのようなオペレーター、テム・レイやモスク・ハンのような技術士官、タムラさんのような軍艦内で料理を作るコックといった、それまではあまりスポットが当たらなかったけれど、軍隊が軍隊として機能するためには絶対必要だった人々を律義に描いてきたからでした。そういう意味で、富野監督の組織描写は別格に巧みです。しかし一方で、富野監督には、いわゆる官僚的な組織体制に対するかなり根強い反感と疑心があり(『逆襲のシャア』の中で、アムロシャアに言い放ったセリフの中でも「官僚主義」は否定的に使われています)、シャアハマーンをはじめとするヒロイックで強権的な組織体制の華々しさが描かれる一方、地球連邦軍連邦政府のような組織は常に否定的に描かれてきました。

 そのせいか、歴代ガンダムに、アルグレアスのような、組織運営において人を補佐する能力の優秀さが強調された人物というのは、実はほとんどいないのです。しかし現実の組織運営においては、こうした人物も重要でしょう。


 先日も、日本の政府が給与体系に成果主義(成果をどれほど挙げたかによって勤務時間などをフレキシブルに変えられる)を取り入れる事を検討しているというニュースが入りました。しかし、あげた成果によって人を評価する場合、ホームランバッターは有効に評価できますが、送りバントや犠牲フライに職人的な技量を持つバッター(私が子供の頃、応援していた野球チームにそういう選手がいましたw)を評価する事はできません。

 そのように考えて来た時に、アルグレアスのような人物の有能さをきちんと描いておくというAGEの作風は、今の時代にやはり相応の意味を持っていると言えると思うのです。

 私が、アセム編でアルグレアスが初登場した時から、当記事で一貫してアルグレアスに注目を促してきたのも、そうした意味があるからなのでした。


 さらに、この回は連邦とヴェイガンの、別な問題も対照的に浮き上がらせています。

 44話あたりから、イゼルカントの後継者として、あるいはヴェイガン最強のパイロットという触れ込みで登場してくるのが、


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 ゼラ・ギンスという少年です。

 この回、イゼルカントは眠っているそのゼラ・ギンスに語りかけるように、告げます。


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「本来わたしの座は、お前が受け継ぐはずだった……だが、わたしのDNAを受け継ぐお前にわたしの魂まで移すことはできなかった。魂はゼハートが継いだ。お前は最強のパイロットとして、ゼハートともに力を尽くすのだ。よいな、ゼラよ……」

 この、ゼラというキャラクターについても、AGEという作品は十分な時間を割けていません。そのため、このように再三顔見せの機会を設けてもなお、いざ彼がアスノ三世代の前に登場した時には、やはり唐突感が否めない感じになってしまっていましたが……。

 ともあれ、ここで問題なのは、イゼルカントが「DNAの継承」よりも「魂」を問題にしている事です。「魂」というのは抽象的な表現ですが、要するにプロジェクト・エデンなどイゼルカントの思想に共感し、意志を継いでくれる、という程度の意味でしょう。つまり、イゼルカントは遺伝子のつながり(象徴的に言えば血のつながり)よりも、意志や思想を受け入れてくれるというところで後継者を選んだ、と言っているのです。

 これは、実質的に救世主ガンダムの所有権であるAGEデバイスを血縁に従って継承させていったフリット・アスノと明確な対照をなしています。特に、そのようにして後継者に選んだアセム、キオがいずれもフリットの思想であるヴェイガン殲滅に明確に反対の姿勢を示している事が、です。

 その上、連邦軍総司令であるアルグレアスもまた、能力的にはともかく思想的にはフリットの意志を継ぐ人ではなく、なんやかやで結局フリットはあの老齢でありながら連邦軍の指揮を執り続ける事にもなっています。


 どちらが優れているという話ではありません。

 つまりこれは、後継者をどうするかという問題です。フリットのように、血縁に沿って年功序列に後継者を決めていくのは混乱がありません、が、現代において子供が同じ思想や考え方を継いでくれるとは限りません。そこに納得ができなければ、前代がいつまでも後継者に役目を移譲できない、といった問題が出る可能性もあります。

 一方、能力によって、そして思想や意志の面で共感してくれる者を抜擢するならば、上記のような混乱や問題は発生しません。後継者への役目の移譲もスムーズに進むかも知れません。ただしその代わりに、前代が恣意的に後継者を選んだ結果、


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 年功序列の順番で飛ばされた「選ばれなかった」身内の不満が、思わぬ混乱を呼んだりするかも知れません。


 この辺りも、「三世代の物語」とする事で、ガンダムAGEという作品が過去ガンダムにあまり類例のないテーマを取り入れる事が出来た側面であったのだと思います。

 現実にも、たとえば初代ガンダムを生み出した富野由悠季監督や、その同世代で日本のアニメ普及に甚大な功績を残した宮崎駿監督など、いずれも70代となり、時に後継者をどうするのかといった話が界隈を賑わす事もあります。アニメを視聴する層にとっても、後継者問題というのは決して他人事ではなくなりつつあるわけで、AGEの問題意識というのはそうした部分とリンクさせても面白い側面があります。


 そしてもう一つ。以前この解説記事で指摘した事が、あらためて対比として登場してくる事も確認しておきたいと思います。

 この第46話、最終決戦を前に、連邦側はアルグレアスが、ヴェイガン側はゼハートがそれぞれ自軍を鼓舞する演説を行っています。その内容を比較してみると……この記事をここまでお読みの方は、何となく察せられるのではないかと思います。

 まずはアルグレアスの演説から。


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「諸君、我々はついに決戦の時を迎えようとしている。ヴェイガンとの戦いは、今日まで長きにわたり続いてきた。親から子、そしてさらに世代をこえてもなお、我々がヴェイガンに脅かされてきたことは、それぞれが身をもって知るところだ

 だが我々は今、この場所にいる。それは我々がどれほどの傷を負っても、決してあきらめることなく、戦い続けてきたからにほかならない。たどり着いたこの場所で、我々は必ず勝利を収めなければならないのだ!

 ヴェイガンの地球侵略の拠点となっている要塞ラ・グラミスは、かつて我々の総司令部、ビッグリングを壊滅させ、甚大なる被害をもたらした。今こそ我々は、憎きラ・グラミスを攻略し、ヴェイガンの手から地球を守る! そして勝利とともに、この戦争に終止符を打つのだ!

 諸君の健闘を祈る!」


 続いて、ゼハートの演説。


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「ついに決戦の時が来た! この戦いは、我々ヴェイガンが未来へ進むための唯一の道だ! 我々は何があろうと、この道を全力で突き進む! 行く先にある新たな未来、エデンを手に入れるのだ!

