マルクスはベルリンでギリシャの自然哲学に関する論文をまとめたが政治的な理由でベルリンの保守派からはじき出された。 マルクスは「左より」のヘーゲル派だった 結局、博士号取得のための研究はイェナで行うこととなる さらにマルクスは、パリやブリュッセルやラインラントで「過激な新聞の編集者・寄稿者」として悪名を馳せた よってマルクスは著述業として儲けることは出来なかったがじきに「フリードリッヒ・エンゲルス」という裕福な産業資本家の息子と出会った エンゲルスはマルクスの知的な協力者となった ロンドンで亡命生活を送るマルクスを資金面で支援して ふたりはここで、資本主義を分析し、資本主義がどのように人間を犠牲…