現在も営業されている京都の花街の1つである嶋原の置屋兼お茶屋である。京都府京都市下京区西新屋敷中之町にある。元禄元年(1688年)創業。
角屋がお客をもてなす揚屋(お茶屋)に対して、輪違屋はそこに芸舞妓や太夫を派遣する置屋だが、角屋が営業を終えた現在は輪違屋がお茶屋兼置屋として営業を続けている。但し芸舞妓は居ず、太夫だけである。 有名な輪違屋の家紋 , 特徴的な軒瓦 一般公開はしていないいわゆる一見さんお断りだが、だいぶん以前に一度だけ訪れたことがあった。 豪華な傘の間や近藤勇の書を辛うじて記憶している。 輪違屋のすぐ北側にはかつて歌舞練場があったが、今では福祉施設が建っている。
記事内に商品プロモーションを含む場合があります 2023年「第48回 京の夏の旅」での【新選組結成160年特別公開】の記録です。 前回は【旧前川邸土蔵】、そして【壬生寺本堂と壬生塚の土方歳三像】をUPいたしましたが、今回は【輪違屋】です! 「輪違屋」と聞いて興奮を覚えてしまうあなた!お好きですねえ~~笑 どうぞご興味のある方は、お付き合いくださいませ(^^) 【新選組結成160年特別公開】として、2023年夏、島原では「角屋」そして「輪違屋」が5年ぶりに特別公開しました! 無論、私も幕末巡りで何度か訪れてはいましたが・・・内部を見学するのは今回が初めてです! いつも外観を見学しながら妄想を膨ら…
輪違屋糸里 上 (文春文庫) 作者:浅田 次郎 文藝春秋 Amazon 「輪違屋糸里」 浅田次郎(著) 文藝春秋 あらすじ 今も残る島原の風情 まとめ こんな人にオススメ こんばんは、ちわぷ〜です! 今もなお大人気な新撰組。みなさんはどんな隊士が好きでしょうか? 本日は、土方歳三、芹沢鴨ファンの方にオススメの作品をご紹介いたします! 今作は花街である島原の芸妓から見た芹沢鴨暗殺事件というオリジナリティ溢れる内容になっております☆ 「輪違屋糸里」 浅田次郎(著) 文藝春秋 あらすじ 新撰組がまだ結成間も無く、統制が取れておらず町の人々から壬生狼(みぶろ)と呼ばれ恐れられていた頃。 新撰組内部で近…
2021年11月17日(水)京都産業大学ギャラリーから足をのばして島原へ。 島原大門江戸時代以来、公許の花街として発展してきた島原。 「島原」という名の由来は、六条付近にあった傾城町が幕府の指示で現在の朱雀野の地へ移転するにあたり、あまりにも急な移転で騒動になったことから、「島原の乱」になぞらえて「島原」と名づけられたらしい。とはいえ「島原」というのは通称で、正式名は「新西屋敷」という。 島原大門の石碑には江戸後期の尼僧歌人・大田垣蓮月の歌が刻まれている。「嶋原のでぐちのやばぎをみて なつかしき やなぎのまゆの 春風に なびくほかげや さとの夕ぐれ」 写真にあるようなバイクやビルは興覚めだけど…
島原へはJR「丹波口」駅から歩いても遠くない。 昨年の7月にも行った。 輪違屋 前回来た時は、中を見ることができなかった。 行くと、特別公開していた。 今年は、7月7日から9月30日まで。 入場料は600円。 入ると、まず奥のクーラー効いた部屋で説明していると案内された。 一階の奥の部屋で、クーラーの聞いた部屋で、輪違屋の説明をしていた。 年配の方が、わかりやすく説明してくれた。 途中での参加も大丈夫。 10分ぐらいの説明を、途中参加の人もいるので、繰り返しされていた。 築160の建物、床壁も天井も黒に近い濃い茶で明治維新の頃を思わせる雰囲気があった。 輪違屋の創業は1688年(元禄元年)。 …
京都市下京区にある、大宮花屋町の交差点。 大宮通の左手に続くのは、西本願寺です。 交差する花屋町通を西に入ると、 すぐに左手に細い路地。 この奥では、元新選組隊士で箱館戦争をも生き延びた島田魁が、維新後に西本願寺の夜間警備をしながら暮らしていたらしい。 路地の横には、連棟式の木造建築。 ここは少し寂しくなった島原商店街ですが、これらの建物も、良く見ると一軒一軒が店舗だったようです。 さらにその隣に残るのは、珍しい木造三階建の京町屋。 ここも店舗だったのでしょうか。 今も頑張っておられる、「太夫最中」が名物の、御菓子司・伊藤軒老舗もありました。 まもなくすると、島原の大門に出会います。 京都では…