 戸惑うことはない。この道は、イゼルカント様が築いてくださった確かなるものだ。勝利は目の前にある! エデンをこの手に!」


 いかがでしょうか。

 アルグレアスの演説が、これまでの戦争の経緯、攻略する対象に関する情報、そして戦いの具体的な目的(地球を守る)を順を追って整然と語っているのに対し、ゼハートの演説にはそうした具体性がありません。「この戦いがヴェイガンが未来へ進むための唯一の道(理由は述べない)」、「この道は確かなものだ(イゼルカントが進めてきたものだから)」というのがゼハートの言っている事です。なぜそのように断言できるのか、という説明を決定的に欠いていることが、アルグレアスの演説と比較すると見えてくるのではないでしょうか。

 そう、第44話の解説でクワトロ・バジーナとラクス・クラインの演説を比較したのと、ほとんど同じ構図になっているのでした。「ポエム化」の問題を、ここでも確認することが出来ます。

 イゼルカントから、極めて抽象化された言葉でしか説明されなかった「プロジェクト・エデン」を、当然の事ながらゼハートも抽象的に語るしかありません。そして具体的で合理的な説明が不可能だからこそ、「これが唯一の道」「戸惑う必要はない」「確実な道だ」といった、強迫的に言い聞かせるような言葉が立て続けにその口から出てきます。


 こうした、様々な側面で連邦とヴェイガンは対照的に描かれていきます。ガンダムAGEという作品の結末は、個々の登場人物が行動した結果であると同時に、こうした組織形態の強い影響によってもたらされた結末でもある、という描かれ方がされているように見えます。そうした視点から物語を再度点検してみるのも、AGEという作品の鑑賞法の一つです。



      ▽“恋人未満”たち


 最終決戦を前にした最後の会話といえば、こうした戦場ドラマにおいて最も重要なシーンの一つです。AGEにおいても、この第46話にそうした会話シーンがあちこちに配されています。具体的には、3組。

 1組目は、ナトーラ・エイナスとセリック・アビスです。


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「帽子を深くかぶっているのは力み過ぎている証拠」

「えっ?」

「きつく締めているのは、自分を律しなければならないという焦りの表れだ」

「……なんでもお見通しなんですね」


「戦場のホームズ」などとも呼ばれているセリックの、ナトーラの心境を些細な服装の乱れから言い当てる場面はこれまでもありました。ここでセリックも言っているように、彼のホームズに比せられるほどの洞察力は、部隊の隊長として、部下の様子を把握するために発達した能力でした。新米艦長であるナトーラにとって、セリックの洞察とアドバイスは大きな心の支えとなっていたらしく、このシーンの最後、


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「君は君らしい艦長になればいい」

「セリックさん……」

 ……と、思わず階級ではなく「さん」付けで呼んでしまったりしています。


 そして、次にキオ。


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「でもねキオ、わたしはキオが行くのを止めない。キオは戦うために戦場に行くんじゃないから」

「僕は僕なりのやり方で、戦いを終わらせる」

「うん……無事に帰ってきてね」

「うん」


 ウェンディ・ハーツという人物は、フリット編におけるエミリー、アセム編におけるロマリーと比べても、さらに圧倒的に出番の少ないヒロインでした。特にキオとの会話シーンも多くはないのですが……ここでウェンディは、キオの意志を汲んで、多くを語らずに送り出しています。

 彼女は、キオがヴェイガンに連れ去られた際にも「キオは必ず帰ってくるもの」「どうしてだかわからないけど、私わかるの」と言っていたり、表面的な関係性が見えないわりに、キオとの精神的なつながりは強いように描かれています。


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 そしてこの二人の会話は、キオの手にウェンディが手を重ねるカットで終わります。


 最後に。


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「わかっています。ゼハート様は、必ずエデンにたどり着きます。私の命に代えても、必ず」

フラム……忘れるな。お前は私にとって、大切な部下だ」


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「部下……それでいい……」


 この場面、呼び止められたフラムの表情など、明らかに「良い雰囲気」なのですが、ゼハートは結局「大切な部下」という以上の踏み込みをしないままなのでした。


 『ガンダムAGE』という作品の特異さの一つに、こういったような、恋愛表現の極端な抑制があります。特に平成に入ってからの地上波放映ガンダム作品が、『SEED』のフレイ・アルスターとか、『00』セカンドシーズン冒頭のスメラギさんなど、割と露骨に性愛表現を用いていた事と比べて、その抑制ぶりは際立っています。

 もちろん、AGEという作品が、これまでに比べて低年齢層視聴者へのガンダムの普及を狙った作品である以上、当然の事ではあるのですが……しかしここで、ナトーラとセリック、ゼハートフラムが「恋人未満」な状態のまま最終決戦を迎えてしまうというのは、AGEという作品の性質を割り引いても、奇妙な抑制があります。

 というのも、たとえばアセム編の最終決戦前には


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 レミ・ルースがオブライトのプロポーズを受諾したりしていますし、またジラード・スプリガンの回想シーンに


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「レイナとなら、昔からの夢をかなえられる気がするんだ。あったかい家庭を持つっていうね」

 なんていう、わりと直接的な発言が出たりもしています。


 こういう戦場を舞台にした物語のセオリーとして、最終決戦前最後の会話というのは一番劇的なタイミングであり、ついついキャラのセリフや行動が甘くなってしまうものです。あの、ハリウッド映画的な演出が大嫌いで是が非でも「ハリウッドがよくやる絵は使わない」富野由悠季監督でさえ、


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 シャアとララァのこういうシーンは描いているわけでした。

 しかし、ナトーラとセリック、フラムとゼハートは、劇中で明らかに関係性の近さが描かれているのに、そこまで踏み切る事ができないまま最終決戦を迎えてしまいます。

 このような展開によって描かれるのは、ナトーラやゼハートの未成熟なのか。あるいは、往々にしてこうした「戦場ドラマのセオリー」を意図的に外してくるのがAGEという脚本の狙いなのか。そこは人によって見方が違うところだと思います。

 ただいずれにせよ、エンタテインメントとして見ればいかにも不発に思える、こうしたシナリオの意図的な消化不良、のどに小骨が刺さったような感じ、というのが、この作品においては過去シリーズなどに対する批評性として認められるかもしれない、と筆者は考えています。

 そのような深読みが、あながち穿ちすぎでもないという事は、ここまで続けてきた解説記事からも察せられるのではないでしょうか。少なくとも、この3組の中で、互いの手を重ねる事ができたキオとウェンディだけが……っと、一応この先の展開のネタバレになるので、これ以上は申しませんが。



 ……といったところで、今回はここまでにしたいと思います。

 この第46話はもう一つ、キオの不殺に対してウッドピットが、セリックが強い言葉で忠告するシーンがあり、その内容も子細に検討してみると面白いのですが、それは次回に譲りたいと思います。

