マックス・モズレー Maxmilian Rufus Mosley,(1940-)
現FIA(国際自動車連盟)会長。
1940年4月13日、イギリスファシスト連合(British Union of Fascists)の創立者であるオズワルド・モズレーとダイアナ・ミットフォードの間に生まれる。1961年、オックスフォードのクライスト・チャーチ・カレッジを卒業後、ロンドンのグレイズイン法曹学院で法律を学び、1964年には弁護士の資格を得た。
その一方で、モズレーは1960年代の始め頃からレーシングドライバーとして国内で開催されていた数々のイベントに参加。1968年にはロンドン・レーシング・チームからF2に参戦するまでに至る。しかし1969年に早々と現役生活にピリオドを打つと、アラン・リース、グラハム・コーカー、ロビン・ハードと共にマーチ・エンジニアリングを設立。その翌年にはコンストラクターとしてF1への参戦を開始することになった。
その後、1977年のシーズン終了をもってマーチはF1から撤退。するとモズレーは、かねてから密接な関係にあったFOCA(F1製造者協会、現FOA)の法律顧問に就任し、当時の代表バーニー・エクレストンのパートナーとして辣腕を振るうことに。1980年代前半のFISA-FOCA戦争ではエクレストンと共にFISA会長のジャン−マリー・バレストルに対抗し、レースのボイコット(1982年サンマリノGP)や新シリーズの立ち上げを画策。その紛争の中心的な役割を担うこととなった。
その政治的紛争がコンコルド協定の締結をもって幕を下ろすと、モズレーは一旦身を引き、F1の世界からは姿を消すことに。しかし1986年のFIAの製造者委員会の代表への就任や、シムテック・リサーチ設立(1989年、代表はニック・ワース)などで表舞台に復帰。1991年にはジャン−マリー・バレストルを破ってFISAの会長選に当選すると、その後の組織改変に伴い、FIAの会長に就任することになった。2004年6月、その会長職を辞任するとの意向を示したものの、結局は留任。2005年10月28日には満場一致で再選(4期目)を果たした。
かつて、バレストルの独裁的な運営を批判してFIAの会長に就任した彼であるが、皮肉なことに、現在ではモズレー自身の独裁者的な一面を批判する関係者、ファンは多い。
2009年、モズレーのコスト削減案を発端としたFIAとFOTAとの対立が、F1の分裂危機にまで発展。それを回避することを条件とし、同年10月の任期満了をもって会長職を辞任することを表明した。尚、後任は2008年3月までスクーデリア・フェラーリ代表を務めていたジャン・トッドが選出されている。