秦の宰相、呂不韋がまとめた百科全書。 各所から集めた学識者が聞き知っていることを記録・編集したもの。儒家・道家・法家など各派の主張が入り混じっているため、『漢書』芸文志(漢代の図書目録)では「雑家」にくくられている。 呂不韋がこの書を咸陽の市場の門に掲示し、一字でも欠点を指摘し修正した者には千金を与える、と賞金をかけたことから「一字千金」の語が生まれた。
滞りが病の一番の原因と考えています。凝りをほぐし、冷えを温め、心のわだかまりをなくす。いたってシンプルです。ですから花音鍼灸治療院は局所治療はいたしません。全身の流れを重視します。滞りがなくなれば自然治癒力が最大限発動されます。体は治りたがっているのです。古代中国に書かれた『呂氏春秋』という本があります。そこにタイトルで取り上げた「流水不腐」という言葉が出て来ます。「流れる水は腐らない。」人間の身体も同じです。人間も自然の一部ですので自然の法則に従います。花音鍼灸治療院は机上の空論や迷信を排除します。 なので陰陽論は取りますが五行論はほとんど重視しません(いろいろ考え方はあると思います)。鍼灸…
まず、@ohagitodaihukuさんに心より感謝の意を致します。ご指摘ありがとうございました。注意すべきことには、こちらに書かれた原文はカテゴリにある『高中文言百段閱読訓練』から取り出したものなので、他の書籍やサイトに記載されたものに比べて、幾つか異なる箇所があるかもしれません。 あらすじ 原文 書き下し文 あらすじ これは『呂氏春秋』から取り出した文章です。本文の趣旨は「察伝」となります。噂は必ず詳らかにすべきで、もしそうしないなら、その噂を信じない方がいいということです。
会社の価値は、経営者が誰かによって9割がた決まるといわれる。投資する側としては、経営者の人物を見極めることがとても大切な仕事となる。 「呂覧」(呂氏春秋)という古代中国の文献がある。秦の始皇帝の時代、秦国の宰相を務めた呂不韋が、多くの学者に編纂させた百科事典的なものである。現代の百科事典とは多少、趣が異なっていて、そのなかには、人物の見極めかたとして、八観六験(はちかん りくけん)という手法が記されている。 ここで詳細を書くスペースはないので、思い切って要約すれば、人物を見極めるには、その人が発する言葉ではなく、種々の状況に応じての行動を見よ、というのが骨子である。 ちなみに、司馬遷は史記のな…
其一(嘆かわしい海防の現状) 其二(海防の不備は必敗につながる) 其三(今のままでは智者や勇者がいても百戦百敗) 其四(海戦を避け陸戦に持ち込めば勝てるとの論は誤り) 其五(海防は手遅れになる前に至急行うべし) 其六(造船研究のための費用は惜しむな) 其七(船艦と銃砲の重要性・・老中や家老も関与せよ) 其八(航海の訓練の重要性と貿易による富国について) 其九(時代錯誤の認識の弊害・・今や脅威は中国ではなく西洋とロシアだ) 其十(対ロシアの蝦夷地守備が全く不備であること) 其十一(準備不足のまま島嶼奪還の遠征をして敗北を重ねれば亡国につながる) 其十二(イギリスの隆盛は艦船と銃砲による) 其十三…
・紀元前288年 秦の昭王,嬴稷は2か月間「西帝」を称した。 ※これは王号に代わる権威を、帝に求めたものである(鶴間和幸『ファーストエンペラーの遺産』)。 ・紀元前272年 Roma人は、南イタリアのGraecia人都市タレントゥムを陥落させ、イタリア半島を統一した。 ・紀元前268年頃 AśokaḥがMaurya朝の君主として即位した。 ・紀元前264年 Sicilia島を巡って、RomaとCarthāgōの間で戦争が勃発した(第一次Punici戦争)。 ・紀元前262年 EumenēsはSeleukοs朝から離反し、Attalos朝Pergamonを成立させた。 ※Pergamonは鉱産物…