 相変わらずののんびりペースですが、残りわずか、お付き合いください。



※この記事は、MAZ@BLOGさんの「機動戦士ガンダムAGE台詞集」を使用しています。


『機動戦士ガンダムAGE』各話解説目次

スガリスガリ 2014/05/23 04:31 ・セリックさんのお説教
基本的に善良かつ優秀な人間として扱われているセリックさんに言わせることで
「ああこの世界観での正論はこれなんだな」と思わせる感じでしょうか
フリットに言わせると視聴者の受け取り方とか変わりますしね

・演説
これはゼハートの経験不足もあるのかな、と
総司令官になって直後の仕事なので、万全とは言えないものではあるでしょうし
具体的に作戦についてどうこうと言えることではないんですが、士気高揚はできてるんで成功ではある、と

・ザナルド
イゼルカントに対する忠誠心は本物で、裏切るつもりとかないんですよね
そのあたりのカリスマっぷりはヴェイガンの生まれ育った環境を考えればわかるところです

ペン打ゴンペン打ゴン 2014/05/30 00:41 今回の読解と関係ない話題で申し訳ないですが、ガンダムUCのep7が公開されましたね。以前小説版の感想を書かれているのでOVA版もやるのかなと思っています。
劇場へ行きたい気持ちはありますが、僕が住んでいる県では上映していないので来月のソフト発売待ちです。
その前に深夜にこれまでの話がMBSで放映されるのでまずはそれからです。

zspherezsphere 2014/06/04 00:10 >スガリさん

ですね、キオの「不殺」がAGEの世界観において特殊である事を、
ちゃんと視聴者に知らせる脚本になっています。
その辺が、先行するWやSEEDと違うところですね。
この辺りにも、AGEスタッフの行き届いた問題意識を感じます。

確かにゼハートの演説で士気高揚は出来ているのですが、
こうした場で、自身の正当性を具体的な言葉で語れないのってやっぱり歪で、
そこが出来ないとやっぱり一種の「アジ演説」になってしまいそう。

そしてザナルドについてですが、多分自分の直接の部下とかに対しては
すごい気の良い兄貴なんじゃないかなと思います(笑)。
不満を感じつつイゼルカントには逆らわない辺りからも、そういう匂いを感じますねw
良くも悪くも体育会系というか……w


>ペン打ゴンさん
OVA版ですが、4話までは見て、軽く感想も書いています
http://d.hatena.ne.jp/zsphere/20120919/1348035172
これ以降も、AGE解説が終わって、時間が出来たら見てみようかとは思っています。
私が見るとすれば、バンダイチャンネルになりますかね。
このAGE解説でスクリーンショット撮影のために見たのも含め、
バンダイチャンネルに一体いくらお布施を納めたやら……w

2014-04-29 ならば今すぐ、愚民どもすべてに英知を授けて見せろ!

[] 機動戦士ガンダムAGE 第45話「破壊者シド23:38  機動戦士ガンダムAGE 第45話「破壊者シド」 - カオスの縁 ――無節操日記 を含むブックマーク  機動戦士ガンダムAGE 第45話「破壊者シド」 - カオスの縁 ――無節操日記 のブックマークコメント



     ▼あらすじ


 EXA-DBを守る無人MS、シドと交戦状態に入ったゼハートガンダムレギルス。しかし圧倒的な火力に加え、「見えざる傘」によって神出鬼没な動きを繰り返す相手に苦戦を強いられる。そこに現れたのはアセムのダークハウンドだった。

 奇しくも、また互いに協力する形になった二人は、アセムの機転もあってどうにかシドに打ち勝つことに成功。ゼハートはEXA-DBを手に入れようとするが、ビシディアンの砲撃がこれを阻止。EXA-DBが隠されていた小惑星は爆散してしまう。

 しかし、完全に破壊されたかに見えたEXA-DBシドは、密かに生き延びていたのだった。



      ▼見どころ


 全編にわたって、シドとの戦いが描かれる第45話。主人公側はフリットもキオもこの接触を素通りし、駆けつけるのはアセムだけ……ゼハートと合わせ、完全に「アセム世代」のための回という趣きです。

 当然、シドの話からしていかなければなりますまい。というわけで、早速本題から。



      ▽シドが意味するもの


 まず、以前に書いたことの確認からしていきましょう。

 AGEという作品において、ヴェイガンのMSは独特のカメラアイの形状をしており、過去のガンダム作品のMSデザインと離れたものになっています。

 そんな中、宇宙世紀のMSを思い起こさせる、「モノアイ」を使用したマシンがAGEの中で2か所だけ登場します。一つが


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 フリット編に登場した、ザラムとエウバの機体。これらは、銀の杯条約以前の戦争の対立関係を引き継いだ二勢力が、旧戦争の機体で争っているという場面に登場したものでした。

 そしてもう一つが、


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 今回登場した、シドです。

 こちらも言わずもがな、銀の杯条約以前の戦争技術を蓄積したデータベース、EXA-DBから生み出された、旧戦争に由来するマシンです。

 第6話の解説で書いたように、これら「銀の杯条約以前のMS」にのみ、モノアイという宇宙世紀ガンダム=過去のガンダム作品を思わせるデザインが採用されている事は、EXA-DBが「過去のガンダム作品に登場した戦争技術」の象徴であると暗に示すための意図を感じさせます。

 ここまでも、EXA-DB由来の技術としてセリフの中に出て来た技術が過去ガンダム作品を思わせる、という話は第37話解説などで述べましたが、この回シドが使用してゼハートを苦戦させた


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 「見えざる傘」の技術も、


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 『ガンダムSEED』のミラージュコロイドが当然念頭に置かれています。


 さて、ではそのシドはどのような存在かというと、その戦いを見ながらレイル・ライトが解説してくれています。


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「EXA-DBを守護し、自己防衛機能まで備えたあの無人モビルスーツのコードネームだ。EXA-DBの力を利用して、生物のように成長を続けている……まさしく、モンスターだ」


 このように説明されると、やはりとっさに思い浮かべるものがあると思います。

 人型を大きく逸脱したシルエット、自己防衛と成長を続けるマシン、となると……


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「自己進化」「自己再生」「自己増殖」の機能を持つとされるアルティメットガンダム、その成れの果てであるデビルガンダムが、連想されるところです。

 実際、アセムがシドと遭遇した際の様子を描いた外伝コミック作品『追憶のシド』では、シドが自己を修復する様子も描かれており、「自己再生」のイメージがより強調されていたりします。

(あるいは、左右の大型バインダーから次々とビームを放つ姿は、『ガンダムX』のパトゥーリアのイメージもあるかも知れませんが、ここでは「自己再生」「自己増殖」といった要素の強さから、デビルガンダムとの類似と相違を中心に見ていきます)


 とはいえ、シドはデビルガンダムのイメージをそのまま持ち込んだものではありません。これまで縷々見てきたように、AGEは歴代ガンダムから様々なモチーフを取り入れつつも、必ずその意味をストーリーに沿った形に読み替えてきました。

