小欲知足 その日は、娘の入社式。親も同伴だった。 朝、僕はクローゼットから古びたネクタイを取り出した。ネクタイは、それしか考えられなかった。 妻が亡くなる半年ほど前のこと。 「しんちゃん、ネクタイぐらいは良いものをつけないとね」 それまで、高級ブランド品には全く興味を示さなかった妻が、驚くほど高額なネクタイを僕にプレゼントしてくれた。そんな妻を見たのは初めてだった。 妻は「小欲知足」な生き方を信念としていた。身につけるものにお金をかけることはなかった。服装はいつも、簡素だった。 「もっと、おしゃれしなよ。服、買ってあげようか」 僕が提案すると、彼女はこう答えた。 「そんな贅沢しなくていいよ。T…