ゼネラルストライキ general strike
全国の全産業、あるいはある地域、ある産業全体で、連帯して一斉に行うストライキ。 総罷業、総同盟罷業。
アナルコ・サンディカリスムなどの組合主義的な革命理論では、ゼネストによって資本主義社会を機能停止に追い込むことで一気に革命を実現することが主張された。
20日のゼネストを再確認 民主労総が記者会見を開いて、首相に対し公開討論に応じるよう求めた。 国務責任者である首相と民主労総の代表によるTV討論会を開き、憲法が定める基本権と 現在の防疫法との衝突について議論を交わしたいというのだ。 記者会見の場所は民主労総の施設内 また20日に予定されているゼネストの決行も再確認した。 「非正規職撤廃」「労働法全面改正」「住宅・教育・医療などの公共性強化」という 3大闘争目標を掲げている。 今回のゼネストには民主労総傘下の公務員労組、学校非正規職労組、公共部門非正規職 労組、金属労組などが参加することが判明。 「政府が打ち出す防疫指針より一層強化された内部指…
花王の漂白剤、力強さを出そうとして拳をデザインしたっぽいんですが、45°ぐらい傾けるとゼネストや革命派のシンボルになりそうなので頑張ってほしい。 pic.twitter.com/Egmi0uzUp9 — いかたけ (@ikatake) 2021年6月5日 「ゼネストしてそうな漂白剤」ことワイドハイター クリアヒーローを愛用していたが、少し前からドラッグストアの店頭から見なくなった。 どうも「ワイドハイター PRO」という商品に変わったらしい。 www.kao.com 力強い拳のシンボルは鳴りを潜めて(?)普通の洗剤のデザインになっていたので、後継商品とわからずドラッグストアで迷子になった。とい…
嫌いな言葉は『努力』 こんにちは、さっちゃ~んです。 「努力」やら自分の頑張りというものを信仰して日々ストイックに生活を送っている人もいれば、逆に自分は「努力」を怠って、怠惰な生活に励んでいる自分を責めている人もいるでしょう。 しかし、冷静になってみれば日本は、戦後、建前上では、「努力したものが上に上がる」能力主義を採用しています。じゃあ、能力主義が正しいのならば、この日本という国は世界のどの国にも負けない、豊かで幸福で素晴らしい国になっているに違いない。 では、能力主義というのは、正しいのでしょうか。 長年、能力主義に取り組んでいた日本の結果発表です!
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 共産主義の5%支配理論。 ・ ・ ・ 2022年5月19日号 週刊新潮「党史には出てこない不都合な真実 『共産党』再建資金に『朝鮮人徴用工』の未払い賃金 最終回 『朝連』を踏み台にした『日本共産党』 終戦当時、組織も資金もネットワークもなかった『日本共産党』は、その活動の多くを『在日本朝鮮人連盟』に負っていた。だが、両者の力関係はほどなく逆転する。党は、朝連の朝鮮人に入党して日本人とともに活動するよう要請し、事実上、指揮下に置いたのだ。 東郷一馬 {前号まで 戦後まもなく設立された…
イスラエル、アルジャジーラのベテラン特派員Shireen Abu Aklehを占領下のヨルダン川西岸で殺害原文はこちら。2022年5月11日付Mondoweiss Yumna Patel (more by Mondoweiss) (投稿日: 2022年5月12日)人権、不平等、メディアイスラエル、中東、パレスチナニューズウィアージェニン難民キャンプ、Shireen Abu Aklehイスラエル軍は、パレスチナ人ジャーナリストでアルジャジーラのベテラン特派員であるShireen Abu Aklehを、ジェニン難民キャンプに対するイスラエルの襲撃を取材中に、本日頭部を銃撃し殺害しました。 アブ・ア…
同胞の国外移住 19世紀後半、朝鮮社会には貧困と収奪、自然災害などで生計の苦しい人々が多かった。彼らの一部は新しい生活の根拠地を求めて満州や間島、沿海州、日本、アメリカなどに移っていった。 わが同胞が一番最初に移住した地域は満州や沿海州だった。特に、満州地域は鴨緑江と豆満江さえ渡ればよく、切り開ける農耕地も多く、狩猟や木を伐採しても生計が成り立ったからだった。 満州地域に移住した同胞は荒地を開墾し、農業を始めた。1910年頃、間島をはじめ満州地域の韓人は20万人を超えた。 日帝の弾圧を避けてここに移住してきた義兵や愛国啓蒙運動家は独立運動を続けた。彼らは学校を建てて民族意識を鼓吹し、独立軍を養…
チェーカー 1917年ソビエト十月革命 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 この記事には暴力的または猟奇的な記述・表現が含まれています。免責事項もお読みください。 ヴェチェカー(ВЧК)) Всероссийская чрезвычайная комиссияVserossiyskaya chrezvychaynaya komissiya OGPU時代のマーク 組織の概要 設立年月日 1917年12月20日 継承前組織 ペトログラード軍事革命委員会(en:Military Revolutionary Committee) 解散年月日 1922年(再編成)[1] 継承…