 では、シドとデビルガンダムはどこが共通し、どこが違うのか。……この点をはっきりさせるためには、まず『Gガンダム』作中のデビルガンダムについて、その意味するところを整理しておく必要があります。



 そもそも、デビルガンダムの作中での描かれ方は、あまりにも異様です。巨大ロボがドツキ合いの格闘大会をするという荒唐無稽な作品世界であるが故に、案外見過ごされがちですが、そのような作品世界の中ですら、ことさらに異様です。

 何がって、


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 機械であるにも関わらず、人間に「感染」するとされているところです。

 設定上は、ナノマシンの作用という説明になっていますが、それにしても「デビルガンダムがそのコアに、生体ユニットとして人間を組み入れる事が必要」という辺りは、それまでのガンダム作品のメカまわりの設定からはあまりにかけ離れています。

 機械に過ぎないデビルガンダムの運用に、なぜ人間を取り込ませなければならないのか。このような異様な想像力がどこから現れたのか……と突き詰めていくと、同時期に放映された別番組の事が思い起こされてきます。

 人間・生物と、機械・ロボットとの境界を極端に曖昧なものとして描いた作品。


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『新世紀エヴァンゲリオン』です。

 言わずと知れた90年代アニメ作品のエポックメイキングである本作は、機械と生物の境目が極めて曖昧に描かれていました。主人公が乗り込むロボットにあたるはずのエヴァは、敵である使徒を「食っ」たり、攻撃されると無暗に液体を噴きだしたり、あげくコクピット内で「シンクロ率」の上がり過ぎたパイロットがマシンと融合してしまったりします。

 ……まぁ、実際のところ筆者はエヴァの設定に関してはあまり詳しくないのですが、要するに主人公たちの乗り込むエヴァって半分以上メカではない、という辺りなのかなと把握しています。


 いずれにせよ、「生体ユニットを入れないと運用できない」デビルガンダムと、エヴァの想像力は極めて近い、と言う事ができると思います。

 実のところ、『エヴァ』と『Gガンダム』との関連性は他にもいろいろと見つける事ができます。

 第11話番外編でちらりと書きましたが、基本的にガンダム作品のドラマ作りというのは、現在進行形で襲い掛かる状況にどう対処するかという話が中心で、「過去のトラウマ」にスポットが当たる事は極めて珍しい事でした。

 そうして見ると、それまでのガンダムシリーズに比べて、『Gガンダム』の登場人物たちは異様に「トラウマ」を強調されるシーンが多い。主人公のドモン・カッシュは母親の死、父親の冷凍刑という重い過去を抱えていますし、また第31話では、シャッフル同盟の中でも一番陽気に描かれるアメリカ代表チボデー・クロケットが、


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 幼少時のピエロに関するトラウマに苦しめられます。

 このように、登場人物がそれぞれに過去のトラウマを持ち、そのトラウマによって現在の行動が制約されるという設定は、『エヴァンゲリオン』が強調して描き、その後のアニメシーンに大きな影響を与えた部分です(ちなみに、エヴァ放映当時に発売された多くの関連書のひとつに、庵野監督の対談本『スキゾ・エヴァンゲリオン』『パラノ・エヴァンゲリオン』がありますが、この「スキゾ」「パラノ」はいずれも心理学用語からとられています)。

 熱血な武闘派作品のイメージが強いですが、ドモン・カッシュレイン・ミカムラがいなければ、基本的に人を寄せ付けたがらない「ネクラな主人公」でもあります。


 また、エヴァが「アダム」「使徒」「死海文書」などなど、キリスト教系の用語や世界観を大々的に取り入れていた事も有名ですが、これも『Gガンダム』が「ゴッドガンダム」「デビルガンダム」など、ネーミングに安直なくらいに直接的に「神」「悪魔」といった言葉を使っている事と、符合しています。


 そして重要な事ですが、『エヴァンゲリオン』の放送開始は1995年10月、『Gガンダム』の放送開始は1994年4月。つまり、『Gガンダム』の方が先行しているのです。


 言ってみれば、エヴァンゲリオン的な作品が流行する空気、そういう時代性をいち早く先取りしていた側面が、『Gガンダム』には確実に存在していたのでした。


 ロボットアニメ界隈では、エヴァ以降、その影響を露骨に受けた作品がいくつか作られました。主要人物のトラウマや過去に大きなウエイトがかかり、敵の正体が不明で、黙示録的な謎や世界の危機が設定に含まれる作品群です。筆者はロボットアニメをそんなに熱心に追っているわけではないのであまり詳しく書くとぼろが出そうなところなのですが……『ラーゼフォン』や『ビッグオー』あたりはこの系譜に並べても良さそうに思えます。

 一方、ガンダム作品について見てみると、こうした「エヴァンゲリオンショック」から直接影響を受けたらしい作品は、エヴァ放映からしばらくの間、あまり見られません。大規模な最終戦争、あるいは災害後という世界観という意味で『ガンダムX』や『∀ガンダム』から影響を看取する事はできますが、エヴァが当時のサブカルチャーに与えた影響の大きさから見ると、はるかに少なく見えます。

 思うに、ガンダムシリーズにおいては、『Gガンダム』が免疫の役割を果たしていたのではないか、という見方が可能なのではないでしょうか。


 一見したところ、初代ガンダム以前の熱血スーパーロボットアニメに先祖がえりしたように見える『Gガンダム』ですが、当時の世相や空気、状況に極めて巧妙に合わせた作品作りが随所に見られるという意味で、実はかなり周到な内容だったと筆者は考えています。


 少し回り道をしましたが、デビルガンダムにしても、エヴァを生み出したのと同じ文脈の想像力――サイバネティクス、ナノマシーン、クローン技術などの、生命についての概念を揺るがすような技術の発展――を受けて、あのように設定、描写されたと見る事ができますし、そこには時代の空気に対する敏感なアンテナがあったと見る事ができるはずです。



 さて、以上を念頭に、シドについてです。

 ここまで書いたデビルガンダムについての記述と比較して頂ければお分かりかと思いますが、シドにはこうした、デビルガンダム、DG細胞といった「機械と生命の境界を揺るがす」ような要素は見られません。シドは自律的な無人MSで、自己修復や自己増殖を行いますが、有機物である人間に浸食してくるようなものではないからです。

 従って、シドについてはやはり「デビルガンダムなどのイメージをオマージュとして使いながら、劇中では別の意味を持った存在」であると見るのが良いと思われます。

 では、シドは何を意味していたのか。


 ……これについては、恐らく唯一の正解は存在しないのではないかと思います。劇中においては「EXA-DBの守護者」「(ゼハート言うところの)人類の過ちの象徴」という意味しか持たされていませんし、仮にそれ以上の意味を探るとなれば、解釈する人それぞれに様々な見解が出ておかしくありません。

