「疎外された労働論」の意義とは 「北井信宏のブログ」の3月29日付小論「マルクスが、労働のあるべき姿を明らかにしたことに、「疎外された労働」論の意義があるのだろうか」を読んで、私は黒田寛一が「マルクス的イデー」と呼んできたものそのものについて改めて考察することが必要であると感じた。 ブログの小論は、次のようなものである。 〈 黒田寛一は言った。 マルクスの「疎外された労働」論の意義は、「人間の自己疎外の止揚によって実現されるべき疎外されない人間、つまり種属存在としての人間による生産的労働にかんする本質論、あるいは共産主義的人間論」(『マルクス主義の形成の論理』53頁)を確立したことにある。 だ…