私たちは、踏み絵といえば、キリスト教信者を見つけだす手段というふういうに考えていますが、実に、日本人はそれをお祭りにまでしてしまっていたことを知りました。 吉村 昭 著「ふぉん・しいほるとの娘」(新潮文庫)の中に出ています。 あの時代のキリスト教信者に対する処罰の残酷さはよく聞きますが「祭り」とは? 18世紀中頃には、長崎の正月行事の一つとなり、長崎奉行所では毎年正月(旧正月)に、町順に絵踏みを行うことが正月行事の一つであった。 このことから「絵踏」は、春の季語とされている。(ウイキペディア) 奉行所に人が集まる、商売ができると「踏絵」の日には市が立つようになりました。そして、「絵踏」が終ると…