 もちろん何の意味も無かったと見る事もできますが……それにしては、意味深な設定やキーワードがいかにも気になります。


 筆者としては、この後に論じる内容とも絡めて、シドを軍事産業の暗喩、という風に読んでみても良いのかなと考えています。

 過去の戦争データの蓄積から生まれており、自己増殖し、対立している両軍が求めており、時に戦いの遠因にもなる存在の守護者、という辺りから連想されるものの一つです。

 アメリカをはじめ多くの国で、ちょうど自動車メーカーがニューモデルを互いに展示・アピールするモーターショーがあるように、兵器を作る軍事産業が広いイベントスペースに新型兵器を展示して見せる兵器展示会が行われている事が知られています。

 軍事産業も資本主義経済の中の営利企業ですから、前年よりも今年、今年よりも来年と売り上げを増やして「成長」していかなければなりません。結果として、そうした企業にとってはより売り上げが上がるために軍事的な緊張状態や、戦争状態である事が好ましい、という事になります。

 しかも軍事産業は大きな売り上げ(による国への納税)や、多数の雇用を生み出しており、国にとっても軍事産業が衰退すると国富や経済、財政に大きな影響を来たしますので、軍事作業から国への要望がわりと通りやすくなったりもするわけであり……。

 たとえば(特にブッシュ政権の頃に)アメリカが戦争をやめられない理由の一つとして、こうした軍事産業を介した「戦争中毒」が原因の一つである、といった指摘があったりしたのでした。


 ガンダム作品でいえば、宇宙世紀のアナハイム・エレクトロニクスが真っ先に思い浮かぶところでしょう。エゥーゴを主導して反ティターンズ運動に出資しつつ、ティターンズにも(マラサイなどの)MSを販売、2度のネオ・ジオン抗争では連邦軍の主力MSを引き受けつつネオ・ジオンにもMSを提供していました。

 また近年の作品で言えば、『ガンダムSEED Destiny』の


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 軍需複合体ロゴス、といった設定が、上記のような問題をガンダム世界に取り込もうとした例として挙げられます。

「経済の観点から戦争を望むもの」として、デュランダルの長いセリフによって説明されたロゴスですが、その首魁の一人であるロード・ジブリールの役回りがムルタ・アズラエルと近いところもあり、また後半の展開が基本的にジブリールを単に追い回す展開に終始した結果として、構造としての軍需産業の話はどうも後半立ち消えになってしまった側面があります。

 総じてSEEDには、問題意識として取り入れられたものの中には重要なものがいくつもあるのですが、いずれも未消化だったという印象はあります。

 さて。


 正直なところ、ならばAGEのシドにこうした暗喩を読み込むことが、「正しい」(製作者側が意図していた)かどうかはもちろん、作品の読み替えとして妥当かどうかについても、そんなに自信があるわけではありません。こじつけだ、と思われる方もいらっしゃるでしょうし、筆者もそこは否定しません。

 それでも私がこの話を書いたのは、後述するアセム世代の話につなげるためです。

 先の軍事産業と「戦争中毒」の話のポイントは、A国とB国の仲が悪いとか、利害が対立するとか、外交がこじれた、無法があったといった「個々の国同士の問題」とは別に、国を超えて戦争を駆動する仕組み、戦争を誘導するバイアスが生じているかも知れない、という点でした。

 単にヴェイガンのためではなく、「人類の光となれ」と言われたゼハートは、敵国である連邦の戦力ではないシドを「人類の過ちの象徴」とみなし、これを自力で撃破する事にこだわります。少なくともこの瞬間、ゼハート連邦、ヴェイガンといった枠を忘れ、人類全体を念頭に行動していました。

 そしてそこに駆けつけたのが、アスノ家の中でフリットでもキオでもなく、アセムだったのです。


      ▽アセムと80〜90年代ガンダム世代の失敗


 シドガンダムレギルスの戦闘をキャッチしたディーヴァですが、どう対応しようか迷うナトーラに対して、フリットはすげなく言い放ちます。


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「今はラ・グラミス攻略戦のため、ノートラムへの集結を優先すべきだ。些末(さまつ)なことに構っている暇などない!」


 第35話の解説で触れたように、初期のガンダムシリーズ作品においては「目の前で起こった出来事にどう対処するか」が重要であって、「過去に起こった事の謎解き」というのは近年のガンダム作品でないと主題になりにくい要素でした。そのせいなのか、EXA-DBという巨大な謎・秘密に接触できるチャンスに、ファーストガンダム世代にああるフリットは見向きもしません。

 そしてこのEXA-DBを巡るイベントには、キオも参加しません。『ガンダム00』『ガンダムUC』と、こうした「過去の秘密」がガンダムシリーズで強調されるのはゼロ年代以降が顕著なので、一見、キオがここに参戦しないのは不思議なようですが……私見では、上記2作品に見られる「過去の秘密」がキーになるというシナリオの特徴は、実は「遅れて来たエヴァンゲリオン・ショック」であって、ゼロ年代本来の性格と少しずれているような気がしています。

 実際、『ガンダムSEED』で思わせぶりに描かれた「過去の謎」である宇宙クジラ=エヴィデンス01は、結局本編中で何の伏線回収もされていなかったわけでした。SEEDという物語にとって、結局そうした世界観全体に関わるSF的な謎は、重要ではなかったのです。

 ラプラスの箱、イオリア計画といった「過去に仕組まれた遠大な謎」、そして神や天使といったキリスト教の諸要素、登場人物のトラウマ語り――これらはすべて、90年代を象徴する作品『新世紀エヴァンゲリオン』の特徴のリバイバルです。折しも、小説版『ガンダムUC』の連載開始、『ガンダム00』ファーストシーズン放映開始、そして『エヴァンゲリヲン新劇場版:序』の公開はすべて2007年。軌を一にしているのです。

 恐らく、TV版エヴァの影響を受けた人々が、クリエイターとして企画を主導できるようになったタイミングが重なったのだろうと思います。


 どうあれ、このような具合なのですから、EXA-DBの元へ馳せ参じるのはフリットでもキオでもない――アセムとゼハート、90年代を代表する世代でなければなりません。


 さて、そのアセムですが、シドとは因縁がありました。


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 アセムの駆るAGE-2をあわや撃墜というところまで追い込み、結果アセム失踪の原因となったのが、シドとの戦闘だったのでした。

 一応、外伝コミック『追憶のシド』によるならば、ここで宇宙海賊に属する少年ウィービックとの邂逅があり、またEXA-DBの管理者を名乗る少女レウナ、なども出てくるわけなのですが、例によって尺に余裕のないアニメ本編はその辺を全部割愛。そのせいでシドというマシンがどういう意味を持って本編に登場しているのか、余計分かりにくくなっている面もあります。

