畠山国清が鎌倉公方・足利基氏を迎え撃つために、急いで築いた三つの山城(三津城、修禅寺城、金山城)の内の金山城は、 神島の城山と小室の城山(棒石山、石とり山とも云う)の2説がある。 太平記や豆州志稿には、金山城跡は、[小室の城山]とある。 近年、静岡古城研究会は、金山城跡は[神島の城山]であると提唱している。今日は、神島の城山を踏査して、城郭の跡を見てみる。 棒石山(標高 120m, 小室-金山城)と城山(標高 338m, 神島・金山城)今日は、城山(神島・金山城)を踏査してみた。 山麓には、凝灰岩の石丁場跡が残る。ロッククライミングのゲレンデは賑やか 城山と葛城山の登山道の分岐地蔵菩薩の石仏が…