なんていうか、最近、 神がやっている〝ひとつの事〟しか解らなくなっている。 肌に感じる風を解釈するのではなく、 お気に入りの自動車を解釈するのではなく、 夫や妻や両親や親友を解釈するのではなく、 肌に感じる風それ自体を〝感じる〟、 お気に入りの自動車それ自体を〝感じる〟、 夫や妻や両親や親友そのものを〝感じる〟ことが、 神を感じていることであり、それが神の解釈となる。 例えば、 大好きなスマホゲームをしている時、とか、 大好物のロールケーキの味を噛みしめている時、とか、 天職と思える仕事に、寝食を忘れて取り組んでいる時、 など、ゲームや、ケーキや、仕事に対してではなく、 その奥に在る〝大好きな…