 この考察記事は、極力アニメ本編内から得られる情報のみで進めていますので、上記外伝コミックについては深くは触れません。


 むしろ重要なのは、ここでアセムとゼハートが、再び共闘する形になっている事です。

 ゼハートは当初、

「邪魔をするな、アセム! これはわたし自身の戦いだ。イゼルカント様の後継者たる覚悟が問われているのだ!」

 と言っていますが、見えざる傘によって捕捉することもままならないシドを前に、結果的に協力してこれを撃破する事になります。


 かつて、アセム編最終局面で二人がダウネス破壊のため協力したのは、ヴェイガンにとっても、連邦にとっても大切な場所である地球を、ダウネス落下による甚大な被害から守るためでした。

 そして今回のシド戦。ゼハートはEXA-DBをヴェイガンの戦力強化に使おうとしているという意味では、ヴェイガンのために行動しているとも言えます。しかしこの前後、


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「イゼルカント様は、ただ人類の未来だけを思って、戦い続けてこられた……!」

「私は! 必ず人類を、エデンへと導いてみせるぅっ!!」


 シドは自分自身が倒さねばならないと言うゼハートは、このように言ってもいます。

 前回、イゼルカントが単にヴェイガンの地球侵略を目論んでいたのではなく、連邦ヴェイガン問わず新しい人類を生み出すために戦っていた事をゼハートに告げました。その意志を継ごうとしているゼハートも、少なくともこのシドとの戦いにあっては、「ヴェイガン」ではなく「人類」を導くという意志の試金石として戦っています。

 また一方、宇宙海賊ビシディアンを率いるアセムもまた、(少なくとも建前上は)連邦の味方でもヴェイガンの味方でもなく、両者の力を均衡させるために行動する第三勢力です。


 言わば、この二人が再び共闘することが出来たのは、互いに「ヴェイガンのため」でも「連邦のため」でもなく、「人類のため」に行動しようとしていた者同士だったから、でした。EXA-DBをどのように使うかという意図は違えど、それが人類全体を左右する存在であるという認識を、二人は共有しています。



 ここに、80〜90年代ガンダムの問題意識が表れているわけです。

 前回の記事で書いた通り、戦場のミリタリー的なリアリズムを一兵士の視点から描いた作品は、そうであるが故に戦争という巨大な営みの全体を問う事ができない、という欠点を持っていました。

 『Zガンダム』以降の作品は、その点を超えてより長射程の問題意識を描くべく、時にあえて「リアル」である事を捨ててでも、テーマに踏み込んでいきました。戦争を主導する者と主人公を会話させ、あるいはヒロインの家族を戦争の主導者として描くなどして、「戦争の全体像」が主題として浮上して来たのです。

 結果として、Z以降のガンダム作品のこうした側面は、ガンダムシリーズをエンタテインメント映像作品全般の中で、特異な位置に置いたという事が出来ます。

 実写の有名な戦争映画、たとえば『私は貝になりたい』とか、あるいは毎年8月15日前後に放映される戦時中を舞台にした実写ドラマなどを思い返していただければ分かるかと思いますが――こうした作品の基本構造は、一兵卒や一人の庶民、つまり「一個人がひどい目にあった」事を描いて、それゆえに「戦争は良くない」という論法しか基本的に用いていません。

 しかし、「じゃあ他国から攻め込まれたらどうするのか」といった単純な問いをはじめ、外交、資源、時代背景その他、戦争を問うために議論の俎上にあげるべき事は多いはずで、結局大半の「反戦映画」の類いは、前述の「ファーストガンダム世代の失敗」と同じ状況に陥っているようなものです。

 一個人の視点と戦争を主導する指導者の視点、国家全体の経営や外交といった巨視的な視点など、戦争のミクロとマクロをそれなりに多極的に描こうとしたエンタメ映像作品というのは、日本ではせいぜいNHKの大河ドラマと、ガンダム(をはじめとする一部のアニメ作品)くらいだと言う事も出来てしまうのでした。


 そして、ガンダムがそうしたマクロな戦争という視点を描いていく中で、さらに視野が広がっていく事にもなりました。敵と味方という枠を超えて、さらに巨視的に人類全体が直面する問題や状況もまた、Z以降の作品には取り入れられていきます。

 特に宇宙世紀作品で分かりやすいのは、たとえばこうした問題でしょう。


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「お前が見せてくれたように人類全てがニュータイプになれるものか! その前に人類は地球を食いつくすよ!」


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「持てる能力を、調和と協調に使えば、地球だって救えたのに!」


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世界は、人間のエゴ全部は飲み込めやしない!」

「人間の知恵はそんなもんだって乗り越えられる!」


 これらのセリフから分かるのは、ジュドーハマーンアムロシャアなど、互いに異なる陣営に属した敵同士であり、抱える信念も違うにも関わらず、「地球環境がもたなくなりつつある」というエコロジー問題についての懸念は共有している、という事です。

 『ガンダムZZ』にせよ『逆襲のシャア』にせよ、そのストーリーは、地球環境問題への危機感を共有した上で、その解決法をめぐる過激派と穏健派の争い、でもあるのです。


 つまり、言ってみればZ以降のガンダムシリーズにおいては、敵も味方も、所属する陣営の勝ち負けを超えて「人類全体の問題」を考え行動する、という意識がはるかに強く描かれていたのでした。これは、『ガンダムF91』や『Vガンダム』にも継承されていく特徴です。



 そして、90年代。富野監督以外の手になるガンダム作品に至って、「人類全体の問題」というのが必ずしもエコロジーばかりではなくなります。端的に言えば、戦争と平和の問題がよりクローズアップされていきました。自分が所属する陣営がいかに勝つか、ではなく、人類が最終的に戦争を克服するにはどうしたらよいか、という問題です。


 『Gガンダム』においては、各国が代表選手を出場させて、武術大会の勝敗によって代理戦争を行うという世界観の元に物語が展開しました。もちろん、「ガンダムでプロレスをやれ」という富野監督の注文から敷衍された設定ではありますが、結果として既存の戦争イメージそのものを変えてみるという思考実験になっています。

 そして『ガンダムW』。ヒロインであるリリーナ・ピースクラフトが中盤に至って、かつて滅びた国サンクキングダムの「完全平和主義」を復興、紆余曲折の末、OVA『エンドレスワルツ』の最後にて、


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「アフターコロニー197年、人々のもとに平和は戻った。そして、その後の歴史の中で、ガンダムを含むMSという兵器の存在は、二度とその姿を現す事はなかった」

 本当に世界が「完全平和」な状態になり、MSがまったく使用されない時代が到来してしまうのでした。

 第34話解説の後半で書いた、主人公の属するチームが「第三勢力」化していくというのも、こうした傾向と歩調を合わせています。そこで触れたように、ヒイロ・ユィたちガンダムパイロットたちは当初はコロニーから派遣された戦力だったのですが、やがてコロニー側がホワイトファングと名乗って地球と争い始めるにおよび、そのどちらにも味方せずに第三勢力化、結果としてリリーナの唱える完全平和の成立に一役買う事になります。

