Alejandro Jodorowsky
映画監督、脚本家、プロデューサー、作家、舞台演出家、音楽家
1930年2月7日、ロシア系ユダヤ人としてチリのボリビア国境近くトコピラに生まれた。父親は雑貨商を営み(サーカスの役者という説もあり)、母はオペラ歌手、祖母はロシアのバレエダンサーだった。
1942年、12歳の時にサンチアゴに移り、サンチアゴ大学で主に心理学と哲学を専攻する。マルセル・カルネの『天井桟敷の人々』に感動した彼は、サーカスでパントマイムや人形劇をやるようになり、2年間で大学をやめてしまう。ピエロ、マリオネットマイムのショー編集などを経て、1953年渡仏。放浪生活を送る。そんな中で、マルセル・マルソーと知り合った6年間は『The Mask』『The Cage』という戯曲を共著し、モーリス・シュバリエの芝居を演出した。パリでの学生時代にトーマス・マン原作で実験映画を一本撮り、ジャン・コクトーに絶賛されたこともある。
1967年メキシコに移り、作家、映画監督としてデピュー。監督第2作目の『エル・トポ』により、国際的な地位を築いた。『エル・トポ』は今日でも最も重要なカルト・ムービーの1本と評価されている。1973年には『ホーリー・マウンテン』を発表。1975年、ミッシェル・シドーのプロデュースによりフランク・ハーバートの『デューン』をスタート。イギリスの画家クリス・フォスやメビウス(ジャン・ジロー)、H.R.ギーガーなどのデザイナー、ダン・オバノンを特殊効果のスーパーバイザーに、サルパドール・ダリの特別出演もかなったところで、金銭面の問題からプロジェクトが頓挫してしまう。1989年に『サンタ・サングレ/聖なる血』を発表。現在のところ、これが最後の長編映画作品である。
1980年にはインドを舞台にした『TUSK』を発表。この間、ホドロフスキーは、フランス・コミックスのメビウス、ジョルジュ・ペスなどの原作者としても活躍。中でもメピウスと共作の『ジョン・ディフィールの冒険』は有名で、製作中止になった『デューン』のシナリオにも一部流用された。また『O嬢の物語』の制作依頼を、『商業的なものは私にはつくれない』との理由で断っている。世界各国を転々としており、プロデューサー泣かせの映画作りで有名。彼の息子たち(Brontis, Adan, Axel)も作品に出演している。
現在はフィリップ=カモワン氏と組んで、マルセイユ・タロットの研究・復刻事業に取り組んでいる模様。