Julian Lennon、(1963-) ミュージシャン。ジョン・レノンの長男。ジョンと彼の最初の妻シンシアの間に生まれた。 1984年にシングル「ヴァロッテ」でデビュー、父親譲りの声とルックスでアルバムともども大ヒットとなる。 ビートルズの「ヘイ・ジュード(Hey Jude)」は、ポール・マッカートニーが両親の離婚に意気消沈するジュリアン・レノンを励まさんと作った曲。 しかしジョン・レノンは自分と新妻オノ・ヨーコのことを歌った歌であると解釈。
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今日の聴き比べはデイヴ・クラーク・ファイヴ(The Dave Clark Five)の「ビコーズ(Because)」です。 1964年のデイヴ・クラーク・ファイヴの大ヒット曲です。当初は『カッコいい二人(Can't You See That She's Mine)』のB面でしたが、アメリカでA面として発売するとこれが大ヒットしました。 アルバムでは3枚目の『American Tour』に収録されました。 1985年にはジュリアン・レノン(Julian Lennon)がカバーしヒットしました。 lynyrdburitto.hatenablog.com アメリカン・ツアー アーティスト:デイヴ・ク…
先日のキネ旬シアターは『ジョン・レノン 失われた週末』でした。 監督:イヴ・ブランドスタイン、リチャード・カウフマン、スチュアート・サミュエルズ 出演:メイ・パン、ジョン・レノン、ジュリアン・レノン、ポール・マッカートニー、デヴィッド・ボウイ、エルトン・ジョン 製作:2021年 アメリカ合衆国 2024年 日本公開 ジョン・レノンとオノ・ヨーコが別居していた1973年秋から1975年初頭の18ヶ月間、いわゆる『失われた週末』と呼ばれる期間を同棲していた二人の秘書だったメイ・パンの証言に基づいたドキュメンタリーです。 この頃、ジョンとヨーコの仲は最悪で、ヨーコが中国系アメリカ人の秘書のメイに二人…
ジョン・レノンは、最初に結婚したシンシアとの間にできた ジュリアンに対しては、冷たかった。 のちにプレイボーイ誌のインタビューで、こう答えている。 ボクは早く結婚して、22歳くらいに、ジュリアンが生まれた。 そのあとで、ボクはビートルズで有名になった。 バンド活動のために、自分の部屋で、曲を書いていた。 すると、部屋にジュリアンが入って来る。 出て行け!と怒鳴ったこともある。 ジュリアンに、あの夜、俺が酒を飲んでいなかったら、 おまえは生まれて来ていない。 おまえは、サタデーナイト・スペシャルだ!と言ったこともある。 あの頃は、ボクも若く、子育てというのが分からなかった。 ジュリアンに対しては…
一条真也です。61歳になった翌日の11日、ドキュメンタリー映画「ジョン・レノン 失われた週末」をシネプレックス小倉で観ました。ジョン・レノンやオノ・ヨーコについての隠れた一面をはじめ、知らなかったことをたくさん知りました。 ヤフー映画の「解説」には、「ジョン・レノンとオノ・ヨーコが別居していた『失われた週末』を追ったドキュメンタリー。1973年秋から1975年初頭にかけての期間をレノンと共に過ごした当時の個人秘書メイ・パンの証言を通して、二人のプライベートな日々に迫る。イヴ・ブランドスタイン、リチャード・カウフマン、スチュアート・サミュエルズらが監督を務めている」と書かれています。 ヤフー映画…
もうひとつのドキュメンタリー「ジョン・レノン、ニューヨーク」 ドキュメンタリーって 本人の姿があって 肉声があって どのドキュメンタリーも、観ると 「そうだろう、そうだろう!」となります 嘘のない「その時のその人の心」が垣間見えるからですよね でも、人の心は刻一刻と変わります 記録に残る自分の言葉に「え?!そんなことを言ってたのか?」ということもあるはずです 人間関係も変わります 全ては時とともに変容していきます 残酷なまでに変わっていきます だからこそ ドキュメンタリーも 複数の視点のものをたくさん観ることで 気がつくことが多いですよね それぞれの人の視点 同じ人の時間軸が異なる視点 ほんと…
