Alexey Ignashov
キックボクサー。
生年月日 | 1978年1月18日 |
出身地 | ベラルーシ/ミンスク |
所属 | フリー |
バックボーン | ムエタイ |
血液型 | B型 |
身長 | 196cm |
体重 | 110kg |
レッドスコーピオンの異名を持つ。蠍の毒針と呼ばれる膝蹴りを武器とする。総合格闘技でも3試合戦っている。
2000年6月24日、母国ベラルーシで開催されたK-1 WORLD GP 2000 ヨーロッパ・ロシア地区予選DでK-1初参戦。1回戦でダリウス・グリラウスカス、準決勝でセルゲイ・マトキン、決勝でセルゲイ・アルヒポフに3試合全てKO勝ちで優勝。横浜大会のGP予選トーナメント進出。
同年8月20日、「K-1 WORLD GP 2000 in 横浜」で初来日。GP予選トーナメント1回戦でマット・スケルトンに判定負け。
2001年2月4日、K-1 WORLD GP 2001 オランダ地区予選のスーパーファイトでステファン・レコと対戦し、最終5Rに倒れた相手への攻撃を放ち反則負け。
同年7月20日、「K-1 WORLD GP 2001 in 名古屋」のGP予選トーナメントに出場。1回戦でピーター・マイストロビッチに判定、準決勝でアンドリュー・トムソンに1RKO、決勝でロイド・ヴァン・ダムに延長戦の末判定勝ちし優勝。WORLD GP出場を決める。
同年12月8日、「K-1 WORLD GP 2001 決勝戦」の1回戦でニコラス・ペタスに得意の膝蹴りで鼻を骨折させ2RKO勝ち。準決勝でフランシスコ・フィリォに判定負け。3位と今後の活躍に期待を寄せた。
2002年2月24日、K-1 WORLD GP 2002 オランダ地区予選のスーパーファイトでノブ・ハヤシに判定勝ち。
同年5月25日、「K-1 WORLD GP 2002 in パリ」でビヨン・ブレギーに5RKO勝ち。パリ大会では膝蹴りが禁止となっている。
同年7月14日、「K-1 WORLD GP 2002 in 福岡」でピーター・アーツに判定勝ち。
同年10月5日、「K-1 WORLD GP 2002 開幕戦」でレコと再戦し、延長戦の末判定負け。
2003年6月8日、IT’S SHOWTIMEでバダ・ハリに3RKO勝ち。
同年6月14日、「K-1 WORLD GP 2003 in パリ」のヨーロッパ・ロシア地域予選に出場。1回戦でパヴェル・マイヤーに3RKO、準決勝でアレクサンダー・ウスティノフに判定、決勝でシリル・アビディに3RTKO勝ちし優勝。WORLD GP出場を決める。
同年7月13日、「K-1 WORLD GP 2003 in 福岡」でヤン“ザ・ジャイアント”ノルキヤにローキックで1RKO勝ち。
同年10月11日、「K-1 WORLD GP 2003 開幕戦 ALL STARS」でマイク・ベルナルドに2RKO勝ち。
同年12月6日、「K-1 WORLD GP 2003 決勝戦」の準々決勝でアーツと再戦し、延長戦の末判定負け。
同年12月31日、Dynamite!!で総合格闘技ルール初挑戦。中邑真輔に当初は膝蹴りで3RKO勝ちしたが、中邑がすぐに立ち上がったにもかかわらずレフェリーが試合をストップしてしまい、後日新日本プロレス側からの異議申し立てによりノーコンテストになった。
2004年3月27日、「K-1 WORLD GP 2004 in SAITAMA」でカーター・ウィリアムスに膝蹴りで2RKO勝ち。
同年5月20日、IT’S SHOWTIMEでセーム・シュルトとキックルールで対戦し1RKO勝ち。
同年5月22日、ROMANEXで中邑と再戦し、2Rにギロチンチョークで一本負け。
同年9月25日、「K-1 WORLD GP 2004 in TOKYO 開幕戦 」でガオグライ・ゲーンノラシンに延長戦の末判定負け。
同年11月6日、「TITANS 1st」でポール・スロウィンスキーに判定勝ち。しかしその後、膝の負傷もありスランプに陥ってしまう。
2005年5月27日、「K-1 WORLD GP 2005 IN PARIS」のEUROPE GPに出場。1回戦で内田ノボルに判定負け。膝の負傷でキックがほとんど使えない状況であった。その後6月に膝の手術を受ける。
同年9月23日の「K-1 WORLD GP 2005 IN OSAKA 開幕戦」のスーパーファイトでレミー・ボンヤスキーと再戦し延長戦の末判定負け。
2006年5月13日、「K-1 WORLD GP 2006 IN AMSTERDAM」のEUROPE GPに出場。1回戦でピーター・ボンドラチェックに2RKO勝ちするも、準決勝でリザーブファイトから勝ち上がったグーカン・サキに判定負け。
同年8月12日、「K-1 WORLD GP 2006 IN LAS VEGAS II」の世界最終予選に出場。1回戦でイマニー・リーに判定勝ちするも、足の負傷により準決勝を棄権。その後しばらくK-1から遠ざかり、所属していた地元のチヌックジムを離れ、練習の拠点をニュージーランドに移す。
2007年以降はヨーロッパを中心に多くの試合をこなすも、中堅クラスの選手に敗戦する事が多くなっている。
2010年4月3日、「K-1 WORLD GP 2010 IN YOKOHAMA」でバダ・ハリと再戦し判定負け。
同年5月21日、「K-1 WORLD GP 2010 IN BUCHAREST」のEAST EUROPE GPに出場。1回戦でミンダウガス・サカラウスカスに1RKO勝ちし、準決勝でフレディ・ケマイヨと再戦し判定勝ちでリベンジ。しかし膝の負傷により決勝を棄権。敗者復活のケマイヨが優勝した。
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