パウル・クレー

パウル・クレー

(アート)
ぱうるくれー

画家

パウル・クレー(Paul Klee)は1879年12月18日、スイスのベルン近郊ミュンヘンブーフゼーに生まれた。
美術学校に入学の準備をしていた頃知り合った医者の娘リリーと22歳の時に
婚約、27歳で結婚。
ブレイク・ゴア・ゴッホ・セザンヌなどの作品に触れてその影響から分離派に参加。1914年には新分離派の創設に加わりる。
1916〜1918年の軍役を経て1919年にはミュンヘンの画商と契約、その後も各地で個展を開くなど順調に画家としての道を歩む。
1920年にはワイマールに新設されたばかりの建築学校バウハウスの教授として招聘され、5年間ワイマールで、それから学校が引っ越してから7年間デッサウで教鞭を執る。しかしナチズムの台頭に伴い、この自由主義的な学校は1932年に閉鎖、1931年から兼任していたデュッセルドルフの美術学校の教授に選任。しかしナチスは彼を危険人物として迫害、この美術学校からも解雇される。
1937年には彼の作品が大量に各地の美術館から没収され、その一部は「退廃美術展」に展示される。彼はナチスに嫌気がさしてスイスに拠点を移しスイスへの帰化の申請をおこなうが、その手続きが終わらない内に1940年6月29日死去。享年60歳。

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