開成高校の外観。当ブログの内容とは直接関係ありません。 私が中学1~2年生の頃。成績はいつもど真ん中、3ばっかり並んでたまに2や体育で4があった程度だ。だが、近所に住む同級生のK島くんの成績は常に学年トツプ3を維持していて、スゲーなといつも感心していた。 私の家とK島くんの家は学校に向かう方角が同じで、登校時に道すがら雑談をして歩くことも、ままあった。 私「この間の期末テストまたトップじゃん、いつもすごいなー」K島くん「うん?そうでもないよ、体育が足引っ張るから他でがんばらないと」 K島くんは運動のほうはからっきしダメで、鉄棒の逆上がりもできないほどだ。K島くん「体育だけは努力してもどーにもな…
人こそ人の鏡なれ『書経』人の振り見て我が振り直せ 人に善言を与うるは布帛よりも暖かし『荀子』 人必ず自ら侮りて然る後人之を侮る『孟子』 人に受くる者は人を畏れ、人に与うる者は人に驕る『説苑』 人に勝たんと欲する者は、必ず先ず自ら勝つ『呂氏春秋』 人其の子の悪を知ること莫し『大学』 人各々能有り不能有り『春秋左氏伝』 人焉んぞ隠さんや『論語』 人衆ければ則ち狼を食らう『淮南子』 人衆ければ天に勝つ『史記』 人こそ人の鏡なれ『書経』
第1話「嫪毐の乱」 昨日の続き。 呂不韋の一世一代の大勝負は破格の大勝となる。趙の人質となっていた秦の公子・子楚を救い出し秦の王とした。 呂不韋はこのてがらにより丞相に封じられた。 だがこの荘襄王は在位三年でこの世を去った。 そして十三歳の政が秦王となった。 荘襄王の実母は「夏太后」となり呂不韋の囲い者から荘襄王の妃となって政を生んだ母は「母太后」となった。 そして呂布韋を相国(丞相より位は上)とし「仲父」と読んだ。これは父の次という意味である。 呂不韋の凄いのは丞相・相国となったところで堕落したりせず次に優れた食客を三千人集めるという意気込みがまだまだあるところだ。 この時代(今もかもだけど…
2002年4月25日初版発行 裏表紙「秦の始皇帝の父ともいわれる呂不韋。一商人から宰相にまでのぼりつめたその波瀾の生涯を描く。商賈の道を捨て、荘襄王とともに、理想の政体の実現に向けて、秦の政治改革に奔走する呂不韋だが…。宮城谷文学の精髄・全5巻完結!」 華陽夫人は、子産のいた鄭、晏子のいた斉を想い、子楚を嗣子とするかどうか太子の決断を仰ぐと、太子は嫡子とすることを決断した。鮮乙の妹の鮮芳が小環の遺児・小梠(しょうりょ)を呂不韋に引き合わせると、呂不韋は小梠に舞を学ばせた。小梠の舞を子楚が見ると正室に迎えると言い出した。藺相如が亡くなったとの知らせがあった。埋葬のために趙を訪れた呂不韋は楚へ向か…
呂不韋南越人説 呂不韋南越人説 秦の丞相 呂不韋の出身地 不韋県の由来 南越の経緯 呂嘉の一族 漢武帝の処置 財宝の地 南越 陸賈 の商売 呂不韋の商売とは? 先駆者 范蠡 百越遠征 出土する貝の装飾品 結論 秦の丞相 呂不韋の出身地 呂不韋といえば、始皇帝の父親子楚が人質として趙に送られていたのに目をつけて秦王になるようはからい始皇帝を育てた商人出身の秦の丞相で「奇貨居くべし」の故事を残した人だが、いちおう『史記』には「呂不韋者,陽翟大賈人也」とあり今の河南省の禹州あたりにあった韓の商業都市陽翟の大商人ということになっている。ところが『戦国策』では「濮陽人呂不韋」とあるので今の山東省と河北省…
文字霊日記・3381日目 カイキ日食・・・旻=日+文=ヒブン=碑文・妟=日+女 怪奇日初句・・・??? ↓↑ 本日は晴天なり 風も穏やか 気温も 寒からず 暑からず 食べ物はある・・・ ・・・一日が過ぎていく・・・ それなのに 何処かでは甚大な自然災害・・・ それなのに ドコかで殺し合い、強奪、殺傷・・・ ↓↑ 「あなたは鶏が鳴く前に3度、 私を知らないというだろう」・・・ワタシはシラナイ? だからドウ・・・ オマエの予言は思わせぶりな「アタリもの」・・・ 「アタラナイようにとの忠告」ではなかった・・・ ・・・ダレかがヨンでくれたらしい・・・ ボクのブログの 2020-12-26 21:22:…
