有明《ありあけ》の君は 短い夢のようなあの夜を心に思いながら、 悩ましく日を送っていた。 東宮の後宮へこの四月ごろはいることに 親たちが決めているのが 苦悶の原因である。 源氏もまったく何人《なにびと》であるかの 見分けがつかなかったわけではなかったが、 右大臣家の何女であるかがわからないことであったし、 自分へことさら好意を持たない弘徽殿の女御の一族に 恋人を求めようと働きかけることは 世間体のよろしくないことであろうとも 躊躇《ちゅうちょ》されて、 煩悶《はんもん》を重ねているばかりであった。 三月の二十日過ぎに右大臣は 自邸で弓の勝負の催しをして、 親王方をはじめ高官を多く招待した。 藤…