深読みの鹿之助です。 朝日新聞朝刊見出し。 「『ロシアは自由』の裏デモ弾圧」 う~ん、とうなりました。 「裏デモ」とは考えたな。 反戦を叫ぶデモは弾圧されるんでプーチンの裏をかいて「ロシアは自由だ!」とふざけて叫んでデモをしたけどやっぱり弾圧された、と深読みしたんです。 ちがいました。 「ロシアは自由と言ってるけどデモを弾圧してるじゃないか」という記事でした。 だれが「ロシアは自由」と言ったのか。 駐日ロシア大使ミハイル・ガルージン氏です。 朝日新聞のインタビューに流ちょうな日本語で答えた。 「虚偽の情報を流すのは国家の安全保障上の利益を損ないかねない行為。真実を伝えれば罰せられないんですよ」…
ウクライナのある黒海北岸地域を俯瞰する回、第3回はロシア革命からソ連の崩壊、ウクライナの独立と現在までです。 写真は断りがない限りウィキメディアコモンズパブリックドメインのものです。参考文献はその1を見てください。 緊急重版中 物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国 (中公新書) 作者:黒川祐次 中央公論新社 Amazon ぶんぶんは歴史でご飯を食べるものの末席なので、「戦争はマイナスしか生まない、人類は戦争をしない・させないために行動すべき」というスタンスです。 目次 1 ウクライナの地図 5 20世紀のウクライナ 空欄 補足 ① ウクライナと1905年革命 ② ウクライナと1917年…
#今日は何の日 4/26 1478 イタリア・フィレンツェで、パッツィ家がライバルのメディチ家当主のロレンツォ・デ・メディチらを暗殺しようとし失敗。 1880 日本地震学会設立。 1887 井上馨外相が自宅の茶室落成祝で、明治天皇・閣僚らを招いて歌舞伎を上演。初の天覧劇。 1890 「商法」公布。 1896 桑田熊蔵・山崎覚次郎・高野岩三郎らが社会政策学会を設立。 1913 帝国飛行協会(日本航空協会の前身)設立。 1915 「ロンドン秘密協定」締結。第一次大戦でイタリアが連合国側で参戦する見返りに、かつてオーストリアに奪われた領土「未回収のイタリア」を得る密約。 1925 ドイツ大統領選挙で…
<15日目>2018年 5月28日 月曜日 アテネは晴れ、暑い。ピルゴスも晴れ、オリンピアも晴れて暑い。 < アテネAthensを出発>昨晩も蚊の来襲で殆ど眠れず。何匹殺しただろう。血を吸っていたものが多く、壁に潰した時の血の跡が残っている。 朝、「Money T Global」から危機回避メール。ギリシアのゼネストは5月30日だけでなく、31日もと。えっ~?!5月31日はパトラからイタリアへ向けてフェリーに乗る予定の日だ。しかし当日の交通機関もどうなるか分からない。今後のことを考えると、色々な方面に動きの取り易いアテネに留っていた方が良いのかもしれない。しかし今はじっくり考えている余裕が無い…
<14日目> 2018年 5月27日 日曜日 アテネは今日も晴れ、暑い。 <日曜日にアテネのショッピングモールMETRO MALLに行ってみる> 朝からお腹の具合が良くない。お腹が渋い。トイレに2回行く。もう9:40なので、お腹も空いて来た。外に出ようと思うが、またトイレに行きたくなる。昨晩も蚊が出て、眠れなかった。羽音が煩いので起きて電気をつけると、壁に止まっている。叩いて潰すと、白い壁に血がべっとり着く。こんなに吸われていたのかと思う。やれやれと思って寝ると、また羽音がする。また起きる。この繰り返しで、夜が寝られない。此処は部屋の掃除などで昼間窓を開けているので、いくらでも蚊が入って来てい…
■ 第22章 マスコミ 『彼は精錬する者、銀を清める者として座し・・・<6>』 1444年、可動式の活字からなる印刷機が初めて西洋に渡来した。1400年ごろに生まれ、1468年ごろに死んだドイツ・ファルツのヨハン・グーテンベルクは、私たちの世代も含めて一般の生徒たちには印刷機の『発明者』と信じられている。事実彼は中国の発明を改良し、何世代にも亘ってぎこちなく使用されてきた『木版本や木版画』をすっかり排除した。 私の経験からすれば、この様な中国式印刷機とそのサンプルは、マルコ・ポーロの偵察旅行の後でポーロ兄弟によってヨーロッパに持ち帰られ流布されたと推定される。ともかくこうして、長時間を要し骨の…
「沖縄では四月二八日を『屈辱の日』と呼んでいる。一九五二年四月二八日、サンフランシスコ講和条約の発効によって日本は独立して主権を回復した。その一方で沖縄は、奄美、小笠原と共に日本から分離され、米国が統治する米国施政権下に置かれることにとになったからである」 このように書きだされる本書は、日米戦争で戦場となり島民の四人に一人が命を失ったうえ、一九七二年に日本に復帰するまで二七年間にわたって米軍の占領下のおかれた沖縄の人々の苦難とたたかいの歩みをあとづけている。筆者は、「琉球新報」の社会部長、論説委員長などを歴任し、沖縄国際大学で沖縄現代史を講じているジャーナリストである。 一九七二年五月一五日、…
いま声を上げる時 働くものの団結で生活と権利を守り、平和と民主主義、中立の日本をめざそう 4月13日付
<11日目> 2018年 5月24日 木曜日 ヒオスは快晴。暑い。夜になって雨が降り出した。 <出発の準備> 3:30に目覚めてしまう。まだ真っ暗。また寝る。iPhoneがしきりに受信するので見てみると、たくさんメールが来ている。何故?と思って見ると、携帯の電波が「COSMOTE」 から「vfGR」に変わっている。理由は不明。 7:30に起きる。歯磨き、トイレ、シャワー。プラスティックのカプセルの様なシャワーブースでシャワーしていると、ぐるっと回って開くシャワーブースの扉が、上のレールから外れて何度も落ちる。まずい!と思って慌てて直すが、また外れる。最後はシャワーヘッドを向けないように気を付け…