奥州合戦(おうしゅうかっせん)
1189年、東北地方にて鎌倉政権と奥州藤原氏の間で行われた一連の戦いの総称。治承・寿永の乱の最後の戦いであり、古代から中世への転換点となった歴史的な戦い。源頼朝は、平氏を滅ぼした後も従わず、かつ不仲になった義経をかくまったと理由で、奥州に兵を進め藤原氏を滅ぼした。これで全国平定を完了、後に武士政権を確立する。奥州征伐とも呼ばれる。
cgon.hatenablog.com 上のブログの続きになります。 とりあえず前回の要約です。 現在の盛岡市から奥州市あたり (奥六郡) を治めていたのが安倍氏という豪族 安倍貞任 (一族の棟梁) の居城「厨川柵 (くりやがわのさく) 」は現在の盛岡にあった 朝廷は安倍氏の勢力拡大を警戒 源頼義・義家という親子 (宮城・多賀城在住の武士で役人) & 清原氏 (秋田の豪族) を使って安倍氏を倒す【前九年合戦】 清原氏の勢力が拡大し、内部抗争が起こる【後三年合戦】 両親の影響で安倍氏→清原氏の一族を点々としてきた藤原清衡が実権を握る【平泉誕生】 源頼朝が平泉を滅ぼす【奥州合戦】 前回は主に安倍氏…