ジュリアン本人にとっての「ヘイ・ジュード」という曲とは コチラの記事でした nme-jp.com 母親(シンシア)思いのジュリアンが、この曲を聞くたびに母の悲しみを想う そうですよね 自分への励ましの曲は、 母にとっての「つらい日々」を思い出させる曲でもありますよね ジュリアンとショーン 異母兄弟です コチラの記事です amass.jp ジュリアンという人は、きわめて信頼のおける人に感じられます オノヨーコさんに対しても、ショーンに対しても、それは感じられます その落ち着いた物腰は、お母さんのシンシアさん譲りなのかもしれませんね ビートルズの4人のメンバーの子供達は大家族 上記の記事より ショ…
The Beatlesの新曲が出たので、記念にビートルズ関連のレコードです。 今日のレコードタイムはコレです。 バロッテ/ ジュリアン・レノン このタイトル曲を初めて聞いた時は鳥肌が立ちました。 聴いた瞬間、ジョン・レノンが歌ってるかと思いましたよ。 誰もがそう思ったと思います。 今聴くとそこまで似ているとは思わないですが、当時はジョンが降りてきたのかなと。 顔も似ているしね(親子だから当たり前か)。 もちろんビートルズの「ヘイ・ジュード」の主人公ですね。 デビューが衝撃的だったので、その後の活動はそれ程伝わってないでしが、それなりに作品は発表していました。 彼は1963年生まれだから今年60…
9月10日(土) 今日(というか昨日金曜日)は疲れた。とことん疲れた。その結果20時頃には寝落ちしていたっぽい。23時頃リビングで目覚めると妻がもぐもぐと何かを食べていた。僕はというとキッチンに行き、何か食べるものがないか物色していた。そして気づいたらプリッツとくるみレーズンパンを手にしていた。しかし、プリッツを食べている途中で再び寝落ちしていたようだ。そして目覚めたのが午前2時である。体が汗でベトベトしているのに耐えきれなくなったので思い切って起きちゃった。そう言えば妻に「もうそろそろ寝てくれませんか?」と少し強めに言って、妻が「はいはい分かりましたよ。寝ますよ寝ます」と答えたのをかすかに思…
ジュリアン・レノンが「イマジン」をリリースした・・・。思わず「・・・」と書いたが、やっぱり衝撃だな。今のこの状況でリリースだよ。しかもお父さんの超名曲(←この曲は年々超名曲になっていくような気がする)だよ。かなり考えてのことだと思われるが、それにしてもこんなことをするジュリアンは男前だな。とはいえYouTubeで検索すると「スタンド・バイ・ミー」もやっているではないか。そうか。ジュリアンは数十年経ってこんな心持ちになったんだな、と思った。歳をとると心持ちが広くなる人と狭くなる人がいると思うが、ジュリアンは前者だと思う。それにしても、ここまで来るのに時間がかかった分、今は幸せだと思う。嬉しい限り…
シンシア、ジュリアン、ジョン。 ポール・マッカートニーとジュリアン。ポールはジュリアンをかわいがった。ジョンとシンシアが離婚したとき、ジュリアンを励まそうと「ヘイ・ジュード」を書いた。 ★ ジュリアン・レノンが、ウクライナ難民たのめのチャリティ・イベントで「Imagine」を歌ったことを「ビートルズ・クラブ」の会員誌「The Beatles」(2022年6月号)が伝えている。 (前略) (ジュリアンは)これまで「あまりにも父を象徴している」ことを理由に演奏しないと断言してきた誓いを破って'Imagine'をを歌った。ジュリアン「史上初めて、僕は父の曲'Imagine'を公に演奏しました。この曲…