『礼記・月令』は月々の天文現象の記事を含むため、天文学史では定番の文献です。ところが、これの『太平御覧』への引用を見ると、天文現象の部分が全然違うのです。そこで、両者の違いについて簡単にメモを残すことにしました。 『礼記・月令』とは? 『礼記・月令』は一年を十二ヶ月と日数が不明の「中央土」に分割します: 孟春、仲春、李春, 孟夏、仲夏、李夏 中央土 孟秋、仲秋、李秋, 孟冬、仲冬、李冬 四季に分割して、各々の季節をさらに三分割し、さらに半端な日を中央中央土に。この中央土の挿入場所や日数はいくつか解釈があるようです。まあ、とにかく一年がだいたい十二の月に分割されている。 その上で月毎の季節の状況…
北斗七星と季節。北京天文館のウエッブページより。云看展 - 云看展 | 北斗七星那些事儿 中国では非常に古い時代、季節の判断に日没時の北斗七星の柄(斗柄、斗杓)の向きを用いたと言われています*1。地球から見た太陽と恒星の相対的な位置は、日々少しずつ変化し、一年後に元に戻ります。毎日日暮れどきに観測すると、北斗の柄の向きが図のように左周りに回転します。かつての中国では、北斗七星は一年中沈むことなく見えており、あたかも時計の針のようで、非常に印象的でわかり易かったでしょう*2*3。ただ、「日暮れどき」とか「柄の方向」の定義はボヤッとしており、当然のことながら精度は期待出来ずません。戦国期にもなれば…
文字霊日記・3355日目 オオカミがキタ ↓↑ 倭国(俀國)の遣隋使・遣唐使・・・検討詞? ↓↑ ・・・人名に使用される漢字の「意味・意義」の変・・・ 名前(姓・諱・字・号・諡)に使用される 漢字の「意味・意義」の変・・・ 犬=一+人+丶(チュウ)=狗・戌 上=卜+一 御=彳+卸(シャ) 田=囗+十 鍬=金+秋(禾+火) 犬 上 御 田 鍬 ケン ジョウ オンデンシュウ 懸(兼) 条(声) 音 伝 習(集)? ↓↑ 倭国(俀國)の遣隋使 ・・・兼隋史 ・・・懸瑞詞・・・高野瑞皐・久坂玄瑞 瑞西(瑞士)・瑞典(蘇亦斉) 「外国地名および国名の漢字表記一覧 (ウィキペディア(Wikipedia))…
紀元前200年頃にまとめられた『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』という本に、琴の名手・伯牙(はくが)と鐘子期(しょうしき)の友情物語が描かれている。夏休み直前、2年生の「言語文化」という授業で、それを勉強した。ごく簡単に内容を書いておくと、次の通りである。 「伯牙が高い山のことを思い浮かべながら琴を弾くと、鐘子期はその音を聴いて高い山のようだと言い、伯牙が流れる水を思い浮かべながら琴を弾くと、鐘子期はその音を聴いて流れる水のようだと言った(伯牙の心の中を言い当てた)。鐘子期が死ぬと、伯牙は琴を壊してしまい、二度と演奏しなかった。琴を弾いて聴かせるに値する人がいなくなったからである。」 この文章…
今日7月18日(水)は旧暦「六月小の月(=6月)」の朔の日(=ついたち)、即ち 6/1 で新月(月がすべて隠れて見えない)の日です。6月は「水無月(みなつき)」と呼ばれ、水が多い月、即ち雨が良く降る月なのです。関東地方は連日の猛暑にもかかわらず、まだ梅雨明け宣言もされず、今週後半は処により雷雨予報がされています。(雷雨でも何でもいいですから振って来て、猛暑が少しでも緩和されればいいですね。水害は困りますが。) 明後日新暦7月20日(旧暦6/3)からは、『二十四節気』を補充する雑節の一つ「土用」に当たります。以前も書きましたが、歴書に依れば「土用」の説明として、❝本来は二十四節気の立春、立夏、立…
2015年4月30日初版発行 女性・愛情 秋の扇 男の愛を失った女にたとえられる 「秋の扇とすてられて」「怨歌行」 解語の花 美人のたとえ 玄宗が楊貴妃を「解語の花」とたとえた 傾国・傾城 美人のたとえ 武帝の晩年の寵を一身に集めた李夫人 『漢書』 紅一点 王安石の詩「石榴の詩」が出典 細君 武帝に郎に任命された東方朔が使った言葉 『漢書』 糟糠の妻 光武帝の臣下宋弘の言 苦労をともにしてきた妻 未亡人 本来は妻が自分のことをへりくだっていう言葉で、他人からいうのは本来は失礼千万な話だが、いつのころか当然のことのように使われてきた 『左伝』「成公」 窈窕たる淑女 物静かな善女 『詩経』「国風」…