 また、最終局面において、ホワイトファングの指揮を執るミリアルド・ピースクラフトも、また地球圏側の勢力をまとめて代表の座に就いたトレーズ・クシュリナーダも、いずれもゆくゆくは世界が完全平和へ至る事を了解している事が匂わされており、だからこそトレーズは自分と最も近いストイックな戦士である五飛の手にかかって討ち死にする事を選んだのでした。


 とはいえ。そりゃあ、争っている双方の代表が内心で完全平和に理解を示しているなら、最終的に世の中が平和になったという結末にもなろうものですが、現実に戦争を指揮する指導者がそのようなビジョンを共有する事があり得るのかどうか。元よりファーストガンダム的なリアリズムからは距離をとっているとはいえ、こうした未来像が現実に対する批評としてどれほど効果的だったのかは、疑問が残ります。


 こうした、90年代ガンダムの可能性と限界を極めて批評的に描き出した作品として、『ガンダム00』のファーストシーズンは特筆に値する内容を持っています。おそらくですが、この作品のファーストシーズンは90年代ガンダムの目指したものをかなり圧縮、先鋭化して描き出しており、一方セカンドシーズンでは同じガンダムマイスターたちがゼロ年代ガンダム的な問題意識・行動原理で活躍するようになっている、という構造になっていると読むことができます。

 つまり、『ガンダム00』のファーストシーズンからセカンドシーズンへの移行は、そのまま90年代ガンダムの挫折のありかを浮かび上がらせている、極めて批評的な内容になっているのではないか、と筆者は見ています。



 ファーストシーズン時点でのソレスタルビーイングの目的は、あらゆる戦争、紛争の根絶です。そしてそのために、ユニオン、AEU、人革連のほか、それらに反抗する小規模武装勢力などあらゆる軍事行動に対して攻撃を仕掛けます。

 彼らが行っているのは、諸氏百家の墨家のような(あるいは宇宙海賊ビシディアンのような)強者を叩いて弱者に加勢するといった性格のものでもありません。第4話「対外折衝」にて、


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 相対的に弱小国であろうと先に戦闘行動をとった方を「戦争幇助国」と断定して攻撃しています。

 要するにその意図は、「どんな陣営、どんな理由であっても戦争行動する奴は許さん、武力介入の対象にする」という、全方位を敵に回す行動なのでした。つまり彼らは、特定の「戦争の原因になっている国や人物」ではなく、あらゆる場所で起こる戦争一般を、つまり人類が起こす戦争すべてをターゲットに行動している事になります。


 シーズンの後半、ソレスタルビーイングのこの時点での意図が明確にされます。太陽炉という強大なエネルギー源により、破格の性能を誇るガンダムを用いて世界中の大国・小国の軍事行動を叩くことで、自らがそれら国家の「共通の敵」となり、今まで分裂していた国家同士を一つにまとめ上げる、という構想だったのでした。

 そして事実、ファーストシーズンのソレスタルビーイングがきっかけとなって、ユニオン、AEU、人革連などが「地球連邦」にまとまる事になるのですから、(驚くべきことに)彼らの目論見は見事成功したのです。


 しかし、その結果どうなったかといえば……連邦軍内部に「アロウズ」という専制的な軍組織が現れ、連邦の意向や利権に反する者たちを非人道的な方法で潰して回る、という世界が現出。その横暴を目にした5年後の刹那は、


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「変わってない……あの頃から、何も……!」

 と述懐します。

 大国のパワーゲーム、貧困国の噴き上がり、テロリズムなど様々な「戦争を生む原理」に戦いを挑み、その目論見を成功させたにも関わらず、結局世界は武力を捨てはしなかった……という結末を、この作品はファーストシーズンに対するアンサーとして用意して見せたという事になります。

 これはおそらく、80〜90年代ガンダムの限界をかなり正確に掴んで表現したシナリオだったのだろうと思えます。


 「完全平和主義」といった極端な用語を始め、この時期のガンダムは所属する陣営の枠を超えて、広く人類全体の問題にまで考えを及ぼす視野を手に入れたのですが、一方で世界全体を俎上にあげたために、極めて抽象的に、非常に大雑把な枠組みでの話に終始せざるを得ないという短所にもつながってしまった、という事が出来ます。

 しかし、人類や世界についての大きな理念を描き出したとしても、国も組織も結局は、不合理で予測不能な個人個人の集まりです。どんな原理原則にも例外は発生するものですし、どだい一定規模の人間が集まってまったくいさかいや争いが起きないなどという事はあり得ません。ソレスタルビーイングは三つの大国が覇権を争う世界を克服する事はできましたが、それは結局、別な覇権を持った者を生み出して同じことを繰り返させただけ、だったと描いた事になります。


 言ってみれば、この『ガンダム00』ファーストシーズン終盤からの展開は、世界が本当に平和になってしまった『ガンダムW』に対する批判でもあったのでした。そしてこの批判に応ずるかのように、


ガンダムW』でも原作者による続編小説『フローズンティアドロップ』が近年開始され、再びあの世界観で戦いが描かれる事になります(エンドレスワルツのラストで「ガンダムを含むMS」は二度と現れなかったと説明されているので、この小説作品でヒイロたちが乗る機体には「ガンダム」の名前がついていませんしMSとも呼ばれませんw)。


 こうした批判は、形を変えて『∀ガンダム』にも匂わされています。同作品の後半になって、頻繁に「闘争本能」という言葉がキーワードとして登場するのです。


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「地球帰還作戦が始まってから、心穏やかであったムーンレィスに闘争本能が芽生えて、古代の人類に戻ってしまったのだ」

 つまり、∀ガンダム作中で起こったミリシャとムーンレィスの小競り合い、武力衝突の発生の一端は、巨視的な国家間の利害や、抽象的な哲学や世界の原理などではなく、人間個々人の本能に帰せられているのです。ディアナ・ソレルのように和平を望んでいる者が主導者であっても、それだけで戦いを失くせるわけではない、というのが『∀ガンダム』という作品の基本路線です。

 マクロな問題を追っているだけでは、戦争という人類史上の大問題は解決できない、という事なのでした。


 AGEにおいて、確かにアセムとゼハートは所属する陣営をこえて、シドに対して共闘を挑むことができました。前節で述べたようにシドを「肥大化する軍事産業」といった国家の枠を超えた「戦争を誘発する原理」の象徴と見る事が許されるならば、アセムたちが人類レベルの問題意識を共有し、そのために己の立場を超えて協力する事ができたのだ、と見る事ができます。

 しかし、アセムの機転と、ゼハートによるガンダムレギルスの覚醒によってシドを一時は撃破する事に成功するものの、


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 シドも、EXA-DBも、結局生き延びてしまうのでした。

