中国明朝出身の渡来人。明朝では要職に就いていたが、讒言に遭って出奔し、家族とともに日本の肥前国に渡航。弟や息子たちは九州や周防各地に分住していった。子の一人である陳覚明は、豊後府内に移住して仏像の制作を担う仏師として活動。覚明の孫の元明は、仏師として天正末年の京都方広寺大仏造立にも関わっている。 日本への渡航 陳一族の分住 参考文献 日本への渡航 陳李長の曾孫である陳元明の末裔に、「陳氏系図」が伝わっている。そこから陳李長の来日の経緯と陳氏一族の日本への定着過程をうかがうことができる。 なお陳氏の系図は李長の4代前の陳安頂から記述が具体的になり、安頂以降については比較的信憑性が高いと考えられて…