 まるで『ガンダム00』ファーストシーズンのガンダムマイスターたちが、「世界の歪み」を根絶する事に失敗してしまったかのように、です。


 このような80〜90年代ガンダムの反省から、ゼロ年代ガンダムが展開されます。それがどのようなものだったのか……という話は、おそらく47話の解説で詳しく述べる事になると思います。キオ・アスノが、やはりその希望と限界を再演してくれるはずです。

 また、80〜90年代ガンダムからゼロ年代ガンダムへと移る中で何が変わったのか、どのように問題意識が推移していったのかについては、『ガンダム00』のファーストシーズンからセカンドシーズンへの移り変わりを観察する事で見えてくることと思います。

 これについても、47話解説にて詳しく述べる事にします。


 というわけで、今回はここまで。

 この回は、シドとゼハート、アセムの戦闘のみに見所が集中している、AGE全体でも珍しい回なので解説内容もシンプルになりました。とはいえ、今回あまり強調出来なかった意外な見どころもありまして……「見えざる傘」によって出没を繰り返すシドに対して、アセムは咄嗟にワイヤーアンカーによる追尾を行いますが。


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「ゼハート、相手はこのワイヤーの先だ! そこに攻撃を集中させろ!」

「ワイヤーだと? ……そうか!」


 この直後、ゼハートの攻撃によりシドは撃破されるのですが。問題はこの、「ワイヤーだと?」と訝ってから、アセムの意図に気づくまでのゼハートの「間」です。

 ここで、ガンダムレギルスを乗りこなしXラウンダー能力を最大限に引き出しつつあるゼハートですら、一瞬アセムの意図を察するのに時間がかかったという事。それは、アセムの機転がゼハートのXラウンダー能力による推察を上回ったという事です。

 つまりこの「間」こそ、非XラウンダーでありながらXラウンダー以上の能力を発揮する「スーパーパイロット」の面目躍如の瞬間なのでした。


 こういった、つぶさに見ている人なら気づくテクニカルな見どころが多いのがAGEです。おそらくこの解説記事でも見逃しているところは沢山あるのだろうと思います。

 まぁ、気づいた限りの事は書き綴って行こうと思います。


 さて、次回はいよいよ、最終決戦が開始されます。この長い物語もついにクライマックスへ進んでいく――という事で、当記事も今一度、気合を入れ直して臨みたいと思います。

 引き続き、よろしければお付き合いください。




※この記事は、MAZ@BLOGさんの「機動戦士ガンダムAGE台詞集」を使用しています。


『機動戦士ガンダムAGE』各話解説目次

モチモンテモチモンテ 2014/04/30 00:31 ゼハートの「間」などに垣間見える、機転・思考と超能力を完全な別物に見るという冷徹な見方は、独特なものであるともいえるかもしれないですね。
NTにあらざるは人にあらず、的なパラダイムがいかに強固であったか、(ウィンキーソフトが手掛けたスーパーロボット対戦が顕著ですが)テレビゲームでもよく見ました見ました(笑)

ペン打ゴンペン打ゴン 2014/04/30 06:10 アセムの回想で描かれた『追憶のシド』とリンクするシドとの交戦シーンでウィービックの姿はなくても、せめて彼が乗ったGサイフォスはちょっとだけでも見たかったというのが正直なところです。
放映終了後にプラモでGサイフォスが製品化されたのは嬉しかったですね。同梱されている解説書にウィービックの設定画が掲載されていればもっと嬉しかったのですが…。

PSP版では「破壊者シド」にあたる内容はばっさりカットされていたので、ラ・グラミス戦でシドと交戦したときは少々の違和感と驚きを感じていました。

ペン打ゴンペン打ゴン 2014/05/01 22:57 Gガンダムについて書き忘れていました。今年は放映からちょうど20年なので、ガンダムトライエイジの最新弾でもGガンダム特集をやっています。
当時リアルタイムで視聴していましたが、今回の解説でも触れられている通りすぐに思い浮かぶのは登場キャラの無茶苦茶さと絶叫ぶりでした。
以前バンタイチャンネルで第1話を見ましたが、当時は眼中になかったガンダムファイトの周辺事情に意識が向きました。
ガンダムシリーズの異端児であるGガンダムですが、僕は今でも好きですね。

スガリスガリ 2014/05/08 17:32 ・ふてくされるキオ
「やだよ爺ちゃん話聞いてくれないよ爺ちゃんは駄目だよ」
とか言っちゃうのはなんというか…ですね
わかりあえる話し合おう言いつつ自分の都合優先してるあたり子供だなあ、と
年相応ってことでいいんでしょうけれど

・ワイヤー…?
ここで阿吽の呼吸をさせないのが日野さんのスタンスなんだよなあ
エンタメ的には息の合ったコンビプレイさせるところを外す
キャラの立ち位置やら話の流れ考えるとこっちはこっちで正しいとは思いますが
リアルタイム視聴時には評価落とした一因ではないかと

・突入後に艦砲射撃させる
指揮官としてゼハートは負けちゃった感じですねぇ
パイロットとしてもシドとの戦いにおける発想で見劣りしちゃった感じ
ストライダーモードを上回る直進性能を誇るレギルスのスペックとかイゼルカントを上回る覚醒とか見せ場もあるんですが
やっぱ経験重要よね、という話になりますね
経験つんでれば身内のごたごたを避けることも可能だったのだと思いますし

zspherezsphere 2014/05/18 00:01 >モチモンテさん
ゲームなどにおけるNT描写って、かなり強調されているので
「オールドタイプじゃ太刀打ちできんだろ、なんでヤザンは強いんだ」みたいな話になりますが、
その点AGEの描写はやはりどこか、そういう超能力に対して
醒めている感じはありますね。


>ペン打ゴンさん

確かに、ちらりとでも映して欲しかったというのはありますね。
せっかくメディアミックスしているんですから……w
まぁ、逆に他メディアのストーリーを読んでないと話の脈絡が分からない
『ガンダムSEED』みたいなの(『アストレイ』を読まないとキラが生還した理由が不明)も
それはそれで困りますから、さじ加減の難しい話ではありますw
あと、私もGガンダムは好きです。
「あえて」破天荒な事をやってるから、面白いっていうのはやっぱりありますね。


>スガリさん
そうなんです。「人は分かり合える」と言いながら、キオは
一番身近な人であるフリットと分かり合う事が出来ていないのです。
その辺のアンバランスがより浮き彫りになるのが47話で、
私も少し筆を割く予定です。

徹底的に、エンタメ的には「ハズレ」の事をやり続けているんですよね。
むしろ普通に作ってれば、もう少し盛り上がる展開の方を選びそうなもので、
やはり何か意識的にそういう表現をしているフシがあるように思えます。
ま、そのお蔭で視聴者の評価が下がり、商業的にも厳しくなった事までを
私も擁護する気はありませんが……。
再三書いているように、私が綴っているのは
「そうまでして、何が描きたかったのか」という事なので。